第70話 呂綺魔琴、仁恵之里に降り立つ!

 同時刻。

 カルラコルムではひとりの美青年が顔面蒼白で走り回っていた。

 

 彼の名は呂綺家使用人・フーチ。

 品行方正、冷静沈着をモットーとする彼がどうしてこんなに慌てているかと言うと……

(お嬢様がいない! どこを探しても、いない!!)

 朝食の後、魔琴の姿が消えた。

 昼食までの学業の時間、1時間程目を離した隙に姿を消したのだ。

「もしかしたら、あの方のお宅にお邪魔しているのかも……」


 と、考えて訪れたのは呂綺家とはまた別のマヤの貴族、有栖ありす家の屋敷だった。

「御免下さい有栖様! 有栖様ぁ!」

 日本家屋を模して作られた有栖家の門は武家屋敷というか、どこか造り酒屋を思わせる雰囲気だった。

 フーチはその木製の門を滅多打ちにしてその家の主を呼んだ。

 門の表札には『有栖ありす羅市らいち』と、力強く刻まれていた。


「有栖様! 有栖羅市さまああ!」

 すると門の向こうから女の声が響いた。

「うるっせえなァ! 聞こえてるよ!」

 そして門が開かれ、姿を見せたのは波がかった栗色の長い髪の女だった。

「あん? フーチじゃねぇか。そんなに慌ててどうしたんだよ」


 その女の口調は荒く、どこか気怠けだるそうな雰囲気だが、切れ長な瞳と整った鼻筋、そして薄いが形の良い唇がその気怠さと相まって、なんとも色気のある『大人の美女』だった。

 そしてなによりインパクトがあったのが、その豊満な肉体からだと服装だった。


 彼女は浴衣を身に纏っていたのだが、着崩れしまくっているので、たわわな胸はほとんど見えてるわ足元は太腿がほぼ露出しているわの少年誌ではアウトレベルの丸見え具合だったのだ。

 しかし、彼女はそれを隠そうともしていない。余程自信があるのか、それとも気にしないたちなのか……羅市に限っては、両方だった。


 そんな色気の塊のような羅市からフーチは慌てて目をそらし、明後日の方を見ながら要件を伝えた。

「あ、あの、お嬢様が、そちらにお邪魔していませんか?」

「魔琴? してねェよ。なんだよ、やっぱりいなくなっちまったのかい?」

「え、ええ。お心当たりがおありなんですか?」

「いやあ、でも大体分かるだろ? レレから聞いたぜ? お前さんが魔琴にプレゼントした、アレ」

「は? ……ええっ?!」

「レレの名誉の為に言っとくが、あいつが自分から喋ったんじゃねえよ? たまたまレレと一杯飲る機会があってね。一杯のつもりが二杯、三杯……つい飲ませ過ぎちまって、そんときに色々聞いちゃったんだよってゆーか喋らせたって言うか。だから、悪いのはあたしだからそこんとこヨロシク」

 羅市は手にしていたひょうたんの栓を抜くと、その中身を豪快にあおった。途端、酒の匂いが立ち込めた。


「……贈り物の件、旦那様にはどうかご内密に……」

「もちろん。まぁ、それはいいけどよ……あの制服を手に入れた魔琴がすることなんて1つだろ」

「え、ええ。まあ……」

「お前さんだってわかってんだろフーチ。わかっててウチに来たんだろ」

「それは、その……」 

「認めたくねーのは分かるが、もう認めなくちゃいけねぇんじゃねぇのか? 既にそういう局面なんだって、お前さんも分かってるから、あの高校の制服を用意したんだろう?」

「……」

「魔琴も薄々感づいてんだよ。だからあいつはあの制服を欲しがったんだよ。『今がチャンス!』ってなもんでな。あいつはホント積極的だよ。 あの制服ゲットして以来、しょっちゅう人間界むこうに出掛けていろんなことを見聞きして……」

「え?! 出掛けて? お嬢様は、今日だけじゃなく、あの日から……?」

「あー、いけねェ。内緒にしてって言われてたっけ……」

「し、失礼します!!」


 フーチは即座に闇を呼び、消えた。

 きっと人間界に向かったのだろうと、羅市はふう、とため息をつく。

「……やれやれ、せわしないねぇ」

 羅市は再び酒で唇を湿らせた。

「あたしも久々に顔見せに行くかなァ。仁恵之里」

 そして懐かしむように呟くのだった。 

「元気かな……虎子のヤツ」



 そして仁恵之里。

 仁恵之里高校では、今まさに運命の歯車が動き始めたというか、高速回転し始めたのだった。 

アキとリューと澄がいつもの様に3人で昼休みを過ごし、そろそろ教室へ戻ろうとしていた時だった。


「あっきくーーーん!!」

 どこからともなく響く、アキを呼ぶ声。

「……誰だ?」

 アキが辺りを見回したその一瞬後、彼の胸に柔らかな感触とともに女の子が飛び込んできた。

「うわ?! お前は……ま、魔琴!?」

「覚えててくれたんだぁ! 嬉しい!」


 アキの胸で喜びを爆発させる魔琴。アキはわけがわからなすぎてこれは夢かと疑いたくなる程だった。

(なんで魔琴? なんで制服? この子は鬼なんじゃないのか? なんで、なんで……)


『?』マークが頭上をぐるぐる回るアキだったが、リューにとってはそんなことは関係ないし分からないし、とにかくアキの胸に埋まるその少女が何者か……その一点に尽きた。


「アキくん? その人は誰ですか?」

 リューはいつもの穏やかな笑顔だったが、目が笑っていない。

「随分と仲良しのようですが」

 返答次第では鬼でも悪魔にでもなりそうな気配だ。

「ま、まこと……」

「まことさん? どんなお知り合いですか?」

「こ、この前、神社で……」 

「蓬莱神社ですか? なんで蓬莱神社なんですか? 待ち合わせでもしてたんですか?」


 リューの尋問は徐々に声のトーンが落ちてきて、なんだか不穏な空気を帯びてきた。

「アキくん? 答えてください……」

「あわわ……」

 アキが答えに窮していると、魔琴が顔を上げてリューを見つめて一言。

「ねぇ、キミってあきくんの彼女なの?」

「……ふぇっ?!」 


 不意を突かれたリューは上ずった声を上げると言葉を詰まらせ、一瞬で耳まで真っ赤になってしまった。

「さっきから聞いてるとそんな感じだけど、どうなの?」

「そ、そ、それは……」


 あまりにストレートな質問にリューは言葉に詰まり、魔琴はフフーンと意味深な笑みを浮かべた。

「違うんだね。じゃあ、あきくんはいまフリーって事かぁ」

「え、な、何を……」

「だったらボクとキミは『ライバル』ってわけね!」

「さ、さっきからいきなりなんなんですか? 大体、あなたは何者なんですか?」

「は? ボクの名前? ボクは呂綺ろき……」


 その言葉がリューに届く直前、澄が魔琴の肩を握るようにしてその言葉を制した。

「痛ったぁ。いきなりなによ?」


 不愉快を全く隠そうとしない魔琴に対し、澄は真っ青な顔で答えた。

「魔琴……魔琴は魔琴だよ。ねえ? 魔琴」  

「は? 何? ちょっと怖いんですけど」

 澄の表情に生気が全く無い。何事かと不安になるが、その理由にアキはようやく気が付いた。

(魔琴……呂綺魔琴ろきまこと……『呂綺』? まさか……!)


 アキの記憶が蘇る。

 あの武人会議の時に裏留山が言っていた、リューの母親の仇・呂綺乱尽ろきろんじん

 魔琴の姓は、同じ『呂綺』。


 ……偶然と切り捨てるには、あまりに無理がある!!


「ま、魔琴! そう、魔琴は魔琴だよ。なぁ、魔琴」

「ちょ、ちょっとなになに? あきくんまで……??」

 取り繕う様なアキと澄の態度に戸惑うリューだったが、澄はこっそり護符を出現させて『念』を込めた。


『あんたが『呂綺家ろき』だってのはその子には黙ってて! 理由は後で説明するから!』


 澄はそう念を込めた護符をさり気なく魔琴の背中に貼った。 

 すると護符はすぐに霧散し、同時に魔琴はくるりと澄の方を振り返り、

「……わかったよー」

 と、魔琴は快諾。澄は多少拗れるかと心配していただけに、この展開には少々泡を食った。

「それにしても不思議な技だねぇ。面白!」

 澄の護符術は彼女の『言葉だけ』を魔琴に伝えたのだ。魔琴はそれを手品を見た子供のように楽しんでいた。


 ややあって、魔琴はほんの少しだけ考える様な仕草で「うーん」と唸ると、すぐに屈託のない笑顔をリューに向けた。 


「……ボクの名前は魔琴。魔法の魔に、お琴の琴で魔琴。魔琴って呼んでね! マコちゃんでもいいよ〜」

「え? は、はい……」

「で、キミは?」 

「わ、私ですか? 私は一之瀬 流です。『流れる』の一文字で、リュー……」 

「わぁお! カッコいい!」

「え? ど、どうも……」

「……ん? いちのせ? いちのせぇ?」

「は、はい?」

「いや、どっかで聞いたことあるような……無いような……まぁ、いっかぁ!」

「???」


 魔琴の勢いに圧されるリュー。しかし、危機は去ったようだ。

 その様子に、澄は魔琴が自分の意を酌んでくれたと安堵した。

 しかし……。


「ねぇ、キミって強い? 武人会のヒト?」

「え? それは……はい、私は武人会の武人です。なので、それ相応の自負はありますが……」

「じゃあ強いよね! 武人会の武人ってめっちゃめちゃ強いって聞いてるし! キミも気配からして凄そうだもん!」

「そ、そうですか……?」

「うん! ボク、強い人大好きだよ。だからさぁ、ボクとってみない?」


 その瞬間、その場の全員を怖気おぞけが襲った。

 魔琴が仕掛けたのだ。


 魔琴はリューに向けて殺気を飛ばした。それも明確な殺気だ。

 皆が感じた寒気とも悪寒とも違うそれは、『危機感』と言い換える事が出来るだろう。


 一触即発の空気。歴戦の武人である澄は背筋が凍る気分だったが、リューは眉一つ動かすことなく、また魔琴も挑戦的な笑みを崩すことはなかった。

 ふたりとも平常を装いつつ、即座に戦闘に臨める状態だったのだ。


「魔琴さん」

 先に動いたのはリューだった。

 アキ、澄、そして魔琴に戦慄が走る!


「……あなたは何年生ですか?」

「は?」


 ……張り詰めた空気がサッと流ていく。リューは魔琴の強烈な殺気を、柳の枝のようにさらりと流してみせたのだ。

 つまり、リューにその気は無いということだ。


「同じ2年生ではないようですし、3年生というわけでもないですよね……1年生ですか? それならそれで、先輩にはそれなりの接し方があると思いますよ?」

「ん? どゆこと? 意味分かんないよ」

「わからない?……あなた、本当に……」


 澄もアキもいよいよヤバいかと、その場しのぎのフォローを入れようとしたその時だった。

「お嬢様アアアッ!」

 張り裂けんばかりに絶叫しながら、スーツ姿の美青年が猛ダッシュで駆け寄ってきた!


「げ! ふーちゃん!! やばやば……」

 慄く魔琴。しかしフーチは逃げる隙きすら与えない。

「お嬢様! 今すぐお屋敷にお戻りください! 今すぐウウウ!!」

「ちょ、ちょっと待ってふーちゃ……きゃ!」

 フーチは魔琴を抱えるようにすると、

「……失礼いたします!」

 アキ達に一礼し、魔琴を抱えたまま猛ダッシュで去っていった。

「バイバイあきくーん! またねぇ〜」

 それでも魔琴は屈託のない笑顔で手を振っていた。


「……なんだったんでしょう?」

 リューが小首を傾げる。アキも澄も、申し合わせた様に同じセリフを口にした。

「……さあ?」   

 しかし、ふたりとも背中には冷汗をびっしょりとかいていたのだった。



 その頃、虎子は蓬莱神社にいた。

 今日は平日だが、虎子は仁恵之里に居たのだ。

 蓬莱常世は珍しく境内で箒を片手に掃除をしていたのだが、突然現れた『今日はいるはずのない虎子』を見るなり箒から手を離してしまった。それほどの驚きだったのだ。だから、普段は呼ばない呼び方で虎子を呼んでしまった。

「……姫様ひめさま!!」

 と。


「よう蓬莱。ちょっと相談があってな。すぐにでも相談したくて、つい来てしまったよ」

 虎子はいつもどおりの笑顔で手を上げたが、少し困ったような顔をした。 

「……あと、その呼び方はやめてくれって。むず痒くて仕方ないよ」

 と言って、すぐに虎子らしい明るい笑顔を見せたのだった。



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