第67話 ふたりの行方は

 落ちた!


 誰かが叫んだ。

 会場は騒然となり、観客は二人が落下した職員用駐車場が見える場所へと殺到した。


 ある者はベランダへ、ある者は階下へ降りて駐車場へ。ある者は全体が見渡せる渡り廊下へ。アキと澄は急いで渡り廊下側へと回った。

 渡り廊下からは駐車場がよく見えるからだ。


 リューと勇次はもつれ合いながら落下したが、落下地点には天井部が激しくひしゃげたワンボックスカーが停車していた。


 どうやらふたりはそれをクッションにしたようで、ふたりともそれに弾かれた様に離れ離れでアスファルトの上に倒れていたが、すぐに起き上がっていたので大事には至らなかったのだろう。


 しかし、ふたりとも起き上がりはしたものの動くことが出来ず、図らずも試合は一時中断という状態だった。


 リューは正座する様な格好だったが上半身は脱力し、肩で息をするような状態。

 勇次は立て膝をつき、片手を地面に俯いていた。

 ふたりとも満身創痍。呼吸も荒い。ほとんど限界であることは見て取れた。


 リュー!


 誰かが叫んだ。


 勇次!!


 誰かが叫んだ。


 一之瀬!

 鬼頭! 

 リュー先輩! 

 鬼頭さん!


 誰からとなくふたりの名を呼ぶ声が、声援が、リューと勇次に降り注ぐ。

「リューーー!!!」

 澄が甲高く叫んでいる。

「勇次!!」

 春鬼が檄を飛ばす。


 それはエールだ。

 ただ名前を呼ぶ。それだけで、呼ばれたふたりの心は途轍もなく震えた。


 リューは息を切らしながら思った。

(もう限界だと思ってた……)

 全てを出し切り、全力を尽くし、まともに立つ力も残っていない。

(これ以上は無理だと思ってた……)

 リューは既にからの状態だった。

 出し尽くしたのだ。

 こんなことは初めての経験だった。

(でも、まだまだだった……)


 からになって初めて、自分の器の小ささと、それでもまだまだ大きくなれる可能性に気が付いた。

(私は、まだまだ強くなれる……!)


 鬼頭勇次という全力を尽くしてもなお勝ちを奪えない強者と戦い、初めて気付いた自分の未熟さと可能性。

 からになった器には、これまでよりもずっと多くのものが入れられるだろうという高揚感を感じていた。


 おおお! と一際大きな歓声が上がった。

 リューと勇次がゆっくりと、しかも同時に立ち上がったのだ。

 ふたりとも限界だったはず。しかし、その先にある力に手を伸ばしているのだ。

 だから動ける。

 まだ、やれる。


 それは限界を超えたものにしか辿り着けない境地。果てしなく高い山のようだ。

 今、ふたりはその麓にようやく辿り着いたのだろう。そして、先を目指そうと歩を進める。


 観衆の全てがクライマックスだと直感した。

 大歓声、そして拍手喝采がふたりを後押しする。



 アキは迷っていた。

 目の前で滅多打ちにされるリューを見て心が抉られるようだった。

 目の前で勇猛果敢に戦うリューに言いようのない感動を抱いた。


 アキはリューを覚悟を決めた『武人』なのだと、そう認めて良いのかと迷っていたのだ。

 認めてしまえば、リューが何か別の生き物になってしまうような気がして怖かったのだ。

 しかし……


「リュー!!」

 気がつけば、アキは声を上げていた。

 アキのいる場所はリューの真後ろだ。リューはアキの声が聞こえていたが、振り返らなかった。

 そしてアキは続けた。


「……勝てよ!!」


 それは一際大きくその場に響いた。

 アキは心の底から叫んでいた。


 リューはきっと変わらない。

 武人だろうとなんだろうと、リューはリューだ。自分でそう言ったじゃないか。

 リューは本気なのだ。


 だったら、俺はせめて背中を押してやりたい。


 ……たとえその先に過酷な運命があろうとも。

 そして、それを側で支えたいと思った。

 叶うことなら、自分も彼女と一緒に……!



 アキの言葉はリューの心にこれでもかと響いた。

 もしかしたら、それはリューの1番欲しかった言葉なのかもしれない。


 リューはアキの声に振り返らなかった。

 彼に背中を向けたままだった。

 そのまま、彼女はゆっくりと右手を上げた。


 ゆっくりとゆっくりと掲げられた彼女の右手。

 天高く掲げられたその頂点で、彼女の指先は人差し指と中指のみが誇らしげに、少し離れてそれぞれ天を指した。


 堂々のVサインだった。



 おおおおおっ!!


 学校全体がビリビリと震えるほどの大歓声。


 その歓声を合図に、勇次はまるで陸上選手がスタートダッシュをするような格好と勢いで飛び出した!


 リューはそれを迎え撃つが、特に構えはない。

 それは構えが間に合わなかったからではなく、必要無いと感じていたからだった。


(からだが、軽い……)

 リューは羽根のように軽くなった体に、マグマのように滾るエネルギーを感じていた。そして、勇次の動きがよく見えていた。


 ムチのようにしなる突きも、起動が無茶苦茶な蹴りも、軸を自在に変える体捌きも、すべてを捉え、全てを躱した。


 20を優に超える勇次の連撃。

 霞の連撃。

 その全てを、リューは躱しきって見せたのだ。


「すごい! 全部見切ってるよぉ!!」

 澄が黄色い歓声を上げた。


 リューの視界がぶれた。『朧』だ。

「……そこッ!」

 異様に歪んだ空間から飛び出してきた拳を躱し、続く下段回し蹴りを飛び越え、リューは勇次の体を駆け登り、肩に足を掛けてしがみついた。肩車を前後逆にしたような格好だ。

「……鬼頭くん! 勝負です!!」

 そしてリューはそのまま身を縮みこませるようにして、勇次の頭部を全身で抱え込んだのだ。


 勇次の顔を正面から抱き締めるリューの姿に観客はどよめいたり、羨ましがる一部男子の声もあった。


 しかし、当の本人達はここで『決める』と決心し、最後の攻防を始めていた。


 この局面であえて密着されるとは。

 そして、勝負を持ちかける言葉。

 勇次はほぞを噛む思いだった。


 それは間違いなく、この試合を決める『最後の勝負』を誘う挑発。


 一之瀬流は、『虚』すら見切ったとでも言うのか。


 勇次はその事実を受け入れられないでいたが、それでも『この技』に賭けるしかないと思っていた。


『虚』だ。


 ……否。残された技は、もうそれしかなかった。



「オルアアアァッッ!!」

 勇次が叫んだ。まさに気合一閃。


 直後、とんでもない勢いでリュー以外のすべてが回転し始めた。

(う、虚って……落ちるだけじゃないんですかあ?!)

 

 未だかつて無い平衡感覚の混乱は、リューの感覚すべてを滅茶苦茶にした。

 視覚はもちろん、聴覚も触覚も何もかもがバラバラに回転している。


 全身の筋肉が強張り、防御態勢をとる。

 でも、これでいい!


 勇次がこのあと取る行動を1つに絞り、リューはそれに賭けたのだ。


 『しがみついた自分を地面に叩きつける』


 リューは勇次の次の一手を単純かつ勇次らしい、その一手だと信じた。


 投げつけるのか振り落とすのかはわからないが、いずれにしても行動の一瞬前には力むために『息を大きく吸い込む』だろう。その瞬間は体が『開く』はず。

 勢いをつけるなら、尚の事。


 息を吸い込む際、人は余程のことがない限り体を縮ませない。なぜなら、肺は吸気によって膨らむからだ。リューはそれを利用したかった。

 さらにこの技を完成させるには出来得る限り上に乗るような、抑え込む様な格好になる必要がある。 


 そんなに良い条件が揃うものかと言われそうだが、リューは勇次とまみえて以来、彼の性格を分析し、予測してきた。


 そしてリューの予想どおり、勇次は『それ』を選択したのだった。


 (……地面に叩きつけてやる!) 

 勇次はこれで終わりにする覚悟を込めた。

 

 しがみつくリューの体を両手でホールドし、サッカー選手のスローイングのようにけ反り、その反発の勢いのまま、リューを地面に叩きつける!  


 だからりきんだ。

 思い切り仰け反って反発力を溜め、全力を叩き込むために思い切り息を吸い込んだ。


 完璧……!


 リューは勇次の顔面に乗るような格好でそう感じた。この機を逃す九門九龍ではない!


「……九門九龍・『野兎のと』ッ!!」

 リューは勇次の頭部……というか顔面を、体全体を使って、これまで以上に目一杯、抱きしめ始めた!


 ぎゅ〜〜〜!


 と擬音が聞こえてきそうな熱烈なハグに男子生徒から羨望の声が上がるが、勇次は絶望の声を上げたくても挙げられなかった。

(い、息が……出来ない……!)


 リューの締め付けは万力まんりきかと言うほどに容赦がなく、華奢で柔らかだった感触は最初の一瞬だけ。即座に鋼鉄のように固められた筋肉と、それを締め付ける鉄骨の様な骨格が勇次の口も鼻も塞いで呼吸を不可能にし、しかも締め付けの力で頭蓋骨をそのまま握りつぶしに来たのだ。


 勇次はそのまま数歩よろめき、一旦は持ち直すかに見えたがやはり耐えられず、そのまま背後に転倒。なんとかリューを引き剥がそうともがくが、『野兎』は既に完成していた。


 野兎という技は本来、体を丸めて筋骨を収縮させ、身体の耐衝撃力をアップさせてあらゆるダメージをやり過ごす技だが、こういう使い方もある。……ということを、師匠である虎子は感心しながら眺めていた。

「やっぱり天稟あるなぁ。私の妹は!」


 仰向けにもがく勇次。

 更に力を込め、止めにかかるリュー。


 彼女の小さな体を丸めるような態勢と、その身に纏う真っ白な道着が相まって、リューの姿はその技の名の通り厳冬の雪山で見られるような、白い『野兎のうさぎ』の様に見えたという。


「……鬼頭くん」

 勇次が見せる執念のあがきを真摯な表情で受け止めつつ、リューは呟いた。

「私は、必ず勝ちます。奉納試合で、絶対勝ちます」


 勇次はさらにもがく。それはリューの言葉に抗うかのような抵抗だった。

「……鬼頭勇次が出ていれば、なんてことは誰にも言わせません」


 体全体で更に締め込むリュー。まるで囁くような声色は、もはやこの優位性は動かないと宣言しているようなものだろう。


「だから心配しないでください。試合の事も……」

 勇次の動きが鈍くなっていく。そして意識も遠くなる。やがて勇次が限界を迎える直前、その言葉が最後に届いた。

「お姉ちゃんの事も」


「……」

 勇次の動きが止まり、両腕は力なくリューから剥がれ落ち、両足は足掻くのをやめた。


 リューは分かっていたのだ。

 自分の杞憂を。

 虎子への思慕の情を。

 それがとどめとなった。


 そして、その場のすべてが静まり返った。



 春鬼はそれを見て勇次が戦闘不能であると判断。横目で虎子を窺うと、彼女はそれを察した様に同意するような頷きを春鬼に返した。


「勝負あり!!」


 春鬼はその場で立ち上がり声を張った。

 そのよく通る声は、その場にいたすべての人へと伝わり、そして勝者の名前を彼らの記憶に刻みつけたのだった。


「勝者、一之瀬 流!!」





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