第66話 全部出し切ってはじめて

 見切った!!


 虎子と春鬼、澄、そして勇次。

 その場にいた武人会の武人は、リューが鬼頭流・霞を見切った瞬間を直感していた。


(やっぱり武力……揺らぎは技の発動と同時。そして、霞は『遠間からでも』出せる!)

 

 リューは今の感覚を忘れまいと、ほんの一瞬という時間のうちに何度も何度もその感覚を反芻した。

 それはおそらく次の一瞬に来るであろう『次の技』へ対する備えでもあった。


 そうとは知らない勇次。技を見切られたという生々しい屈辱感からか、冷静な判断を失いかけていた。だからなんのひねりもなく、同じ行動を繰り返してしまったのだ。


「!!」

 リューが息を呑む。視界が歪む。

 三度訪れた視界のぶれだ。

 しかし同時に、武力の揺らぎも感じた。

 思わず「来た!」と歓迎に近い声を出しそうになった。


 自分は相手の拳足の間合いにいる。3度目の経験なのでそれははっきりと認識できた。

 例え見えなくとも、確実に何かが来る!


(視覚を混乱させる技……ここで『落ちる技』が来ないということは、これは『手の届く間合い』でしか出せない。では、あの決定打になり得る『落ちる技』は……っ!)


 そこでリューの思考が刈り取られるようにして途切れた。同時に観客から、主に女性からの悲鳴が上がった。

 リューの腹部に鋭くて重い、まさに必殺の前蹴りが深々と突き刺ささっていたのだ。


 視界を奪われたリューの隙をつくように、勇次は全く無遠慮で躊躇のない蹴りを自分と同年代の少女の腹に叩き込んだ。

 来ると分かってはいても、やはり見えない攻撃には防御すらままならないのだ。


 アキはその凄惨な姿をまともに見ていられなかったが、虎子も春鬼も澄も、誰もが真剣な眼差しでそれを見つめている。

 それは覚悟なくては出来ないことだろう。言い換えれば、アキ以外は腹を括ってこの試合に臨んでいるのだ。


 自分の命を賭けてまで何かを成すなんて、まるで時代劇の侍のようだ。

 しかし、リューはそれを地で行っている。もちろん勇次も。この試合は、その名に恥じない『死合』なのだ。その覚悟を、両者が決めている。リューは本気なのだ。

 本気で母の仇を討つという強い意志。

 アキはリューの死闘にその激しさを見た。



 観衆の視線はリューに集中していた。

 決定的な程にクリーンヒットした前蹴り。

 リューの体はくの字に折れ曲がっていた。


 打たれたのは腹部なのに、視界が真っ白に飛んだ。痛みというより苦しさがまずやってきて、直ぐに胃液を逆流させた。


「ぅぶっ!」

 悶絶し、無様に反吐を撒き散らす少女の痛々しい姿を期待する輩もこの世には少なからずいるらしい。


 一体全体どんな人生を歩んだらそんなふうになってしまうのかさっぱり分からない。 


 リューはそんなことを考えながら、迫り上がってきた胃液を寸前で止め、元の場所へと飲み込んだ。


 勇次は直感した。この蹴りは見た目ほど効いていない。

(ダメージを散らされた?!)

 そう、リューは『九門九龍・遮汽さえき』という打撃技の威力を身体の操作で足部接地面へと逃がす技を使用したのだ。


 ただし遮汽はタイミングが難しくあまり実戦向きでは無いが、確実に来るという確信とタイミングさえ合えば、ほぼすべての衝撃を体外へと排出する事が可能だ。


 だが、リューはノーダメージではなかった。少なくとも、胃液が逆流しかける程度には打たれていた。

(タイミング外しちゃいました……でも、これで十分!)


 リューは未だに腹部に居座る勇次の蹴り足をしっかりとホールドし、ゆっくりと顔を上げ、勇次に不敵な笑みを向けた。

「……ふぅん、これが鬼頭流の『朧』ですか? 思ってたほどでもないですねぇ」

 それは明らかな挑発だった。

「霞といい朧といい、鬼頭流のって、こんなものですかぁ?」


 リューの思ってもみなかったセリフに勇次は動揺した。そして、屈辱的な挑発……胸がむかつき、頭に血が上る。だからボロを出してしまう。

「いい気になんなよてめぇ……だったらこれも受けてみろよ!」


 このセリフで確定した。

 今の技が『朧』。残る技が『虚』……あの落ちていく錯覚の技だ。


 柄にもない言葉で挑発した甲斐があったというものだ。もうこれで、警戒するのは『虚』だけでいい!


 そして次の瞬間、リューの足元が一瞬にして消え去った。

(来た! この感覚!!)

 しかし、錯覚だとわかっていても逆らえなかった。人間は本能的に高所からの落下が死に繋がることを知っている。

 だからいくら理論的に捉えようと、体は本能的に防御態勢を取ってしまう。筋肉が緊張し、収縮する。体が縮こまってしまうのだ。


 しかし、これではっきりしたことがもう1つ。『虚』は相手と接触した状態でないと発動できない、ということだ。


 もし違うのなら、これほど決定的な技をこんな接近戦でしか使わないということは無いだろう。

 遠間、もしくは自分の攻撃が届く射程圏内で使えば勝率が跳ね上がるであろうこんなにも便利な技だからこそ、発動条件に制限があるに違いない。 


 それにこの武力の揺らぎは皮膚から直に感じる。やはり鬼頭流の奥義は武力の外部干渉によって成し得るのだ。


 この時点で、リューの仮説はほぼ裏取りが完了していた。


「ぐうぅっ!」

 谷底にでも落ちていく墜落感には抗えないが、今のリューには支えになる頼もしい命綱があった。それは勇次の鍛え上げられた太い脚だ。

「く、九門九龍……『絶離たちばなああ』!」

 リューは勇次の蹴り足を抱え込み、片足タックルの格好で猛進し始めたのだ。

「くっ! おおお!!」

 気合一閃、なんとか倒れまいと踏ん張る勇次だが、九門九龍・絶離はタックルからの寝技、関節技へと繋げるための基本技だけに、リューは長年この技を磨きに磨いてきた。


 転倒必至の平衡感覚麻痺を逆手に取り、そして勇次の逞しい脚を頼りに、リューは前進することに全ての力を集中したのだ。


「うおおおっ!!」

 勇次はなんとしてでも倒れまいと片足で踏ん張るが、程なく限界が来た。

 リューの前進はその凄まじい馬力ゆえについに勇次を抱え上げ、そのまま真っ直ぐに突進し始めたのだ。


 わああー!? と、観客からどよめきとも悲鳴とも取れない声が上がる。

 勇次を抱えたまま、リューは観客の中に突っ込んだのだ。


 観客をかき分け、もしくは跳ね飛ばしながらリューが目指したのは武道場の出入り口だった。

 出入り口にも見物人は大勢いたが、リューは迷わず突進。そして観客たちも巻き込まれまいと逃げまくっていたので出入り口は開かれている。

 しかし、その出入り口は建物側からの出入り口ではなく、建物外側……つまり、ベランダ側に当たる。ベランダ側は人がすれ違う程度の広さしかなく、その外側は転落防止の鉄柵を経て、階下したの職員用駐車場だ。

 

 リューと勇次が初めて拳を交わしたあの日、リューが落下したアスファルトの地面。

 繰り返すようだが、武道場ここは校舎の2〜3階、高さで言えば地面から10メートル近い位置にある。


 リューはそれを全て承知の上で外を目指していたのだ。

「たあああ!」

「おおおお!」

 リューと勇次の雄叫びが一直線に出入り口を突破した。

 そして衆人環視の中、鉄柵に激突。

 鉄柵はその衝撃に耐えられず飴細工の様に大きく変形し、その基礎を支えていたコンクリートはめくれるように崩壊した。


 あっ!!


 短い歓声。

 その瞬間、リューと勇次は宙空にいた。

 その瞬間だけは、それを見ていた観衆にはふたりが宙に浮いて、時間が止まってしまった様に見えたという。


 アキもその瞬間を目撃していた。

 しかし、それもほんの一瞬だった。

 その一瞬ののち、ふたりはアキの視界から消え、駐車場から激しい衝突音が響いた。

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