第64話 全力少年少女
その正拳突きは美しいまでに基本に忠実な、まさに渾身の一撃だった。
両足で踏みしめた地面を体の軸に、
そんな凶暴な拳がリューの顔面で炸裂したのだ。
アキも澄もその光景に絶句したが、同時に直感的な疑問も感じた。それはある程度武道の心得のある者も同じく感じた疑問だった。
『リューは何故、防御をしなかったのか』
或いは、どうして
勇次の正拳突きは力を込めるために予備動作が大きく、ある意味でテレフォンパンチだった。リューの技量なら受けることはおろか避ける事も十分可能な一撃だった。
それなのに何故、リューは何もせずにクリーンヒットを許したのか。
観衆の中では唯一、虎子だけがその答えを知っていた。それは体験したことがあるからだ。そういう意味では、リューも答えを知っていると言えた。
リューは拳に打ち抜かれたまま、吹き飛びそうな意識を必死に繋ぎ止めながら今の一撃を反芻する。
(見えなかった……)
それは拳が速かったからではない。文字通り『見えなくなった』のだ。
勇次の拳が間合いに入った途端、急に視界が目眩のようにぶれ、気が付いたら打たれていた。
何故、何故と疑問は次々に湧いて来るが、今はそれを拾っている時ではない。正拳突きのダメージはあるが、戦闘不能に陥る程ではない。
「……っ!」
歯を食いしばり、リューは未だ触れそうな距離にあった勇次の右腕に両手を絡みつけた。
関節技!!
九門九龍の本質と謳われる関節技。
素早すぎるリューの
「うぁっ!」
試合中とは思えない気の抜けた声と共に、リューは膝の力が抜けてしまった様に態勢を崩した。
ざわっ!
観客は何事かとざわついた。
リューは崩れ落ちる様に前屈し、その落ちてきたリューの顔面を狙いすましたような勇次の膝蹴りが完璧に捉えたのだ!
グヂュッ!
嫌な音だった。
ゴッ、という打撃音よりも濁った音の方が大きかった。
打ち上げる様な膝蹴りがリューの顔面を思い切りのけ反らせたのだ。
リューの鼻からパッと鮮血が散り、そのまま後ろに倒れそうな体は無意識にそれを支え、数歩後ずさる。
勇次はそれを追い掛ける様に踏み込むと、跳んだ。
前転に近い飛び込むような素早い跳躍。その回転は遠心力でその先端、左前足部へと十分な速度と破壊力を伝え、勇次はそれをそのままよろめくリューの顔面へぶち込んだ!
見事な胴回し回転蹴りだった。
バァン!!
爆発音にも似た音はリューの頭部が畳に叩き付けられる音。
激しく打ち付けられたリューの頭部は大きくバウンドし、彼女はうつ伏せに近い
そして勇次は滑らかに着地し、倒れたまま動かなくなったリューを見下ろした。
容赦の無い顔面への三連撃。
その間、時間にして10秒程度。
体感的には、それよりももっと短い数瞬の出来事だった。
その10秒にも満たない間に、勇次は必殺と言ってもいい打撃を、それそのものが急所だと言ってもいい顔面へ躊躇なくクリーンヒットさせたのだ。
会場は静寂に包まれた。
あまりの出来事に全員が言葉を失ったのだ。
アキはその光景に全く現実感がなかった。
約30センチの身長差と、見るからに有り得ない体重差。そして性別の差……女性の顔を攻撃するという凶行。
アキの常識では到底許容できない行為を、勇次は躊躇なく実行したのだ。
たとえこれがお互いが納得した上での『試合』だとしても、やりすぎだ。
アキは『頭に血が上る』とはこういうことかと妙に納得していた。
澄はその小さな顔を小さな両手で半分程覆い、涙目だった。
瞬間、アキの中で何かがはち切れた。
「……ッ!!」
意識せず飛び出していたのだ。飛び出して、試合を止めて、勇次をぶっ飛ばす。
アキはそれだけを考えていた。
だが、何者かに腕を掴まれて動けない。振り向くと、腕を掴んでいたのは春鬼だった。
「……離せよ、有馬さん……」
威嚇するアキに対して春鬼は鋭い瞳で言う。
「行くな。まだ終わっていない」
「……終わってない?」
その横で虎子は目を細めていた。
「勇次もまだまだツメが甘いな……」
リューは明らかにダウンした。
勇次は動かないリューを見下ろして数秒そのままだったが、その状態にようやく疑問を抱いた。
俺は一体、何をしているんだ?
と。
勇次は鬼頭流の技を最大出力で一気に叩き込み、この勝負を最速で終わらせたつもりだった。
そして事実、ダウンを奪った。
……だが、あくまでもダウン。
そのダウンを奪ってから何秒経ったか……数秒? 数十秒?
時間が経てば経つほど、同じように膨れ上がる焦燥感に勇次の心がざわつく。
これがいつまでも続く保証は、無い。
そう考えた途端、勇次の背筋が凍りついた。
自分は最大最強最速の技で勝負を決めた。
その『驕り』が無為の時間を生み、相手に回復の時間を与えてしまっている……!
勇次は掴んだはずの何かが指の間からすり抜けていくような、嫌な感覚に襲われていた。
だから走った。もう一度それを掴むために、追い掛けるように拳を振り上げ、うつ伏せに倒れたままのリューの頭部に目掛けてその拳を振り下ろした。
ドガッ!!
打ち下ろした拳は畳とその下の板張りを粉砕する程に破壊したが、リューの頭部にはかすりもしなかった。
ではリューはどこにいたのかというと、勇次の頭上にいた。
鉄槌打ちの瞬間、リューは体を丸めるようにして回転し、その勢いを両手に伝えてそのまま両腕の力だけで跳躍したのだ。
タイミングよく、勇次は屈んでの鉄槌打ちの態勢。リューの腕だけでの跳躍は期せずして勇次の頭上に達していたのだ。
上昇のエネルギーはやがて落下のそれに変わる。リューはそのエネルギーを自身の膝に全て託した。
「九門九龍……『
リューの繰り出した技は、体ごと落とすような、打ち下ろしの膝蹴り!!
ゴッッ!!
鈍い音と共に、リューの『咲麻』が勇次の脳天に突き刺さった!!
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