第63話 一之瀬流VS鬼頭勇次
リューの初陣は7歳だった。
小学生になって直ぐ、
それ以来、彼女は殆ど苦戦することもなく鬼を狩り続け、今日に至る。
それは単純にリューが強いということもあるが、それ以上に彼女自身の切磋琢磨に依るところが大きい。では、なぜそれが継続できたか……。
リューの胸にはいつでも母への思いがあった。
お母さんの仇は、私が討つ。
そのために、強くなる。
今日はその目標のために絶対に越えなければいけない試練がある。勝たなければいけない勝負がある。
今日、一之瀬流は鬼頭勇次との真剣勝負に臨むのだ。
そう、今日はリューと勇次の決戦の日。
澄は早朝から学校の武道場で行われる試合の準備を手伝っていた。丁度その日に梅雨入りの発表があったが、仁恵之里は晴れていた。しかし、天気とは裏腹に澄の心は曇りまくっていた。
(結局、止められなかった……)
澄はこの2週間、なんとか試合を止められないかと策を練り、そのために奔走したが結果的に試合を止めることは出来なかった。
いや、最後は止めること自体を諦めていたのかもしれない。むしろ、止めるべきではないとまで考えていた。
澄をそうさせたのは春鬼のひとことがきっかけだった。
「……戦うかどうかは、リューが決めることだ」
澄は春鬼に試合を止めることは出来ないかと相談したとき、彼からそう言われたのだ。
(でも、春鬼だってわかってるはずじゃん!)
武人会の武人同士の試合は『死合』にもなり得る。それを承知で真剣勝負に挑むのだ。
そんなことは武人会の人間なら全員が心得ている事だ。武人会に所属していなくても、仁恵之里の武術家の戦いとはそういうものだと皆が知っている。
澄はスマホで時間を確認してその薄い唇を噛んだ。
あと30分もしないうちに試合が始まる。
彼女はリューの勝利を信じている。しかし、それでも……。
「……はぁ〜」
澄が大きくため息をついて虚ろな視線を虚空に投げていると、その目にアキの姿が飛び込んできた。
「ファッ?!」
ため息が破裂したような音が澄の口で炸裂。彼女は即座にアキ目掛けて突っ走り、挨拶代わりのローキックを放った。
「キャオラァッッ!!」
澄の小さな足がアキの太腿にジャストミートし、スパァン! と弾けるような音を立てた。
「痛ってぇ!! いきなり何すんだお前は!?」
「何ってこっちが聞きたいわ! あんたここでなにしてんの?!」
「何って、準備の手伝いだよ……」
「準備なんてどーでもいいよ! なんでここにいるのよ!」
「は? ど、どういう意味だよ!?」
「なんでリューの側にいないのよあんたはぁ!!」
ブチギレする澄に対し、アキは力なく肩を落とした。
「……虎子が来るなって言ってんだよ」
「え? 虎ちゃんが?」
「俺もリューの顔見て声掛けたかったんだけど、虎子がダメだって」
「そうなんだ……なら、仕方ないかぁ」
「やけにあっさり引き下がるな。お前なら今から行くぞとか言い出すのかと思ったけど」
「こればっかりはどうにもならないよ」
澄は再び力なく虚空を見つめて呟いた。
「だって、虎ちゃんはリューの師匠だから。もはや私たちの出る幕は無いって事よ」
力無くため息をつき、澄は近くのベンチに腰を下ろした。
アキもその横に腰を下ろし、ぼんやりと空を見上げた。
「……なぁ澄。なんで鬼頭は奉納試合にこんなにも拘るんだ? リューから聞いたけど、親父さんの仇は討ったんだろ? なら……」
「あいつが拘ってんのは、虎ちゃんじゃないかな」
「虎子? なんで虎子が出てくるんだよ」
「あいつ、虎ちゃんの事がめちゃくちゃ好きなんだよ。本人は隠してるつもりらしいけど、もうバレバレなくらいね」
「……あー、そういえば」
アキは武人会議の時、彼が虎子に見せた意味深な表情を思い出していた。
そして虎子の手が自分の手から離れていくのを名残惜しそうに見つめるその目も。
あれはそういう気持ちの表れだったのだろう。
「でも、だからってなんで虎子が関係あるんだ?」
「鈍いなぁ。虎ちゃんだってリューを奉納試合に出したくて出すわけじゃないでしょ? そりゃ確かに奉納試合出場が武人の誉れみたいなとこはあるけど、そんなの時代遅れだよ。大体、生きるか死ぬかみたいな狂った試合に自分の妹を出場させたいと思う? いくら弟子だって言っても、肉親だよ? リューはお母さんの仇討ちに繋がるからやる気だけど、虎ちゃんはそこまでじゃないっぽいんだよね。もちろん虎ちゃんにとっても仇討ちに繋がるんだろうけど、虎ちゃんの立場なら自分が出るべきだと思ってるんじゃないかな。でもそれは出来ないから、だから色々と葛藤してるっていうか、悩んでるんだと思う」
常世がアキに語った虎子の苦悩。
そして澄が言う、それとはまた別の苦悩。
それを鑑みれば、ここ最近虎子が不意に見せる物憂げな表情も腑に落ちる。
澄はアキがそこに思い至った事を察し、補足するように続けた。
「もしものことがあれば、虎ちゃんが悲しむ。鬼頭はそんなことが起きないように、自分が戦って全部を丸く収めようとしてんじゃないの? つーかあの脳筋バカならそうとしか考えられないでしょ」
澄は呆れたように肩をすくめた。
「どっちみち、もしものことがあれば虎ちゃんは悲しむでしょうに。ホント、男って単純だよね。馬鹿ばっかだ」
一方その頃。
虎子はリューの控室である保健室にいた。
リューを『見届ける』ためだ。
アキは連れてこなかった。それはきっと、リューの覚悟をブレされると考えたからだ。
リューは黙々とストレッチをしていた。
その様子からは不安や迷いは見受けられない。だから、虎子は決心した。
「……リュー」
「はい」
リューは虎子の方を向き、その真摯な瞳で彼女を見た。覚悟を秘めた、良い目だと虎子は感じた。
「今日の試合は、お前にとっての総決算になる。ここで
「……はい」
「分かっているだろうが、奉納試合の本質は現代の感覚とはかけ離れた狂気の沙汰だ。そこで戦う武人の心根……お前は今日、それを感じ、そして知るだろう。知って尚、前へ進むというのなら私はお前の奉納試合出場を認める」
「はい」
「覚悟を見せてもらうぞ、リュー」
「……はい!!」
破裂するような声だった。リューが発したとは思えない、凄まじく攻撃的な声。
虎子はそれを大切なもののように受け取り、頷いた。
「さあ、そろそろ時間だ。行こう、リュー」
会場となった武道場は試合開始5分前には超満員御礼状態だった。
仁恵之里高校の生徒以外にも付近住民や有馬道場の少年部の子供達などで賑わい、皆が皆、武人同士の公開試合という滅多にないイベントに目を輝かせていた。
その様子を見て春鬼は一言。
「お祭り騒ぎになってしまったじゃないか」
と、隣でぽりぽりと頭を掻く虎子に恨めしい目を向けていた。
「まさかこんなに人が集まるとはなぁ。全く、誰が言いふらしたんだか」
「お前が観客を入れようと言い出したんじゃないか。そして町内の会報やケーブルテレビのローカル局で告知したのもお前だろう、虎子」
「多少は盛り上げないとって思っただけだよ。奉納試合は観客いるんだし。でも、ここまで盛り上がるとは想定外だったんだよ」
「……まぁいい。それよりも」
春鬼はその瞳を鋭くして言った。
「リューはどうだ?」
その問いに虎子は真剣な面持ちで答える。
「私は彼女の気持ちを尊重する。あいつはやはりブレなかった。ならば、師である私も覚悟を決めねばなるまい」
「……いいのか?」
「それが仁恵之里の武人の宿命ならば。しかしそれはお前も同じだ、春鬼。」
春鬼は何も答えず一歩前へ出た。そして虎子を背にして呟いた。
「お前も、だろう。虎子」
そして彼は振り向かず歩を進める。
時計の針は10時丁度を指していた。
「……静粛に!!」
武道場の中央で春鬼が声を張った。
その涼やかだが鋭い声色に、騒がしかった武道場が即座に静まり返った。
皆、これから何が始まるかが分かっているからだ。
「これより仁恵之里武人会会則第47条による決闘を執り行う! 該当武人は前へ!!」
春鬼の号令を合図に武道場の両サイド、東側と西側の出入り口からリューと勇次が入場。観客は二人に大喝采を送った。
試合場の中央まで、二人は花道のように空けられたスペースを真っ直ぐに歩む。
これから始まる死闘を予見してか、惜しみない拍手は二人が試合場の中央で立ち止まるまでその勢いを止める事はかった。
ついに対峙した武人ふたり。
勇次の服装は着古したボロボロの空手着だったが、リューは新品かと見紛うほど綺麗な真っ白い道着。
それこそ師匠と弟子の様な光景だった。
何より印象的だったのは勇次の年季が入った黒帯と、リューの純白と形容してもいいような白帯だった。
それはまるでふたりの内面を映し出しているようでもあった。
荒くれ者の勇次と、清廉潔白なリュー。
陰と陽の対決にも受け取れて面白みもあるが、ふたりには陰も陽もない。
あるのは相手を
しかし帯の色が実力の証だということは今更説明する必要も無い不文律だと言っても良いだろう。だからこそこの光景は異様でもあり、やはり面白くもあった。
試合場会場の中央は白いラインテープで四角に囲われ、二人はそこで戦う。
四角い範囲は空手の公式ルールを参考に8メートル4方。ただし、場外は無い。このラインテープも便宜的に貼られているだけで、実際はこの戦いに『待て』は存在しないのだ。
だから板張りのエリアにも全面に畳が設置されていた。
それは激しい戦いを見越した学校側が道場の破損防止のために用意したのだが、それでも足りないくらいではないかと思うほど、勇次の殺気には凄まじいものがあった。
対するリューは表情こそ真剣そのものではあるが、それ以外は普段どおりというか、落ち着いていた。
リューは目の前で眼光鋭く殺気を放つ勇次に対し、右手を差し出した。
「良い試合にしましょう」
しかし勇次はそれを無視した。
リューはそれを別段気に留めるでもなく右手を下ろし、春鬼を見た。それは選手を含めた試合準備が全て整った合図でもあった。
春鬼は右手を高く掲げ、会場の傾注を促す。
「この決闘は武人会が主催する正式なものだ。万全の体制で臨むが、不測の事態もあり得る。その点、異存は無いか」
それはつまり戦闘による死亡もあり得るということ。しかし二人とも沈黙をもってそれに答えた。
つまり、双方了承の上でこの戦いに臨んでいると言う事……それを確認した春鬼は頷き、数歩下がった。
いよいよその時が迫ってきている事をリューと勇次だけではなく、会場の全員が感じていた。
澄が、アキが、虎子が、会場にいるすべての人々が、せり上がってくる様な興奮と熱気と様々な思惑を肌で感じ、それらがこの場の中心にいる二人になだれ込んでいくのをその目で見るような感覚に震えたその時、春鬼が叫んだ。
「始めッ!!」
ワッッ!!
開始と同時に歓声が沸いた。勇次がリュー目掛けて突っ掛けたのだ。
奇襲だ!
しかしリューは動じずそれを迎え撃つように構え、その一瞬を見逃すまいと瞬きを止めた。
開始と同時に勇次が繰り出したのは遠間から踏み込んでの中段の後ろ蹴り……が変化した!
まるでCGの様に後ろ蹴りが踵落としに切れ目なく変化したのだ。
鬼頭流『
それを見た大多数は蹴りの変化に気が付く事が出来なかった。
しかし、リューは寸前でスゥエーバックして勇次の金槌の様な踵を躱した。
リューは勇次の霞を見切ったのだ。
おおっ! と歓声。
そして直後、続く歓声は悲鳴にも似たものだった。
踵落としの直後、勇次が放った深く踏み込んでからの腰を入れた上段の正拳突きが、それに対して何の防御もしなかったリューの顔面に真っ直ぐ突き刺さったのだ。
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