第62話 革命前夜のこの感じ

 「どうしてここにいるんですか?」


その言葉に拒絶を感じた桃井。

 瞬間、大斗と不死美の顔が脳裏に浮かんだ。


 信頼し合うふたり。そしてリュー。

 その中に自分の居場所はあるだろうか。

 その中どころか、その外にも自分の居場所はあるのだろうか。


「締切が、今日だったから……」

 桃井はありのままを言葉にすることしかできない。本当のことだが、何故か虚しい……。


「……そうだったんですか。いつもお父さんがご迷惑をおかけしてすみません」

「い、いいのよ。原稿はちゃんと完成したし」 

 桃井は敢えて不死美の事は言わなかった。


 その様子を見ていたタクシーの運転手はしびれをきらし、

「……お客さん。乗るの? 乗らないの?」

 と、不機嫌そうに声をかけた。

「あ、すみません。乗ります!」

 そして桃井はタクシーへ向かおうとしたが、すぐに立ち止まってリューを見た。

「あの、リューちゃん」

「……なんですか?」

「あのね、私、ハンバーグを作ったの」

「……はい?」

「台所、使わせてもらったの。ちゃんと掃除はしたけど、道具の並びとかが変わってたらごめんね」


 それに対し、リューは何も言わなかった。特に何も言うことがなかったわけではない。

 まさに『絶句』だったのだ。


「じゃあ、またね」

 そう言い残し、桃井はタクシーに乗って去っていった。



 リューにとって、桃井はよくわからない存在だった。

 父の仕事に必要な人物である事は理解している。しかし、それ以外は関係ない。関係のない、女だった。 


 その関係のない女の人が、どうしてわたしとお母さんの思い出の詰まったこの家にはいってくるんですか? この家はお父さんとお母さんとお姉ちゃんとアキくんと、私の家です。

 それなのにあなたはなんでここにいるんですか?

 不愉快です。出ていってください。


 桃井を見る度、そんな黒い感情が波のように押し寄せるのだ。

 そんな非道い感情を認めたくないが、押し寄せるのだ。

 本当に、波のように。


 気が付くと、リューは家に入って台所まで来ていた。

 無意識に台所まできて、冷蔵庫を開け、ステンレス製のバットに整然とならべられた生のハンバーグを取り出してそれを眺めていた。

 その顔に一切の感情がない事は自覚していた。

 台所を桃井が使ったという事実。リューにとってはそれは大きな衝撃だった。もちろん、マイナスの衝撃だ。

 母との思い出の詰まった『聖域』が侵されたとすら感じていた。

「……」


 リューはバットに貼られたラップを剥がし、ゆっくりとシンクへ向かい、シンク横に備えつけてある生ゴミ用のゴミ箱の蓋を開け、そのままバットを180度ひっくり返し……


「リュー?」

 ハンバーグがゴミ箱へと落ちる直前、アキの声がリューを止めた。

「なにしてんだ?」


 リューはゴミ箱の蓋を閉め、アキの方を振り返って微笑んだ。

「桃井さんがハンバーグを作ってくれたそうです」

「それハンバーグか? いま捨てようとしてなかったか?」

「え? まっさかぁ。そんなことするわけないじゃないですかぁ」

 リューはバットに乗ったままのハンバーグをアキに見せた。数個は落ちかけ、元の位置から多少ずれたが、見た目にはそれほどの変化はない。

「……そうだよな。ごめん、変なこと言って」

「いえ、いいんですよ。アキくん」

 リューは何事もなかったかのようにバットにラップを貼り直し、ハンバーグを冷蔵庫に戻した。

「折角作っていただいたんですもの。今晩頂きましょうね」

 リューは笑顔のままだった。



 そして夕食。

 献立はリューの宣言通り、ハンバーグだった。

「……美味しい」

 リューはハンバーグを口にするなり、そう小声で呟いた。続いて虎子も。

「うん、美味い」

 アキも同じ意見だった。これはなかなかの絶品。だけど……

「でも、なんでハンバーグ? 桃井さんって原稿取りに来たんだろ?」

 それを聞いた大斗は首を傾げ、

「さあ? なんでだろうな。俺もなんでなかーって思ったけどさ。まぁ、いんじゃね?」

 と、本心からそう言った。



 そして夕食後。

 居間にはアキと虎子のふたりきりだった。

 疲労困憊だった大斗は夕食後すぐに風呂に入り、そのまま寝るとの事でここにはいない。

 リューは食事の片付けをしているので台所にいる。

 だから居間にはふたりきり。なんとなくけてあるテレビが騒がしいだけで、アキも虎子も無言だった。


 それは、ふたりとも同じ事を感じていて、その理由がやや重たいものだったからだ。

「……リュー、元気なかったな」

 沈黙に耐えかねたアキが呟いた。

「そうだな。箸も進んでいなかった」

 虎子はリューがハンバーグに殆ど箸をつけていなかったことに気付いていた。実は、アキもそのことに気がついていた。

「でも、美味かったよな」

「リューもそう思っているさ。だが、感情がそれを認めなかったんだろう」

「……」

「リューに悪気は無い。だから……」

「わかってるよ、虎子」

 虎子がリューのフォローをしようとしたことをアキはわかっていたし、アキ自身もリューの事をわかっているつもりだ。だから、それを咎めるつもりは毛頭なかった。

「わかってるからさ、この話はやめようよ……」

「……そうしよう」


 虎子は視線を落とし、おもむろにスマホを取り出した。

「では、話を変えるが……アキ。お前、蓬莱に会ったのか?」

「え? なんで知ってんだよ」

「あいつからメールが来たんだよ。アキによろしくってな。で、何回銃口を向けられた?」

「……3回だよ。別れ際なんて銃口向けながら笑顔で手ぇ振ってんだよ。わけわかんねーよ」

 それを聞いた虎子は爆笑した。

「はっはっは! 3回も? しかし、3回やられて生還するとは。蓬莱が欲しがるわけだ」

「いやいや、勘弁してくれよ……つーか虎子、常世さんってお前の先輩だろ? 呼び捨てとかあいつ呼ばわりとかしていいのかよ?」

「別に? 蓬莱とは長い付き合いだからな。私たちの間には既に先輩後輩の壁など無いのだ」

「お前には誰に対しても壁ねぇだろ……」

「ふふふ、それはまあそうだが、それだけ皆と信頼しあっているということさ。ところでアキ、お前は蓬莱の弟子になるのか?」

「いや、ならないし……大体、常世さんって何者なんだよ。なんでライフルとか拳銃とか持ってんだよ」

「ん? あいつは自分で説明しなかったのか。何の説明もせずに勧誘するとは、相変わらずせっかちな奴だなぁ」


 虎子はテーブルの上にあった新聞の折込チラシの裏に『蓬莱流砲術』と書いた。

「ほうらいりゅうほうじゅつ、と読む。蓬莱はその蓬莱流砲術を修めたれっきとした武術家なんだよ」

「砲術? なんだそれ??」

「元々は火縄銃の扱いや、その射撃の命中精度を極めんとする武術だ。やがて武器の進化に連れて扱う銃火器も多様なものになっていくが、蓬莱流はそこに徒手格闘、武器格闘、火薬爆薬の扱い、罠術、そしてサバイバル術など、幅広い戦闘の技術が詰め込まれている。……どちらかといえば、あいつは武術家というより軍人、兵士といった方が正しいな」

「あー、なんか兵士がどうとか言ってたなぁ……」

「しかし、それは決して比喩ではない。実際、蓬莱流砲術の教えを請う軍隊や特殊部隊は多いようでな。蓬莱あいつはしょっちゅう各国の軍やら特殊部隊やらに呼ばれては、自分よりふた周りはデカい屈強な男たちを相手に講習をしている。それが結構な小遣い稼ぎになるとかなんとかで、あいつの本職は神社の巫女だというのに何ヶ月もその神社を空けることもあるんだぞ。けしからん奴だろ?」

 そんなことを言いつつも、虎子は楽しそうだった。


「特殊部隊に教えてんのか? あの人そんなに強いのか……そんなふうには見えなかったけどな。かなり美人だし」

「強いというか、火力かりょくが桁外れというか……とにかく、蓬莱は武人会に所属していない『民間人』で唯一、鬼と渡り合える実力を持った人間なんだ。私はその実力を見込んで事あるごとに武人会に勧誘しているんだが『バイトが忙しい』とかなんとか言って何年もそでにされているんだ。この私、直々の誘いを何度も断って平然としているとはいい度胸だよなマジで」

「お前にそこまで言わせるなんて……大人しくて優しそうな人なのになぁ」

「あの見た目に騙されて泣かされた奴は世界中に大勢いるぞ。あいつの講習はたった一人が仕切る地獄の軍事演習だと世界中の兵士から恐れられ、それを心底楽しそうに実行する蓬莱のことを世界中の兵士達が畏敬の念を込め「オーガ」と呼んでいるそうだ」

「俺、絶対に常世さんの弟子にはならないから」


 すると台所からお盆にお茶を3つ乗せ、リューがやって来た。

「蓬莱先生は自分にもお弟子さんにも厳しい方ですからね。武人会でも年に一回、警備の方々が蓬莱先生に稽古を付けていただくんですが、稽古の前と後では警備の方の表情が全然違いますからね。すごく逞しくなるというか、険しくなるというか」

「そりゃそうだ。皆、地獄を見てくるからな」

 虎子はお茶を一口すすり、笑った。


「そうかもしれませんね」

 リューも微笑んでいる。

 幾分元気を取り戻した様でアキは安心した。

 虎子はその様子に『を伝えても差し支えない』と判断した。



「リュー」

 虎子の声色から察したか。

「はい」

 リューは背筋を伸ばした。


「勇次との対決は来週の土曜、午前10時から仁恵之里高校武道場にて行われる事に決まった。立会人は春鬼だ。当日、武道場は開放して観客を入れる。恥ずかしい試合はできないぞ、リュー」

「心得ています」


 アキは声が出てこなかった。

 本当にやるんだなという緊張と、本気でやるのかという疑問がせめぎ合い、言葉が出てこない。

 そんなアキの視線は口ほどに物を言っていたのか。リューは真剣だった表情を解きほぐし、いつものように笑って言った。


「大丈夫ですよアキくん。私は、絶対に勝ちます!!」



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