第58話 魔法学園漫画学科卒

『桃井みつき』。

 その女性の名を聞けば、多くの漫画作家が震え上がるという。


 大手出版社の若手敏腕編集者という肩書は表向きのもので、その実は闇金の取り立て並みの執念で原稿を毟り取っていく麗しの女傑。

 大御所漫画家にも真っ向から挑んでいく姿についたあだ名が『進撃の桃井』。


 カワラザキ引退後、十傑集入りも十分有り得ると、分かる人にしか分からない例え方で恐れられる桃井に、大斗も例外なく恐怖していた。



「原稿、出来てないんですね」

 感情の全く無い声が彼女の心中を物語っている。

「あ、え、いや、下書きはできてるよ。あとはペン入れと、彩色が……」

「それって出来てないってことですよね」

「……すいません」

「謝って済む問題ではありませんよね」

「う、うう、うぇぇ……」

「今日ですよ、締切」

「……」

「今日、です」


 桃井の放つプレッシャーに押し潰される寸前の大斗。もはや頼れるのは奇跡だけという段階だ。この時点で桃井はすべてを諦め、編集部に差し替え原稿の依頼と、謝罪文の内容を考え始めていた……その時だった。


「魔法……」

 大斗が呟いた。

「……は?」

「魔法……魔法だよ。魔法を使ってさぁ、時間を止めてさぁ、その間に原稿仕上げりゃいいんだよ……デュフフフ」

「……」


 さすがの桃井もこんなにあからさまな現実逃避をする作家は見たことがなかった。追い詰められた作家は多かれ少なかれぶっ壊れるものだが、大斗は既に異世界にイッてしまったのだ。 


「……わかりました。今回は代わりの原稿を手配します。しかし先生、これは信用問題に……」

 そんな厳しい現実を大斗に突きつける桃井だが、そこで言葉が止まった。背後に何者かの気配を感じたのだ。 


「もし」

 その気配は声を発した。とても淑やかで、美しい声だった。 


「桃井さんではなくて?」

「え? ひ、平山さん……??」

 振り向くと、仁恵之里駅で出会った黒いドレスの美女、平山不死美が立っていた。


「はぅあッ?! な、なんで平山さんが!? いつの間に!? どこから?!」

「あら、やっぱり桃井さん。お得意様というのは、大斗さんでしたの?」


 にっこり微笑む不死美に現実感が全く無い桃井。夢か幻か、桃井の明晰な頭脳はそれだけに混乱を極めた。


(な、なんなのこの人? ていうか、なんで大斗さんのこと、知ってるの??)

 もはや恐怖だ。突然背後に現れたのに何の説明もないのが本気で怖い。しかし、大斗はそんな桃井の恐怖とは真逆の反応だった。

「不死美さぁん! 来てくれたのか!」

「はい。呼ばれた気がしたので」


 二人は顔見知りのようだ、ということしかわからない桃井。もう、なにがなんだか……。


「あ、あのー、ええと……」

 置いてけぼりの桃井をちらりと見やり、不死美は大斗に耳打ちをした。

「……大斗さん、桃井さんとはどのようなご関係で?」

「俺の担当さんだよ。漫画のね。てゆーか、不死美さんこそ桃井さんと知り合いだったのかよ」

「まあ、編集者さんでしたか。桃井さんとは先程、仁恵之里駅でお会いしてそのままお友達になりました。時に大斗さん、桃井さんは『仁恵之里の事』をどの程度ご存知かしら?」

「まぁ、単なる田舎としか思ってないだろうね。武人会のことも話してねぇし」

「では、わたくしの素性も伏せておいた方がよろしくて?」

「……魔法使いって言っても、信じねぇだろうけどな」


 話は纏まった。不死美はくるりと振り返って桃井を見つめ、そしてにっこりと微笑んだ。 


「桃井さん、実はわたくし、時折こうしてここにお邪魔して、大斗さんのお仕事の助手を務めさせて頂いているのです」

「は? 助手?」

「ええ。アシスタントと言ったほうが正しいのかしら」

「アシスタント? 漫画のですか?」

「はい。ですから、私がここに居るのは必然でしてよ」

「え、ええ? ええと……??」


 桃井は未だに混乱状態から脱せずにいたというか、ますます深みにはまっていく心持ちだった。


「あ、あの、先生。大変失礼ですが……」

 桃井は不死美を横目に、大斗だけに聞こえるように小声で言うが、大斗には桃井が何を言わんとしているかは先刻承知だった。

「不死美さんがホントにアシスタントなのかってか?」

「というより、その能力がお有りなのかどうか……だって、見た目からしてサブカルチャーに興味なさそうじゃないですか?」


 気品に満ちた黒いドレスを纏う不死美からは、確かに漫画の気配は皆無だった。しかし、大斗は首を横に振った。


「いやいや、あの人を見た目で判断しちゃダメだよ桃井さん。昔っからよく世話になってんだよ。そうだ、試しに何か描いてみてよ、不死美さん」

「わたくしが桃井さんのお眼鏡に叶うかどうかの試金石になさるおつもりですのね。お安い御用ですわ。大斗『先生』」

 いつの間にか桃井の背後に立っていた不死美が微笑む。


(こ、この人、気配が全然しないんだけど……)

 と、桃井が戦慄している間に不死美は大斗からスケッチブックを受け取り、鉛筆をサラサラと走らせた。

「では、わたくしの大好きな絵を……はい、出来ました」

「え? もう??」


 不死美が何かを描き始めて1分も経っていないが、彼女は満足そうにスケッチブックを桃井に差し出した。

「はぅあ! こ、これは……」

 桃井の全身に電撃が走った。不死美が手渡したスケッチブックいっぱいに、超絶精密に描かれていたのは、いわゆる曼荼羅まんだらだった。


「国宝、両界曼荼羅の模写です。如何でしょうか?」

「いや、いかがっていわれても……」

「曼荼羅とは仏の世界の真理を図様として表現したものです。魔の真理を追究するわたくしのそれとは異なる世界観ですが、それだけに惹きつけられるものがあるのです」

「は、はぁ……(ちょっと何言ってるのかわかんない……)」


 しかしながら、その画力は超絶技巧と言っても差し支えのないものだった。というか、あの僅かな時間でこれを描き上げる時点で最早人間の能力を超えている。 


「さぁ桃井さん。専門家あなたの審美眼はわたくしを大斗さんの漫画助手足り得るものとお認めになりまして?」

「あ、あの、もう少し漫画寄りの……なんていうか、流行りの絵も見てみたいな〜、なんて……」

「流行り、と仰られても具体的にどのようなものを描けば良いのでしょう。お手本になるような物はお有りですか?」

「そうですね。じゃあ……このキャラクターを描いてみてください」 


 桃井はスマートフォンで画像検索し、大ヒット中のゲームに登場する女の娘のキャラクターを不死美に見せた。 


「まぁ可愛らしい。でも、なぜ彼女には尻尾が生えているのですか? あと、頭から耳のようなものまで……獣人族の方かしら?」

「り、理由を聞かれても……というか、マンガのアシスタントをするというくらいなら、その程度のサブカルチャーに対しての知識は持ち合わせていてもらわないと……」

「はい、出来ましたわ」

「え?! はやッ!! そして上手ウマッ!!」


 時間にして10秒足らず。不死美は桃井のお小言が終わらないうちにお手本どおりの『流行りに則ったイラスト』を描きあげていた。


「う、上手い……さっき曼荼羅描いてた人と同じ人が描いたとは思えない……」

 不死美は模写とは思えない見事なイラストを描いてみせた。

 それは桃井の目から見ても必要十分を遥かに超える技量だった。このままデビューしても問題なくのし上がっていけるであろうレベルだ。


「平山さん、どこでこんなテクニックを……?」

「どこで、ですか? ……思えば、様々な方々から御指南を頂いたものです。ダ・ヴィンチ先生やレンブラント先生……誰もが才能にあふれる素晴らしい芸術家でした。そうそう、ルノアール先生の女性好きには苦労しましたわ」

「は、はあ……?」


 思い出を懐かしむように微笑む不死美だが、桃井には意味不明でしかない。そんな不死美に大斗はこっそり耳打ちした。


「不死美さんダメだよ、そんなこと言ったらあんたが何万年も生きてる魔法使いだってバレちゃうよ」

「大丈夫ですわ大斗さん。きっとジョークだと受け取ってもらえますわよ」

「まぁ、そりゃそうだろうけど……」

「ふふふ、でも、桃井さんは勘がよろしいようです。もしかしたら……」

「マジ? めんどくせぇ事にならなきゃいいけどなぁ。刃鬼さんにあれこれ説明するのいやだよ〜」

「有馬会長は完璧主義でいらっしゃいますからね。説明もそれなりのものでないと……」


 こそこそと、どこか楽しそうな二人の姿に桃井のジェラシーが猛烈に掻き立てられる。

(な、なにふたりでイチャコラしてんよ……!)

 その時、桃井は改めて自覚した。自分は大斗を『男性』として意識していることと、不死美を『ライバル(かも?)』として受け止めていることを。


「ちょっ! わ、わかりました。私としては原稿がきちんと仕上がればいいのでっ! では平山さん、おねがいします!」

「あら桃井さん、私達はすでに仕事でもプライベートでも密な関係です。わたくしのことは不死美、と名前で呼んでくださいまし」

「よろしくおねがいします! ひ、ら、や、ま、さん!!」

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