第55話 魔女と漫画編集者
その頃、仁恵之里駅に一人の女性が到着した。
見るからに仕事が出来そうなルックス。女性らしい恵まれたスタイル。そして、どこか幼さの残る端正な顔立ち……そう、彼女こそ漫画界の明日を見つめる敏腕編集者・桃井みつきだ。
桃井は一向に繋がらない携帯の画面を鬼の形相で見詰めていた。画面には『一之瀬大斗』の表示が。
「なんで出ないのよ……締め切り、今日なんですけど……」
見る者が見たら彼女の周囲はその怒気によってぐにゃ〜と歪んで見えた事だろう。
桃井は無人の改札を出て、タクシーを拾うべく駅前のロータリーへ向かったが当然の様にタクシーどころか車の一台もない。バス停のバスも1時間に1本あるかないか……田舎あるあるだ。
「なああっ! んんんっ! でえええっ!」
奇声を発し、
「とにかく急いでください! こっちは死活問題なんですよぉ! おねがいします!!!」
電話を切り、桃井は近くのベンチへ乱暴に腰を下ろした。
「大斗さん、締め切り忘れてんじゃないでしょうね……」
大斗は連載漫画の他にもう1つイラストの仕事を請け負っており、その担当も桃井が努めている。
それぞれの締め切りのスパンは約2週間なので締め切りは月2回なのだが、大斗はその締め切りを大体守らない。データでのやり取りを嫌う大斗に配慮して編集部は桃井を派遣しているのだが、ここのところ大斗の遅筆にブーストがかかっており、締め切りギリギリでなんとか間に合うといった状況になりがちだった。
(私のやり方がいけないのかな〜。せめてイラストだけでもデータ入稿してくんないかな〜。原稿取りに来るだけで一日仕事だもんなぁ。仁恵之里、遠いよぉ……)
桃井は仁恵之里の高い青空を眺めながらそんな事を考えるのだが、実は
原因は大斗にあった。
桃井は大斗と仕事をするにつれて彼に少しずつ惹かれていったのだ。
荒くれ者の様な風貌にも関わらず繊細なタッチの漫画を描く彼の姿に惹かれ、その少年の様な心根に惹かれ、母性をくすぐる『放っておけなさ』に惹かれ……いつしか桃井は大斗を『男性』として意識するようになっていったのだった。
(ああ、それにしても何にもないところだなぁ。コンビニすらないなんて)
周りを見回す桃井。ふと、何者かの視線を感じた。
(……誰?)
気配の方向を見ると、黒い日傘をさした黒いドレスの女性がこちらを見ている。
(こんなところでドレス? 暑くないのかな)
6月に入って随分気温も上がってきた。もう半袖でもいいぐらいなのだが、その女性は日傘こそさしているが、まるで貴婦人の様なドレスを纏っている。季節感がまるでなかった。
(……こっち見てるし)
ドレスの女性は桃井と目が合うとにっこり微笑み、桃井へと歩み寄ってきた。
(え? なになに? 知ってる人??)
しかし、記憶にない人物だった。もし一度でも会ったことがあるのなら、その美貌を忘れる事など有り得ない。その女性は、それほどの美女だった。
(しかもスタイル抜群! ……モデルさん?)
桃井はその美女の完璧さに呆然とし、会話の出来る距離まで接近していた事を、彼女から話し掛けられるまで気付かなかった。
「あなたは、仁恵之里の方ではありませんね?」
まるで鈴のようなきれいな声だと、桃井は息を飲んだ。
「は、はい。仕事で来ています……」
なんでそんなことを尋ねられるのかわからないが、桃井も何故か答えてしまった。
この
「わたくしは平山不死美と申します。以後お見知り置きを」
「え?! あ、あの、私は桃井みつきです……よ、よろしくおねがいします」
わけもわからないまま自己紹介をする桃井。完全に主導権を握られているようだった。
「桃井さん……わたくし、あなたとお会いしたことがあるような気がするのですが」
「す、すみません。多分初対面だと思います」
「そうですか。おかしなことをお尋ねして、申しわけありません」
「いえいえ、とんでもない」
不死美は友好的な微笑みを桃井に向けていたが、桃井は困惑していた。何者かもわからない美女に突然話しかけられたら、誰でもそうなるだろう。
「桃井さん。失礼ですが、これからどちらへ?」
「え? 仕事で……と、得意先に伺うっていうか、なんていうか……」
初対面の人物に漫画編集者の仕事を説明しても理解し難いと思い、はぐらかすような言い方をした桃井。不死美に対する警戒感もあった。
「ど、どうしてそんなことを訊くんですか?」
桃井の問いかけに、不死美は視線をほんの少しだけ鋭くして答えた。
「仁恵之里は、大変危険な場所だからです」
「危険? 無茶苦茶平和そうに見えますが……」
「昼間はそうですね。ですが、夜は十分注意なさる事です。特に、夏場は」
「ええと、それは、不審者が出る的な?」
「鬼が出るのです。怖い怖い、鬼が」
「……鬼ぃ?」
からかわれているのか、それともちょっとアレな人なのか。不死美の美しさの裏に見え隠れする得体の知れない何かに、桃井は薄ら寒いものを感じた。
「んー、まぁ、十分注意しますね、あはは」
桃井はとりあえず笑って流すことにした。鬼なんてバカバカしい。つーかドッキリか何かなのかと隠しカメラを探してみるが、さすがにそれはなさそうだ。
「……桃井さん。あなたとは良いお友達になれそうですわ」
不死美の微笑に桃井の胸が鳴る。同性をも惹きつける魅力は確かだが、薄気味悪さも正直感じる。
「そ、そうですね。よろしくおねがいしますね。あははは」
「それでは、わたくしはこれで。あなたにもお迎えが来たようです」
不死美が視線を投げた先をつられて見ると、遠くにタクシーが見えた。
「あ、本当だ。でも私がタクシーを待ってるってなんでわかったんで……あれ?」
桃井は不死美の方を振り返ったが、既に不死美はいなかった。
「え? え? 平山さん?」
立ち去ったというより、消えてしまったと言ったほうが正しい。そんなふうに、不死美は忽然と姿を消してしまったのだった。
(何だったの、あの人……もしかして、魔法使い?)
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