第53話 お医者さんごっこ

 お医者さんごっこ……だと……?


 夕日の赤に染められる保健室。

 遠くに聞こえる部活動の生徒の声。

 目の前には潤んだ瞳を上目遣いにして、自分を見詰める美少女おさななじみ


 そこに「お医者さんごっこ」というパワーワードまで追加されればそれはすでに青春の数え役満と言っても過言ではなく、この機を逃せば生涯後悔するビッグウェーブ到来と間違えようがない。


「わ、わ、わかった。じゃあ、俺が医者役でいいか?」

 アキの提案にリューはこくんと小さく頷いた。


 アキは自らを鼓舞した。

 ここで決めなければ男が廃るというものだ! と。


「で、ではまず、シャツを脱いで」

「えっ?! 脱ぐんですか???」

「嘘です。まずは問診します」


 聴診器による『もしもしプレイ』を前提といていたアキはリューの反応で即座に方向転換。背中に冷や汗をべっとりかきながら、内科医からカウンセラーへと緩やかにジョブチェンジしていった。


「さ、最近の悩みなどを訊かせてもらえますか?」

 アキは、これはあくまでもごっこ遊びだと自分に言い聞かせながらカウンセリングを続けた。

「悩みじゃなくても、心配事とか、そういうものでもいいですよ」

「心配事ですか……。あります」

「ほ、ほうほう。それはどんな事ですか?」

「……私は、自分の未熟が心配なんです」  


 自分の未熟、とはどういうことだろうか。

 リューは視線を手元に落としたまま続けた。 


「私はお母さんの仇を本当に討てるのか、という事と、それをやり遂げたあと、自分がダメになってしまうんじゃないかって……そんな事を考えてしまうんです」


 思いの外、真剣な内容にアキは緊張した。リューの表情は「ごっこ」のそれではない。

彼女はアキに相談するように、心のうちを吐露している。


「……自分がダメに? なんでそんなふうに思うんだ?」

 アキはめ、『国友秋』としてリューの話を訊く事にした。


「……鬼頭くんは5年前の奉納試合で師匠であるお父さんを亡くしています。その年の奉納者は正武人だった鬼頭くんのお父さんだったんです。対戦者の鬼は甲種上位こうしゅじょういっていうマヤに次ぐランクの鬼でした。それで、鬼頭くんのお父さんはその鬼にけて、その場で……」


 そこで何が起きたのかリューは言葉を濁したが、奉納試合がどんなものかの概要だけしか知らないアキでも、その後の出来事は容易に想像できた。


「それから鬼頭くんはお父さんの仇を討つためにすごく努力して武人になって、去年の奉納試合で仇討ちを果たしました。武人会の武人として鬼を大勢退治して、5年前にお父さんを殺めた甲種上位の興味を引いて、奉納試合の舞台に引っ張り出したんです。全部鬼頭くんの計画通りだったんです。5年もかけて……すごい執念です」

「そうだったんだ……でも、それとリューの事と、どんな関係があるんだ?」

「鬼頭くんはお父さんの仇を討った後も努力して、さらに強くなっています。そして、今年の奉納試合も私に代わって出場したいって言ってます。そのモチベーションが凄いと思うんです。私も同じ様な身の上なので、鬼頭くんの気持ちは痛いほどわかります。でも、私は仇討ちを果たしたあと、彼と同じ様に武人会の武人としての『気持ち』を維持できるか、鬼頭くんを見ていると不安になるんです。彼とは違い、私は「そこ」で終わってしまいそうで……」


 リューの声はか細く、今にも消え入りそうだ。


「……私はこの12年間、私なりに努力してきました。お姉ちゃんを信じて、九門九龍を信じて、必死に鍛錬してきました。それだけの自負もあります。鬼頭くんにも絶対に負けません。呂綺ろき乱尽ろんじんにもきっと……でも、自分に打ちつことができるかどうか……もし、目的を果たして抜け殻のようになってしまったら、お姉ちゃんやお母さんや、応援してくれたみんなを裏切ってしまう事になる。そう思うと、怖くて……」


 ぐすん、という濁った音は、リューが鼻を啜った音だ。アキと目が合うと、今にも崩れ落ちてしまいそうな顔を無理やり笑顔にする彼女が切ない。


「ふふ。可笑しいですよねこんなの。まだ何もやり遂げてないのに、済んだあとのことを考えちゃうなんて。私は決して逃げ出したいとか、やりたくないなんて思ってもないのに、すごくネガティブな事を考えてしまって。こんなの、変ですよね」

「……いいや」

 アキはリューの手を取った。薄くて華奢な、普通の少女のてのひらだ。


 手を取った瞬間、彼女の肩がぴくんと跳ねたが、拒否の気配はなかったのでアキはその手を優しく握った。どうしてか理由は分からないが、彼はそうしたかったのだ。


 まるで陶器のように滑らかなリューの指。この小さな手がどれほどのことをやろうとしているのかを思うと、アキは切なくて、胸が張り裂けそうになる。


「全然変じゃないと思う。誰だって、何してたって、不安だよ。俺だって何も覚えてなくてさ。仁恵之里とか、武人会とか、よくわかんねーけどいきなり放り込まれて。でも、みんな良くしてくれるし、ここで生きて行こうって思えて、でも、やっぱり不安で、怖くて。俺なんかに比べたらリューの方がいっぱい怖い事とか不安な事とかあるだろうし。それなのに、すごいよ、リューは。だって、いつでも前を向いてるから」

「アキくん……」


 リューの手がアキの手を握り返してくる。そこにどんな感情があったのかはお互いが確認をしない限りわからない。


 しかし、気持ちが溶け合うような感覚を、お互いが感じていた。


 ふたりを隔てていた12年という時間を、ふたりでゆっくりとほどいていくような、そんな優しい感覚だった。


「リューはリューの信じることを、正しいと思うことをやればいいと思う。どんな結果でも、どんなふうになっても、リューはきっとリューのままだよ。それは、変わらないと思う」


 アキが顔をあげると、リューは目に涙をいっぱいに溜めて、今にも泣きそうな口元を精一杯に動かして、

「ありがとうございます」

 と言って頭を下げた。その拍子にポロポロと溢れた涙が、彼女のスカートに小さな染みを作った。


「そ、そんな大げさだよ。顔上げろよ……」

 潤んだ瞳は次々に涙の雫を落としていく。アキはテーブルの上のティッシュを数枚取って、リューの涙を拭った。


「……アキくんは昔となにも変わってませんね。いつも、すごく優しいです」

 そんなことを言いながらにっこりと微笑むリューの笑顔が気恥ずかしくて、アキは思わず視線を逸してしまう。


「あ、あのさ。俺になにかできることがあったら、遠慮せずに言えよな。普段世話になりっぱなしだしさ」

「……そうですか? じゃあひとつだけ」

「ああ、俺にできることならなんでも」

「……アキくん。ずっと、いつまでも、私のそばにいてください……」


 その言葉に重なるように、下校を促す校内放送のチャイムが鳴った。


 キーンコーン、という電子音が静かな保健室には大きすぎて、リューの言葉はアキには届かなかった。


「ん、ごめん。聞こえなかった。いつまでも……なんて?」

 アキがそう聞き返すと、リューはにっこりと微笑んだ。

「……いつまでも優しいアキくんのままでいてくださいって、言ったんですよ」


 少しずつ明るさを落としていた夕日が、今はふたりの微笑みを優しくて照らしていた。

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