第52話 夕暮れは別の惑星

 再び静けさを取り戻した武道場。澄はアキに駆け寄り、彼の体をあらためた。


「怪我はないみたいだね。よかった」

「ああ、でも……」

 アキは自分を守るように勇次の真正面に立つリューの背中を見つめた。

「うん、もうあたし達の出る幕じゃないね……」

 澄の言うとおりだ。もう、二人の間では話がついているようなものだろう。


「で、どうする? 一之瀬」

 勇次は確信を持って問う。リューはまっすぐに勇次の瞳を見つめて言った。

「わかりました。あなたとの決闘、受けて立ちます」

 彼女の声に、迷いは無かった。


 この結果に澄はため息とともに肩を落とし、勇次は対照的に満足気に笑った。

「じゃあ、あとは俺がやっとく」

 勇次はそれだけ言うと何事もなかったかのように武道場を後にした。


「リュー……」

 澄は心配そうにリューの唇の血を拭いた。

「澄、大丈夫ですよ」

「でもさ、もうあたしに出来ることってこのくらいだし……せめてこれくらいやらせてよ」

「ありがとうございます、澄」

 アキは軋む体をなんとか起こし、リューへと近づく。

「リュー、ホントに大丈夫か? 鬼頭のやつ、思いっきり蹴りやがって……信じられねぇ」

 アキは純粋にリューが心配で、彼女の顔に傷でもできてたら大変だという気持ちでリューの顔を覗き込んだ。するとリューは飛び上がるように驚いて、顔を真っ赤にして俯いた。

「だ、だだ大丈夫ですよっ」

「いやでもガラスぶち破って階下したまで落ちてるし……」

「あ、あのくらいどうってことないですよ。鬼頭くんも本気じゃなかったと思いますし」

「え、あれでか?」

「はい。小手調べ程度の攻撃だと思います。私もそうでしたし……」


 あの攻防が小手調べ? 武人会の武人の強さの基準がますますわからなくなるアキ。

「でも、とりあえず保健室は行っといた方がいいよ。くちんとこは切れてるだろ? 血が出でるし」

 アキはリューの唇の端を指差す。確かに、深くはないが鋭い切り傷から出血している。

「だ、大丈夫ですよ。日頃の稽古のおかげでこのくらいすぐに治ります」

「よくわかんねーけど早く行くぞ」

「え?!」

 アキはリューの手を引こうとその手を取ったが、リューはそれが予想外だったようだ。

「あ、アキくんと行くんですか?」

「え? ダメか?」

「い、いえ、ダメじゃないですけど……」


 頬を赤らめるリューのあわあわぶりをニヤリと見つめる澄。彼女は二人に気取られないようにそーっと武道場の出入り口へ向かい、

「そんじゃアキ、リューをよろしくねっ!」

 と言い残して足早に武道場を後にした。


(邪魔者はさっさと去るぜ。放課後の保健室でイチャコラするがいいっ!)

 澄は親友の恋路を妨げまいと、一直線に帰宅したのだった。


「す、澄ぃ……」

 リューは力なく澄の背中を見送る。アキは澄の真意を知ってか知らずか、

「さ、リュー。保健室いくぞ」

 と、彼女を武道場から連れ出したのだった。


………

……



 放課後の保健室に養護教諭の姿はなかった。

「勝手に入りますよ〜」

 アキはリューの手を引いて、保健室へと入った。夕日の差す保健室にふたりきりという空気にリューは色々と緊張したが、アキはむしろリラックスした様子で、

「セルフサービスでやれってことかな?」

 などと、冗談を言う余裕すら見せた。


 アキは慣れた手付きでガーゼや消毒液を準備する。

「とりあえず座りなよ」

 アキに促されるまま、リューはパイプ椅子に腰を下ろした。

「アキくん、保健室の先生みたいです。どこかでこういう事を勉強したんですか?」

 リューは心底感心するように言った。

「……いや? 我流だよ。東京にいた頃、まわりに怪我人多かったから。消毒とか止血とか、よくやったよ」

 それがあの地下闘技場の事だと察したリューは、それ以上何も言えなかった。


「とりあえずくち、拭いとこっか」

 そう言って差し出されたウエットティッシュで口元の血を拭うリュー。アキはその口元を見て驚いた。

「あれ? 傷が無い??」

 アキは2度見、3度見したが、さっきまであった鋭い切り傷が、きれいさっぱり消えていたのだ。

「……武力ぶぢから効果ちからです。武力は生命力を何倍も底上げする効果があって、自然治癒力も同じ様に強くなります。このくらいの怪我なら、すぐに治っちゃうんです」

「へー……マジかぁ」

 アキはあまりの驚きに意識せず、自然とリューの口元に触れてしまった。

「っ!!」

 リューも不意をつかれたか、飛び跳ねるようにビクついたのでアキも我に帰り、たったそれだけの行為ことなのに、純情なふたりは揃ってもじもじするのだった。


「あ、そうか〜」アキはその場を取り繕うように、わざとらしく手をポンと打った。

「さっき言ってた「日頃の稽古のおかげ」って、こういう事かぁ」

 とオーバーリアクションで言うと、リューも

「そ、そうです! 稽古の中に武力を育む要素がありますから、そーゆーことです!」

 なんていうやり取りで、ふたりはその場を乗り切った。


「あー、でも、傷がないなら俺の出番は無しかな?」

 アキはそう言って席を立とうとした。

 その時。


「っ!!」

 リューは人間離れした反射神経とその速度でアキの手を握り、その動きを止めた。

「え? お、おいリュー??」

 正直、リューも意識しての行動ではなかった。体が自然に動いたというかなんというか……。

「なに? どうした??」

「い、いえ、その……も、もう少しこのままで……」

「ど、どういうこと?」

「お、お医者さんごっこ……」

「は??」

「お医者さんごっこ、しませんか? 昔みたいに……」


 リューは俯き、耳まで真っ赤だ。声が震えている。アキはその全てに興奮……ではなく、緊張した。

「お、お、お医者さんごっこ……?」


 思いもしない超展開。

 夕暮れ、ふたりきりの保健室でこれから何が起きようとしているのか……!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る