第51話 武人対武人

 リューの行動は迷いが無かった。


 その後ろ足が武道場の床を蹴る。

 彼女は陸上選手のように、そして陸上選手よりはやくスタートを切っていた。


「九門九龍……」

 そしてリューは跳んだ。正確にはスピードに乗った体を浮かせる程度に跳ねたのだが、狙いはアキを押さえ付けるため屈んだ態勢の鬼頭勇次の頭部。

 そのくびねるのがこの技の目的なら、それは実に正確な位置だった。

「『鉈狩影なたかりえい』!!」


 澄はその一部始終を目撃していた。そして、まずいと直感した。

 勇次が無事には済まないと確信したのだ。


 鉈狩影は一直線の突進の勢いをそのまま後ろ蹴りに伝えるシンプルな蹴り技だが、武力ぶぢからで強化され、さらにリューの練度で繰り出される鉈狩影それの破壊力は想像するのも恐ろしい。



 普段は大人しく、そしておっとりしているリュー。

 しかし一度ひとたび戦闘となればその動きは電光石火の比喩通りの素早さで、自分より体重も体格も数倍ある鬼をゆうに『狩る』。



 それを実現させるのが仁恵之里の武術家特有の能力「武力ぶぢから」と、一之瀬姉妹のみが会得する鬼殺しの武術『九門九龍』。


 その技が、同じ「人間」に対して使用されたのだ。澄の汗が一気に冷えて行く。


 バッキィッッ!!


 蹴りのインパクトの瞬間、物凄い衝突音が道場に響いた。

 跳躍の勢いのままに揺れるスカートからすらりと伸びるリューの蹴り足。

 その先端の足刀は、本来なら鬼の頸を本物のやいばの様に刎ねるだろう。

 しかし、鬼頭勇次は違った。

 九門九龍が誇る必殺の蹴りを、正面から防御けて退けたのだ。


「うっそ!?」

 澄は思わず声を上げた。有り得ない。

 九門九龍の強さ、そしてリューの強さを知る澄ですら、あの蹴りを防御するという発想は無かったのだ。


 しかし、勇次の受けは両手を要した。両腕で堅固な壁を作り、筋力と武力で限界まで強度を上げ、それを盾として使用する。

 彼はリューの蹴りを片手では受け切れない攻撃ものだと直感し、そしてその直感は正解だった。


「……オラァ!!」

 勇次は痺れる両腕を無理やり振り上げ、その防御ごとリューの蹴り足を弾き返す。

 しかしリューは振り上げられた勢いに乗って空中でひらりと回転。

 まるで曲芸師の様に着地したリューは、防御によって勇次の剛腕から開放されたアキの体を抱きかかえるようにして掠め盗り、横っ飛びで勇次の射程圏外へと脱出した。


 ごく一瞬と言っても過言ではない時間の間に繰り広げられた攻防は、お互いの距離が離れた事で一時的に停止した。


「アキくん、大丈夫ですか?!」 

 リューの声が震えている。アキは言葉が出せそうになかったので大丈夫、と伝えるためにうんうんと頷いた。それを確認し、一瞬だけリューの表情がほころんだ。


「……鬼頭くん。どうしてこんな事をす」

 リューの声が突然途切れた。というより、吹っ飛んだ。

 勇次の前蹴りがリューの顔面を打ち抜き、吹っ飛ばしたのだ。


 ガッシャーーーン!!


 けたたましい破砕音だった。蹴りをまともに喰ったリューの体はほぼ水平に吹き飛び、その勢いのまま武道場の窓ガラスをぶち破って外へ投げ出されたのだ。


「リュー!!」

 アキと澄が同時に叫ぶ。武道場は校舎の2〜3階に位置する場所にあるので、リューは数メートルは落下したはず。

 しかし、リューは地面に衝突する直前に受け身をとり、身体をアスファルトに叩きつけられたものの即座に起き上がって武道場の入り口まで走って戻り、再び勇次と対峙した。


「……タフな女だな」

 息を切らすリューの姿に、勇次は呆れ気味に呟いた。

「ほぼノーダメージかよ」

 リューは勇次の蹴りを顔面で受けたにも関わらず、口の端を切って少しだけ出血していたが、それ以外目立った外傷はなかった。


「……鬼頭くん、なんでこんな事をするんですか……?」

「そらこっちのセリフだよ。武力ぶぢから入れてマジ蹴りとか、殺す気かよ」

「そうじゃありません……」

 リューの声はやはり震えていた。怒りで震えていたのだ。

「どうしてアキくんを傷つけるんですか!!」

 その怒気をまともに受け、それでも勇次は余裕だった。


「じゃあはっきり言ってやるよ一之瀬。俺と奉納者を代われ。じゃないと俺は国友を攻撃する。お前が代わると言うまで、攻撃し続ける」

「なんでアキくんを巻き込むんですか!! アキくんは関係ないでしょう!!」

「正直関係ない。が、それでお前の気が変わるなら俺には関係あるんだよ」

「卑怯者……!」

「お前は頑固者だよ」


 そこへ、騒ぎを聞きつけた教師と数人の生徒が武道場へとなだれ込んできた。

 澄が彼らを連れてきたのだ。


「な、何をしているんだチミたちは!」

 声を裏返してまで絶叫するその教師は体格も容姿も弱々しい印象を受ける男だった。むしろ、弱そうと断言してしまってもいい。


「け、ケンカはいかんよ! ケンカしたら、て、て、停学だぞぅ!!」

 教師の声が震えている。それは単にこの状況が怖かっただけで、彼は教師としてやらなけらばいけないことを渋々やっているだけだった。


 この教師は生徒の間でもすこぶる評判の悪い数学教師だった。

 陰湿なくせに気が弱く、何かトラブルがあっても見て見ぬ振りをし、学年主任にいびられているストレスを生徒にぶつけるような小物で、武道場とは全く関係のない人物だ。


 それなのに、こんな事に巻き込まれて災難だよってか、なんで俺が……という心の声がそのまま顔に出てしまう程度の男。

 こんな男をあえて選んで連れてきたのは、澄のチョイスだった。

 この教師の事なかれ主義に、澄は期待したのだ。


 教師や他生徒の登場でリューと勇次の戦闘が急停止したのは澄の読みどおりの展開だ。

 ここから先は賭けだったが、アキは澄の意を汲んで一芝居打つことにした。


「先生、これは別にケンカじゃありませんよ。俺が鬼頭に空手部の見学がしたいって言って、それで組手の稽古がどんな感じかって教えてもらってたんです。でも、鬼頭もつい力が入り過ぎちゃったみたいで……」

「組手? でも一之瀬がガラスをぶち破って落ちてきたって聞いたぞ? 一之瀬は関係無いんじゃないか?」

っスよ、先生」


 今のセリフは勇次のものだ。

 低く、威圧するような声質に、ただそれだけでひ弱な数学教師は完全に怯んだ。


「俺が割ったんスよ。蹴りで」

「ヒィッ! し、し、しかし、ガラスが割れてる以上、ちゃんと調査を……」

「そんなもん、直せばいいっスよね。部活中の事故なんで仕方ないっスよね、先生……」


 指をバキバキ鳴らしながら教師の前に立つ勇次。教師は勇次の威嚇に一瞬で屈服し、膝をガクガクと揺らした。


「わわわ、わかった! け、怪我人もいないみたいだし……か、解散! みんな早く帰れ!」

 そういう教師が真っ先に立ち去り、それを見て他生徒達もぞろぞろと武道場から立ち去っていった。その様子を見て安堵のため息をつく澄。

(停学は回避できたぁ……でも)


 勇次と対峙するリューの姿に、もう1つの問題は回避できないと確信した。

(結局、鬼頭の思うツボじゃん……!)

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