第46話 嵐の後のダンディー
慌ただしく終了した武人会議。なし崩し的に解散となったので、不完全燃焼は当然否めない。
特にリューと勇次には禍根を残し、虎子はよく分からないテンションの下がり方をしていた。
そんな危うい状態で帰宅する運びとなったのだが、送迎の運転手・藤原が他の業務で外出中で、すぐには帰宅できない状態だった。
「でも、あと10分程度で戻って来るそうだよ」
刃鬼は外出先の藤原と連絡をとり、虎子にそう伝えた。
「うむ、そういう事なら少し待つか」
そういうわけで、藤原が出先から戻るまでアキたちは屋敷の応接間で彼を待つことになった。
そして、現在。アキはこの空いた時間にトイレに行っておこうと思い、屋敷の広い廊下を独りで歩いていたのだった。
「なんか、すごく疲れた……」
特に何もしていない傍観者だったのに、アキの足取りは重い。
特に精神的な疲労は一晩寝た程度では回復しそうに無かった。
(……なんで虎子はあんな顔をしてたんだろうか)
アキの脳裏に虎子の哀しげな瞳が焼き付いて離れない。
儚くて、今にも崩れそうな顔。虎子の見せた、初めての表情だった。
アキのイメージ通りの虎子であれば、奉納試合に出る事は武人として『名誉』と受け取るに違いない。仁恵之里を守るために鬼と戦う事が武人の使命なら、奉納者として選ばれたことを喜んで然るべきだろう。
だけど、虎子の反応はむしろそれとは逆と言っても差し支えのないものだった。
考えても仕方のない事だと分かっていても、アキの頭の中はリューと虎子の事で一杯になってしまう。
……死ぬまで戦う。
奉納試合が澄の言葉どおりのものならば……。
意識を支配する暗い思考にアキは思わず俯き、深いため息をついた。
その時だった。
「アキくん」
低く、渋く、そして深みのある声色が、背後からアキを呼ぶ。
裏留山だった。
「裏さん……」
明らかに警戒するアキに、留山はおどけるような仕草で笑った。
「そんなに警戒しないでくれたまえよ。別に獲って食ってしまおうというわけでもないんだ」
「……」
正直、どうしていいか分からない。
澄や刃鬼の警戒ぶりを知ってしまった以上、アキもそれに倣うのは当然……かもしれないが、アキはその実、留山に対して特に警戒心を持ってはいなかった。
「私は用事が済んだのでね。今から帰るところなんだ。その前にキミと少しでも話しが出来たらと思っていたら、偶然にもこうして出会えた。まるで神様が私の願いを叶えてくれたようにね」
留山はゆっくりと近づいて来たが、アキはこの場を離れようとは思わなかった。
……裏留山は、父と旧知の仲だという。
それに自分は武人会の人間とはいえ、刃鬼や澄の様に重要なポジションにいるわけでもない。
であれば、特に彼を警戒する必要はないのではないか。アキはそう考えていたのだ。
「今年の奉納試合の奉納者が決まったようだね」
留山は廊下から望む有馬家の立派な庭を見つめながら、静かにそう呟いた。
「え? なんで知ってるんですか?」
「奉納試合は我々の側からも
「そうなんですか……」
「キミも辛いだろう。リューさんとキミの関係は有馬会長から伺っている。師匠である虎子にしてもそうだ。辛かろう」
「……すごく微妙な顔してました。武人なら
「確かに、武人としては誉れな事には違いない。しかし、奉納試合は命のやり取りを避けられない。であれば、たとえ師弟の関係であれ実の妹をそんな過酷に晒したくはないだろう。そもそも今時、戦って死ぬのが尊いなどという前時代的な考えは流行らないよ。戦国時代でもあるまいしね」
留山のセリフはどこか芝居がかったものだったが、その気品漂う容姿や、ベテラン声優顔負けの渋すぎる声も相まって、まるで映画のワンシーンの中にいるような気分になってしまう。
「……しかし、奉納試合を頑なに継続しようとする考え方も、双方にある。理由は様々だが、すぐに廃止というわけにもいかない。だが、和平が実現すればそれも叶おうというものだ。そうすれば、このような殺し合いにも等しいナンセンスな悪習は即撤廃だ。……まぁ、私は今すぐにでもそうしたいと思っているがね」
そう言って、留山はいたずらっぽく微笑んだ。
裏留山は本当に危険な存在なんだろうか。
アキは彼の話を聞く中で、そんなことを思っていた。
武人会にとっては危険でも、自分個人にとってはそうでもないかも……そんなふうに考えると、彼は少なくとも敵対する存在ではないと、アキの認識は変化していった。
「ところでアキくん。キミの識が何か、判明したのかな?」
「え? ええ、ええと……」
識に関しては武人会の活動に影響がある内容だ。みだりに口外するべきではないと思っていたが、留山に対して警戒心が緩みはじめていたアキは、思わず口を滑らしてしまった。
「実は、分からなかったんです」
「ほう、分からなかった? あの澄さんの護符術をもってしても?」
「はい。揺らいでいるとかなんとかで、わからないって」
「……そうか。
「雷火?」
「キミの御尊父の識だ。秋一郎氏は識を物質化して弾丸のように扱っていた。識をそんなふうに扱える識匠は、後にも先にも秋一郎氏だけだ。本当に惜しい人を亡くした……」
「……」
急に押し黙ったアキを横目に、留山は窺うように問うた。
「どうしたアキくん?」
「俺、みんなの期待に応えられなくて、なんか、申し訳なくって。識が何かもよく分からないんじゃ、
下唇を少しだけ噛むような仕草を見て、留山はアキの心中を察したように彼の肩を優しく、それでいて頼もしくポンポンと叩いた。
「なぁに、キミと秋一郎氏が同じでなくてはいけないという理由などない。それにキミにはキミにしかできないことがあるかもしれない。私はキミをひと目見てそう思ったよ。そして今、それは確信に変わった」
「……ありがとうございます」
アキは留山が自分を励ますためにそれらしいことを言ってくれているのだと思ったが、留山は首を横に振った。
「お世辞などではないよ。あれを見たまえ」
留山はそう言って、有馬家の庭を舞う一羽の蝶を指さした。
「……?」
それは春の日向で宙を舞うモンシロチョウだった。
「……?」
いや、なにかおかしい。動きが妙だ。
「と、止まってる……?」
そう、そのモンシロチョウは宙空で時間が止まってしまったように静止していたのだ。
「いや、止まってはいない。僅かだが動いている」
留山はこの異常事態を目の当たりにしても全く動じていなかった。
「アキくん。我々マヤは『
「ま、まさか、そんな……」
アキはスマートフォンを取り出して時間を確認したが、確かに先程時間を見た時からほぼ変化がない。
少なくとも、留山とこうして話した数分間が全くカウントされていないのだ。
「だが、その宝才が徐々に効力を失っている。その証拠に、蝶の羽が微かに動き出しているのがわかるかな?」
留山の言うとおり、さっきまで止まっていた蝶の羽ばたきがスーパースローモーション映像の様に動き出している。
「私は宝才を解除していない。しかし、宝才はもうじき効力を失うだろう。これは明らかな外部干渉による宝才の強制解除だ。そして、それを行っているのはキミだ、アキくん」
「え? お、俺??」
「そうだ。それ以外考えられない。私は過去に同じ現象を経験しているからね。その時感じた気配を、どういうわけかキミから感じるんだよ」
留山はアキとの距離をさらに縮め、その瞳を覗き込むようにして続けた。
「私は先程、道場でキミと握手をした際にも宝才を使用していたが、キミには効果がなかった。その時から薄々感じていたんだよ。『あの男』の気配をね」
「あの男……?」
「もう随分前にこの世を去った、我々の同胞だよ。彼はもともと記憶を操作する宝才の使い手だったが、とある理由でその宝才を失った。その代わりに宝才も識も無効化してしまう能力を身に付けたが、どういうわけか武力には耐性がなくなってしまったんだ。その男と同じ気配をキミから感じる。そして、キミはその男と容姿も声も、何もかもが瓜二つだ。血の繋がりでもあるのかと疑いたくなるほどにね」
「そ、そうなんですか? もしかして親戚とか? はは、そんなわけないか」
一瞬、留山は深く、そして暗い笑みを浮かべた。
「その男の名は、
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