第45話 鬼頭勇次

 全員の視線が、一斉にその男に向いた。


 刃鬼はその視線を落ち着かせるように数瞬の間を置き、口を開いた。

「……どうぞ、勇次ゆうじ君」


 勇次と呼ばれた男はそれを確認してから立ち上がった。少なくともその程度の礼節を弁えた人物のようだ。


「会長。一之瀬では不適格です。今年も俺がやります」

 勇次は驕るでも嘲るでもなく、無表情な声色で言った。

 それを受け、リューの鋭い視線が勇次を刺し貫く。


「……私の何が不適格なんですか? 鬼頭きとう君」

 リューの声に普段の朗らかさは皆無だった。それが一段と場の空気を強張らせる。

「全部だよ。お前じゃ無理だ。俺がやる」


 空気が重い。息が詰まる。緊張が刺さる様に痛い。

 アキは心臓が早鐘を打つ感覚に冷や汗を滲ませた。二人が何に対して揉めているのか分からないが、二人が今にも爆発しそうな感情をあらわにしているのは嫌でもわかる。


「……不適格かどうかは会長が判断される事です。違いますか、会長」

「え?! 僕!?」


 刃鬼はこの険悪な空気の中での唐突なご指名にかなりビクついた様子だった。

「えー、いや、あの、不適格とは思わないよ。というより、ここにいるメンバーなら誰でも該当者っていうか……今年は順番的にリューだったから、ねぇ」


 刃鬼は冷や汗を拭いながら言う。こんなときは虎子が割って入るか突っ込みを入れそうなのもなのだが、意外にも虎子は沈黙を守っていた。しかも、その表情は固い。


 予測不能の危険な状態だ。澄も珠鬼も下手に動けない。その場を支配する剣呑な空気を誰も破ることができないまま、リューと勇次の間に流れる空気は殺気の濃度を上げていた。


「……」

 互いに視線で刺し合うような睨み合いの均衡を先に破ったのは、鬼頭勇次だった。

「……会長、武人会会則第47条の適用を申請します」


 !!


 その言葉に皆が息を呑み、刃鬼の表情が強張った。

「ほ、本気かい? 勇次くん」

「奉納試合の奉納者の権利を賭けて、俺は一之瀬流に武人会会則第47条にのっとって一対一の決闘を申し込みます。受けてくれるよな、一之瀬」


 勇次の言葉に反応するように、全員の視線がリューに向いた。

「お断りします」 

 リューは即答した。

 視線が再び勇次に集中する。


「…………はぁ?!」

 勇次は快諾されるものと思い込んでいたようで、肩透かしを食らった事もあり真っ赤になって激昂した。

「受けろよ!! 断るとかありえねぇだろ! お前それでも武人会の武人か!!」


 がたん!


 唐突に立ち上がったために勇次の椅子が激しく吹っ飛び、彼は怒りもあらわにずかずかとリューに歩み寄る。

 そして彼女の襟首をそのいかつい右手でひねり上げた。

「受けろよ一之瀬! 逃げてんじゃねぇ!」


 しかし、リューは眉一つ動かすこともなかった。

「奉納者については会長がお決めになった事です。そもそも奉納試合の奉納者は鬼頭くんのような『いち武人』がどうこうしていいような事ではないと思いますが?」

 リューは明らかに挑発している。アキでさえわかるその態度に、勇次が反応しないわけがない。

「……てめぇ」

 一触即発の空気はいよいよ張力の限界を迎え、今にも張り裂けそうだ。

 刃鬼は慌てて駆け寄り、二人の間に割って入った。

「ちょちょちょちょっとふたりとも、落ち着きなさい!」


 虎子も駆けつけ、リューの胸倉を掴む勇次の右手を握りしめて言った。

「止せ、勇次」

「虎子さん……!」

「やめてくれ、勇次」

「……っ」


 勇次を見つめる虎子の瞳は怒りでも悲しみでもない、何故か寂しそうな感情を湛えるそれだった。その表情は勇次の暴走を一時的に止めるだけの力があった。


 アキは混乱に乗じて澄の側まで駆け寄り、成り行きを見守る。

「おい澄、会則なんとかってなんなんだ?」

「ちょ、はあ? あんたこんな時になによ?」

「いいから教えろって。わけわかんねーんだよ。何が起こってんのか、リューがどうしてあの勇次って奴に絡まれてんのかとか。つか、あいつ何者?」

「あんたねえ、あいつはウチらと同じクラスの鬼頭勇次じゃん。知らないわけ無いっしょ?」

「あんな奴いたか?」

「でもまぁ、鬼頭のやつ無口だし、図体の割にあんま存在感ないから気が付かなくても無理ないかも」

「確かにデカいな。同い年には見えないな」


 逆に澄は小さくて同い年には見えないよな……と、アキは澄をじっと見つめた。

「何よ? そのいやらしい視線は」

「いや、別に……で、その『会則』ってのは?」

「会則47条ってのは、簡単に言うと武人同士の意見が食い違った場合、一対一の決闘をしてその勝者の意見に従うっていう決まりの事だよ」

「は? じゃあ鬼頭とリューがタイマン張るのか?」

「リューが了承しない限りそれはないよ。双方の同意があって、初めて有効になる決まりだから」

「鬼頭はその奉納試合に出たいからリューに絡んでるってことでいいのか?」

「出たいっていうわけじゃないと思うんだけどね……」

「……そもそも奉納試合ってなんなんだ?」


 澄はその質問に何かを逡巡するような間を置き、急に重たくなった小さな唇を微かに動かした。

「仁恵之里で毎年夏祭りがあって、その時に人間の代表と、鬼の代表が一対一で戦うの。……どちらかが死ぬまで。それが奉納試合」

「は? 死ぬまで……?」

「……うん、そうだよ」

 澄はそれ以上何も語らなかった。


 なんとなく状況は把握できてきたが、それぞれの感情が激しく入り乱れていて、細やかな心境までは全く測りかねる。

 アキにはもう見守ることしかできることがなく、それが歯がゆかった。



「……一之瀬、もう一度言う。俺と代われ」

 勇次はそのままの状態で低く唸るが、リューは決して退かない。

「代わりません。諦めてください」

「……」


 勇次は無言でゆっくりとリューの襟首から手を離し、添えられた虎子の手を名残惜しそうに見つめながらも、静かにその手を下ろした。

「……」

 そして刃鬼に一礼し、会議室を去っていった。


「と、取りあえず今日の会議はこれで終わりね。僕は勇次くんを追うよ」

 刃鬼は慌てて会議室を飛び出して行ってしまった。


 リューは冴えない表情の虎子を見つめ、ぽつりと呟く様に「お姉ちゃん」と、まるで迷子の子供の様な声で呼び掛ける。


「……不安なんですか? 私に奉納者が務まるか……」

 消え入りそうな声のリューに対し、虎子もまた、か細い声で答えた。

「いや、そうではない」

「……わたし、頑張りますから。絶対に、勝ちますから」

「……ああ」 


 普段とは全くの別人のような弱々しい虎子をかくまう様に、珠鬼は立ち上がって言った。

「本日はこれで解散としましょう……」


 こうして、武人会議は終了したのだった。

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