第42話 虎子も羨む刃鬼のオフィス

 刃鬼の待つ会長室は屋敷の最奥にあるという。虎子とアキはその会長室を目指して歩いていると、虎子が不意に口を開いた。

「ここからは別館だ」

 虎子の言うとおり、それまでの日本家屋然とした内装は洋館のそれに変化した。壁紙や窓枠も洋風で、まるで海外のホテルにでも来たのかと錯覚するほどだ。

「道場のある屋敷側は純和風だが、奥の居住区側は洋風の造りになっている。戦後しばらくしてからそんな風に増改築されたんだ」

 虎子は辺りの扉や、廊下の天井に下げられたシャンデリアを見て言う。


「この屋敷のデザインは刃鬼の親父、つまり先代の会長の趣味が色濃いんだ。もう半世紀以上前になるかな……この屋敷は戦災を免れたものの、建物の老朽化が酷くてな。完全に取り壊して全面改装の案もあったんだが、先代は戦前からの佇まいを頑なに守ったんだ。奴は顔こそいかつかったが、和洋折衷の繊細なセンスは見るものがあったな」 

 まるで懐かしむ様に言う虎子。友人を偲ぶ様な瞳に、アキは違和感を抱いた。

「……その人に会ったことあるのか?」

「会ったも何も、同じ釜の飯を食った戦友だよ」

「は?」

「……は?」

「戦友って、先代の会長の話だろ?」

「……」


 虎子は立ち止まった。何事かと見れば、眼前には一際立派な扉と、会長室と書かれたプレートがその脇にあった。

「なぁ、虎子……」

 虎子はアキの質問を無視してドアをノックした。

「おーい刃鬼ぃ、アキを連れてきたぞー」

「ちょ、虎子。さっきの、どういう意味なんだ? 気になるんですけど?」

「え、何が?」

「何がじゃなくて」

「入るぞ刃鬼」

 虎子はアキをスルーしてドアノブに手をかけ、扉を開いた。

「っ!」

 アキは思わず息を飲んだ。

 眼前に広がったのは、まさに圧巻の風景だった。


 室内はまるで外国映画に登場するような風情で、歴史のあるホテルの一室のような落ち着いた内装と、立派な革張りのソファーや大きなデスクが、書斎というより執務室といった雰囲気を醸し出してる。一言で表現するには難しいほど、立派な部屋だった。


 アキは虎子に対して、なんだかはぐらかされたような気分だったが、この部屋の空気に気圧されてしまい、そんな気分はとりあえずどこかへ行ってしまっていた。

(まぁ、いつもの冗談だろ……)

 先代の会長の事は何も知らないが、たとえ同じ武人会とはいえ、虎子と先代の会長の間にそれ程の関係性があるとは思えない。だからアキは先程の一件は虎子のジョークだと一笑に付す事にした。


 有馬刃鬼は大きな窓を背にした恰好で佇んでいた。待っていた、というよりそれともただそこにいた、という感じだった。

「ようこそアキくん。ようやくゆっくり話が出来るね」


 柔和に微笑む有馬刃鬼は長髪を後ろで1つに纏め、和服にその身を包み、その風貌は剣術家というより文筆家か学者といった風情であったが、袖から覗くたくましい腕と手先が、彼が単なる優男ではない事を雄弁に物語っていた。


「麗鬼が見苦しいところを見せてしまったようだね、ごめんね。怪我はなかったかな?」

 会長直々の、突然の謝罪。アキはぶんぶんとかぶりを振った。

「い、いえ。見苦しいだなんて、そんなことないです。怪我とかも全然……」

「それは良かった。麗鬼は虎子の事が嫌いと言う訳じゃないんだけど、顔を合わすとつい突っ掛かっちゃうみたいでね。素直じゃないんだよ」

 刃鬼が困ったように笑うと、虎子はさも可笑しそうに笑った。

「はっはっは。麗鬼あいつは正統派のツンデレだからな。私もあいつが大好きなんだが、挑まれるとついやりすぎてしまう。麗鬼は大事ないか?」

「ああ。特に怪我もないし、仮眠室で寝てるよ。ちなみに澄もね。アキくんの索識がよっぽど消耗したんだろう」

「そうか。では仮眠室には澄と麗鬼が並んですやすやか……アキ、チャンスだぞ」

 虎子はアキに向かって力強く拳を握ってみせたが、一体なんのチャンスなんだか……。


 おどけて見せた虎子だったが、すぐに刃鬼と向き合い、アキの背中を押すようにして言った。

「では、あとは任せたぞ刃鬼。私はリューの様子を見てくるよ」

「うん、わかったよ」


 そうして虎子は会長室を後にしたが、二人の会話は本当に友人同士のそれで、組織の序列も年齢の差も感じさせない自然なものだった。

(なんか、会長より偉そうだし……)


 虎子は、というより会長はそれで良いのだろうか。武人会とはどんな構造の組織なんだろう。アキが色々と思いを巡らせていると、

「どうぞ。掛けてください」

 と、刃鬼はアキに対してとても丁寧にソファーを勧めた。

「あ、どうも……」

 アキがおずおずとソファーに腰を下ろすと、すっと馴染むような感覚に包まれた。

(うわっ、すげえ……高そうなソファーだもんなぁ)

 ソファーに限らずこの部屋の物はどれも高級感があったが、嫌味はなかった。全体的に品よくまとまっているのもあるが、やはりこの部屋の主が大きな要因に違いない。


 刃鬼がアキを単なる友人の子供としてではなく、ひとりの客人として迎えてくれている事をアキは肌で感じていた。

 武人会にしても有馬流にしても、組織の長にふさわしい風格と人格が、刃鬼の穏やかな表情から滲み出しているようだ。


 刃鬼はアキの正面に腰を下ろすと、うーんと唸って困ったように笑った。

「いざこの段になると、何を話せばいいのかわからなくなっちゃったよ」

 可笑しそうに笑うので、アキもつられて笑ってしまう。


 柔らかな物腰と気さくな口調。しかし、手先は対象的に厳つく、攻撃的な有馬刃鬼。

 長い時間、苛烈な負荷に耐えてきたであろう掌に刻まれた傷跡は、彼の歩んできた武人としての経歴キャリアを物語るようだ。アキは有馬刃鬼という人物の底知れなさに緊張していた。


 そんなアキの視線に気が付いた刃鬼は、微かに笑みを浮かべてその掌を隠す様にそっと閉じた。

「まず、武人会ぼくたちについて説明しておこうか」

「……はい」

「そのまえに、ひとつ承知しておいてほしい事があるんだけど」

「俺が武人会に入るってことですか?」


 アキが先回りをするように言うと、刃鬼はそれすらもお見通しと言ったふうに微笑んだ。

「話が早いね。覚悟は出来ているって事でいいね?」

「……はい。このまえ有馬さんや澄から少しだけですが武人会や仁恵之里の事を聞いたんです。そしてたら……」

「もう逃げられないってわかっちゃった?」

 さも可笑しそうに笑う刃鬼。アキは「そういうのじゃなくて」と首を振ったが、刃鬼はうんうんと頷いた。

「正しいよ。それでいい。でも、ごめんね。手前勝手な物言いで悪いけど、君に拒否権はないんだ」

「……それもわかってます。有馬さんもそんな事言ってました」

「そうか。春鬼がねぇ……」


 刃鬼はふう、とため息を1つつくと、姿勢を正して、改めてアキと向きあった。

「では、先ずは武人会と仁恵之里、そして、キミのお父さん……国友秋一郎氏の事から話していくね」


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