第39話 澄の覚悟

 澄とアキは屋敷の一室にふたりきりになっていた。

 澄の能力を使ってアキの識を調査するというのだが、案内された部屋の異様さにアキはぞっとする。


(暗いし、なんか雰囲気が冷たいっていうか、悪寒がするっていうか……)


 部屋はすべての窓が目張りされていて薄暗かった。

 何でこんな事をするのかとアキは怖がりつつも興味津々で、どんなもので窓を塞いでいるのかとその目張りに目を凝らすと、それらはすべて『おふだ』だった。 

こわっ!」


 薄っすらと光を通す和紙のようなベースに、朱色で描かれた判別不能な文字のようなものが不気味に浮かび上がるそれは、はっきり言って怖かった。


 しかし、アキには見覚えのあるものでもあった。

 先日、春鬼と学食で話をした際に澄が使用したのもこのお札だった。

 澄はそれを『護符ごふ』と呼んでいた。


 その護符が窓以外も部屋一面にびっしりと張り巡らされていたので、アキは正直、逃げ出しそうになる。

「おおおおい澄、これってお前の護符術ってやつ?」

「うん、そうだよ」


 アキの少しおどける様な態度に対し、澄の声はどこか寂しげなものがあった。 

「やっぱり怖い?」

 澄のストレートな問い掛けに、アキはすぐに反応出来なかった。彼女は見るからに落ち込んだ様子だったのだ。

「まぁ怖いよね。ふつーに気味悪いっしょ」

「え、いや、それは……」

「あたしもたまにそう思うよ。なんでこんな事できちゃうのかなって」


 そう言うと、澄はおもむろに右手を少しだけ持ち上げ、アキに向けた。

 すると、澄の手のひらから無数の護符がまるで水道の蛇口から水が出てくるように、さらさらと舞い落ちる。


「護法のしきの識。先人の叡智と精霊の力を借りて成立する『術』。この護符は何百年も続く護法の歴史が為せるわざ……」


 澄はアキをじっと見つめて淡々と語る。そのさまは、まるで澄ではない何かが彼女に憑依したかのように、神々しい。


「……って、お母さんが子守唄代わりみたいによく言ってた。懐かしいなぁ」


 さらさらと止め処なく湧き出る護符を見詰める澄の瞳から、涙が滑り落ちた。

「ん、ごめん。思い出しちゃった」

「澄……」

 アキの言葉はそこで止まった。澄の涙の意味を考え、それ以上は言うべきではないと察したのだ。

「……私のお母さんも12年前に、ね。リューと同じなのよ」


 アキの予感は的中した。だからこそアキは二の句を失った。

 言葉に迷うアキを見つめ、澄が問う。

「ねぇアキ。アキはもし、鬼と戦う力があったら、私たちと一緒に戦ってくれる?」

「……」


 予想していた質問だったが、アキは返答できなかった。

 それが分かっていた様に、澄は続ける。


「今ね、人間と鬼は和平協定とかって言ってさ、今更だけど仲よくしようって話し合いしてんのよ。色々あって、向こうも切羽詰まってるらしいのよ」

「切羽詰まる? どういう意味だよ」

「詳しい理由は分かんないけど、鬼の住んでる世界が消滅しそうなんだって。だから何年か前から『マヤ』が姿を現すようになったの。それまでめったに出てこなかった鬼のボス格……裏留山や平山不死美が、自分たちが生き残るために、人間と交渉してんのよ。共存しようってね。あんだけ派手に暴れまくっておいて、どの口が言うんだっての」


 澄の声は低く震え、その怒りは肌で感じられる。しかし、同じぐらいの苦悩もまた、感じられた。


「でも、しょうがないんだよ。私たち武人会の人間は別として、ほかの人たちは鬼と戦えない。実際、12年前もそうだった。ほとんど雑魚鬼ザコばっかりだったけど、マジで為す術がなかったんだ。だから武人会の人たちも大勢死んだ。戦えない人を守るために、盾になるしかなかったんだ。あたしのお母さんも、リューのお母さんも、アキのお父さんも……」


 澄は震える口元を無理矢理動かそうとしているのか、唇に指をあてがいながら続ける。


「和平の話も最初はふざけんな! って感じだったんだけど、平山不死美ふーみんが魔法で雑魚鬼が入ってこれないように結界を張ったの。特に神社には鬼の世界と人間の世界を結ぶ『扉』まで作って、ほぼ完全に切り離した。そしたら鬼の被害が激減して、少しずつ和平ムードも盛り上がってったよ。でも完璧ってわけでもなくて、季節の変わり目とか、雨の日とかは結界が弱くなる。……あんただって実際鬼に襲われたんでしょ?あの鬼も結界が弱くなった隙に忍び込んだクチだよ」


澄は幾分落ち着いたようで、声の震えも涙も、止まっていた。


「和平が完全なものになれば、ふーみんはあっちの世界とこっちを完全に切り離すんだって。どういうふうにやるのかわかんないけど、そういう魔法を使うんだってさ」

「……でもそうなれば、平山さんや裏さんも鬼の世界には帰れなくなるんじゃないのか?」

「それは覚悟の上でよ。帰れなくなるかわりに、もう鬼の被害は無くなるってことね」

「でもそれってマヤだけ助かって、ほかの鬼たちは見殺してことか? ……いや、同情してるわけじゃないぞ? 素朴な疑問っていうかなんて言うか」

「鬼は鬼の世界に返すんだって。マヤの住んでる世界は人間界と、鬼やらなんやら魑魅魍魎が住んでる『魔界』に挟まれてて、マヤは鬼を魔界から連れてきては労働力とか召使い的な感じでこき使ってるらしいのよ。大昔の人類だってそうだったじゃない? まぁ、その辺の事はうちらには関係ないから、あたしはよく知らないよ。知りたければふーみんにでも訊けば?」


 澄はすっかり落ちついた様子で、声色も、口調も元の彼女に戻っていた。

「全部上手くいけば、マヤは人間界に来ることになるけど、鬼の犠牲者は無くなる。これは武人会の目指すところでもあるし、みんなの願いでもあると思う。反対意見もあるけれど、お互いギリ妥協出来るレベルだと思う。……実は、12年前も今と同じように和平の話があって、かなりイイ線まで行ってたんだって。そのときもふーみんが旗振り役をやってたらしいけど、姿を見せたのはふーみんだけだったって。刃鬼おじさんは、そこだけが今回と違うところで、そのほかはよく似てるって言ってるよ」

「……それって、この後に起こることもか?」

「鋭いね。あたしはそれを警戒してる。もちろん、刃鬼おじさんもそうだと思う。もちろん、ふーみんもね。でも、今回は向こうもやばい状況だし、慎重にやってる感も感じるよ」

「じゃあ、今度こそ……か?」

「問題は、マヤはふーみんと留山だけじゃないってこと」


 アキは息を飲んだ。ゴクリという音が、薄暗い部屋に響く。

「……ロンジンって奴か?」

「そのほかにも、分かってるだけで三人いる」

「三人も?」

「一人は顔も名前もわかってる。あとの二人は名前だけ。少なくとも、あたしは名前だけしか知らない」


 あんなにやばそうな存在があと三人も。しかも正体不明なのが二人も。

 いくら高い知性を持つとはいえ、その三人も埒外な戦闘能力を持つであろう存在に違いない。

 その三人が、全員和平に賛成とは限らない、ということだろう。


「その三人が12年前のような戦いの火種になるかもしれない。もし、そうなれば武人会は戦う以外の選択肢はないよ。その時、アキも戦えるんなら、戦ってほしい」


 澄は立ち上がり出入り口のカギをかけて、その上に護符を貼り付けた。

「……ごめんねアキ。こっちから訊いといてアレだけど、私たち武人は戦うしかないんだよ。力があれば、やるしかない。それはあたしも、リューや虎ちゃんも、あんたも同じなんだよ」


 澄は護符を出現させ、アキに近づく。

「アキ、これは仁恵之里に生まれた者の宿命だと思って受け入れてね。どんな結果になっても、どんな結末になろうとも……」


 澄の護符がアキの胸に押し当てられ、その護符がアキの体内に溶けていくように埋まってゆく。

「す、澄? おい、これって?!」

索識さくしき、開始……」


 そしてアキはゆっくりと気を失った。

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