第38話 異次元の鬼
リューは虎子に連れられて医務室へ向かった。その様子を心配そうに見つめる澄。
「大丈夫かな……」
刃鬼はそんな澄を励ますように「虎子がついてる。大丈夫だよ」と、声をかけた。そして、
(とりあえず今のところは、だけど……)
と、心のなかで独り言ちる。
空気が非常に微妙になってしまったが、刃鬼は大きなトラブルにならなかった事に安堵していた。
(……胃が痛い)
刃鬼がさっきからそれとなく、バレないように腹を擦っていることに澄は気づいていた。
(おじさん、がんばれっ!)
裏留山の危険度は平山不死美の比ではない。
そもそも不死美は人間との共存に向けて様々な活躍をしているが、裏留山がそういった行動をしているという情報はない。むしろ、留山は共存反対派であるというのが武人会共通の認識だった。
(とりあえず、これ以上トラブルがなければそれでいいよ……)
刃鬼は武人会の責任者として(実質的に仁恵之里の責任者としても)、この事態を無事乗り切ることに全力を尽くすことにした。
有馬邸の奥には関係者以外立ち入り禁止区域があり、そこには『捕獲した鬼』を一時的に収容する施設があった。刃鬼は今から留山達と共に、その施設へ行くと言う。
「……なあ澄、保護すんのか?」
アキは澄だけに聞こえる様に言った。もちろん、『鬼』である留山やマリー姉妹に配慮しての事だ。
「お互い無闇に殺し合うのはやめましょ的な感じよ。でもまあそんなに都合よくいかないけどね。こんなの、建前だよ」
そう言う澄の表情は暗く、冷たかった。その様子から互いに被害は少なくないに違いない。
その時、刃鬼はくるりと振り向き、アキと澄を見て言った。
「澄、アキくん。君たちは屋敷に戻ってね。澄はアキくんの検査を頼むよ」
あ、そうか。とアキは今日は自分の『検査』をする為にここに来たのを思い出した。
『検査』という単語に興味を持ったのか、留山はアキに視線を投げ、微かに笑みを浮かべた。
「ほう、何か身体に気になるところでもあるのかな? 見たところ健康そのものの様子だが」
すると澄がすかさずそれをブロックするようにアキと留山の間に入った。
「ただの健康診断よ。それに見ただけじゃ中身の様子なんてわかんないっしょ?」
「確かに。しかし澄さん、キミが検査をするのだろう? 護法家護符術を使ってまで健康診断とは、一体何をどこまで調べるのかな?」
「……別に? 人間ドックと同じ程度だよ」
素っ気無い澄の対応は、明らかに留山を警戒しての事だ。余計な情報は与えたくないという意向なのか、澄はアキに言葉を発する隙きを与えなかった。
「つーわけなんであたし達は行くね。ほらアキ、行くよっ」
言うが早いか、澄はアキの手を引っ張ってずんずんと歩き始めてしまった。
「うおっ? ちょ、澄? 痛てて、痛えって」
澄の小さな手が信じられない馬力でアキの手を引く。
なすがままに連れ去られるアキに、留山は微かに笑みを浮かべ、
「また会おう、アキくん」
と別れを告げ、マリー姉妹はアキに恭しく頭を下げた。
「さて、有馬会長。その保護施設とやらに参りましょうか」
留山が言うと、刃鬼は頷き、一行は屋敷の奥へと向かった、のだが……
「有馬会長、いかがされましたか?」
こっそりお腹を擦る刃鬼を見て、留山は首をかしげていた。
「い、いえ。何でもありません。ささ、参りましょう」
「本当ですか? 額に汗が……」
「あ、いえ、今日は少々暑いもので」
刃鬼は胃痛を堪えて笑顔を見せたが、冷や汗は隠しきれなかったようだ。
保護施設、とは言っても捕獲した鬼を一時的に勾留するだけの施設。鬼が逃げたり、施設を壊したりしない様な作りになっているただの『檻』がある施設と言ったほうが正確なくらい、殺風景な建物だ。
その建物の奥からは獰猛な野獣のような唸り声が聞こえる。それは虎子が倒した例の鬼の声だ。同時に、留山達が引き取りに来た鬼でもあった。
刃鬼が施設の守衛室に行き、所定の手続きをするとその守衛は刃鬼達を施設の奥へと案内した。
3重にロックされた隔壁を通過する際も、例の鬼の唸り声は激しさを増すばかりだった。
「うるさくてかないませんよ」
守衛はうんざりした様子で言った。
「朝も夜もあんな調子で……ムチャクチャに暴れて檻も壊れそうです。有馬会長、脱走される前に地下の檻に移動させてはいかがでしょうか」
守衛が提案すると、マリー姉妹は唇を尖らせた。
「ええ〜? 地下なんて可哀想! 私達が連れて帰りますから、そんな事言わないで下さい!」
マリー姉妹は揃って守衛の前に出ると、完璧なハモリで叫んだ。
『おーい! 迎えに来たよー!!』
するとあんなにけたたましかった鬼の叫びがピタリと止んだ。
「……え?」
守衛は急に静まり返った施設の廊下を呆然と眺めた。その先にはあの鬼がいる筈だ。しかし、まるで消えてしまったかのように、なんの物音すらしなくなってしまった。
「さあ、行きましょー!」
マリー姉妹は呆気にとられて立ち尽くす守衛を素通りして廊下を進む。留山がそれに続き、刃鬼が守衛に声をかけると、彼はハッとして我に戻りマリー姉妹を追いかけた。
「お、お嬢ちゃん! そっちには鬼が!! いくら檻に入っているって言っても危ないよ! 待ちなさい!」
しかし時すでに遅し。姉妹はあの鬼のいる一番奥の檻の前に到着してしまった。
が、何も起こらない。物音一つ聞こえない。
或いは少女達を見た鬼が興奮し、檻を破壊しかねないとまで考えていた守衛だが、実際はその真逆だった。
「お待たせー!」
「さぁ、帰ろうね!」
姉妹は親しげに鬼へ呼びかける。しかも、檻に顔を寄せて笑顔を見せている。
守衛は何事かと、恐る恐る檻に近づいて様子を窺ったが、そこにいたのは鉄格子から離れ、壁際で震えるあの鬼の姿だった。
鬼は明らかに『恐怖』という感情を、マリー姉妹に抱いている。
あれほど獰猛だった鬼が、まるで借りてきた猫だ。
だが、それだけでは終わらない。
鬼はマリー姉妹に続いて、もう一つの強すぎる気配が存在するのを感じていた。
鬼はそれが何か、本能的に分かっていた。しかし、認めたくなかった。もし本当に「彼」が来たのなら……
そして留山がその檻の前に立った瞬間、鬼は『イ』とも『ヒ』とも違う、聞いたこともない声で、短く鳴いた。
そして硬直し、さらに小刻みに震え、さっきまでの獰猛さは影も形も無く、そこに居るのは最早、単に憐れを誘う弱々しい生き物だった。
守衛も刃鬼もその異様な様子に寒気を覚えたが、留山はあくまでも優しい口調でその憐れな鬼に言った。
「さあ、キミはキミのいるべき場所へ戻りたまえ」
すると鬼は力なくうなだれ、目からは精気が消え失せた。
その様子から、鬼の絶望は見て取れた。
マリー姉妹はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、
「よかったね。みんなのところに戻ろうね」
「早く帰ろ? みんな待ってるよ」
などと明るい言葉をかけるが、鬼は俯いたまま一点を見つめて震えていた。もはや抜け殻同然の鬼を見て、マリー姉妹は心底愉快そうに笑っていた。
刃鬼はそんな姉妹の歪んだ笑みと、鬼を見詰める留山の冷たい視線に、この男の登場が仁恵之里の運命に大きな影響を与えることを直感していた。
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