第37話 とてもじゃないけど

「……乱尽ろんじんは元気だよ」

 留山は落ち着いた口調で続けた。

「何故、そんな事を?」 


 リューと留山の右手は繋がれたままだ。

 もう離れていてもおかしくないタイミングだが、そうさせなかったのはリューだった。

「……」

 リューは答えない。やや俯き、繋がれた右手をじっと見つめて、動かない。 

「……無理もないか」

 留山の右手が徐々に重くなっていく。リューの右手に力が入ってきたからだ。

 或いは、硬直してきた、と言ってもいいだろう。


 その頃には、その場の全員がこの異変に気付いていた。しかし、止めに入れない。

 リューの武力が不安定に揺らぎ、膨らみ、制御を失いつつある。

 その原因を『アキ以外』は、皆知っていた。

 だからこそ、下手に動けないのだ。もちろん、虎子もそうだった。

「留山、せ……!」

 動けばこの均衡が崩れかねない。もしそうなれば、リューと留山との衝突は不可避だ。

 それほどに、リューは自制を失いつつある。

 留山はそれを承知で続けた。


「リューさん。キミの気持ちは理解できる。しかし、いつまでも引きずってはいけない。違うかな?」

「……」

「たとえ御母堂の仇でも、仁恵之里の未来の為には、キミは彼を許さねばならない」

「……」

「辛いと思うが、雪さんは仁恵之里の平和の礎となった……そう思うしかないのではないだろうか」


 その言葉に、アキは息を飲んだ。


 母親の仇……つまり、そのロンジンという人物が、リューの母親を殺した張本人だというのか。


 その時、リューが俯いたままで呟いた。

「……思えません」

 それは、怒りだ。 

「そんな風に、思えません」

 深く、暗い感情が彼女の声を震わせる。

「……許せません」


 繋がれた右手が小刻みに揺れている。

 リューの筋肉が硬直していることは見てわかる。この揺れは、二人の力が拮抗する揺れだ。

 武力で強化された握力はすでに人の限界を超えている。その華奢な手は既に凶器と化しているが、留山は眉一つ動かさなかった。


「ならばどうする。乱尽と立ち会うというのかな?和平を反故にしても、母の仇を討つと?」

 リューの表情は覗えない。しかし、全身が強張り、奥歯を噛み締めているのは見て取れる。それは肉食動物が敵を威嚇する姿の様に見えた。

「……やめなさい」

 留山は優しく諭すように、しかしどこか嘲るように言った。

「キミでは、乱尽には勝てない」

 その直後だった。


 !! 


 突然、リューが吹き飛ばされるように後退した。


 何か大きな物に衝突し、それに耐えるように両足を踏ん張りながらも、衝撃に押し切られていく。


 ざりざりざりっ! と靴底が削れる様な、激しい音と共にリューは吹っ飛び、5メートル程してようやく減速、静止を待たず、彼女はそのまま膝をついた。


「リュー!!」

 虎子はリューに駆け寄り、留山を睨みつけた。

「貴様ッ!」

「落ち着きたまえよ虎子……お前たちもだ、マリオン、ルイ」

 留山は自分を守るように前へ出たマリー姉妹の頭を優しく撫でた。

 突如発生した一触即発の空気。誰もが臨戦態勢を取る中、リューは膝をつき、俯いたまま「……申し訳ありません。裏さん」

 と、留山に向かって侘びた。


 リューが先に手を出したというのか?

 虎子は息を飲む。

 信じたくないが、否定しきれない。


 ……しかし、状況は最悪の事態ではない。その一歩手前の刃境はざかいで、留山は悠々と構えていた。さらに言えば、その表情には傷心のリューを憐れむような傲慢さすら垣間見えた。


「気にする事はない、リューさん。キミの心中、察するに余りある。それに私も無神経な物言いだった。済まなかった、リューさん」


 留山の言葉は、リューに届いてはいない。彼女はただ、目を瞑り暗闇に意識を落としていた。


 凄まじい衝撃と激痛、そして筋肉の硬直だった。まるで吹き飛ばされた様になったのは、筋肉が急激に緊張したからだ。自分の意志ではない。

しかし、結果的に自分の身は守られた。あのまま右手を繋いだままだったら、当分右手は使用出来ないほど負傷していただろう。

(今のは一体……) 


 すると留山はネクタイを締め直しながら、ゆっくりと近づいて来た。

 そしてリューの耳元で囁いた。

「……今のは乱尽の技だよ。覚えておきたまえ」


 リューの瞳がカッと見開き、そして直ぐに滲んで、雫をポロポロと落とした。

(……何も出来なかった)


 留山のセリフが、リューの頭の中で不気味に反響していた。

『キミでは、乱尽には勝てない』


 それを否定できないことは、リューが一番良く分かっていた。

「……くっ、うう……っ!」

 リューはそのままうずくり、微かに震えて嗚咽を漏らした。


 アキはこの状況に困惑したが、澄も刃鬼も沈鬱な面持ちで見守るのみ。

 虎子はおもむろに立ち上がって言った。

「……刃鬼、医務室を借りられるか?」


 刃鬼が頷くと、虎子はリューに肩を貸し、ゆっくりとその場を離れた。


 その際、虎子は留山を無言で睨めつけた。

 わずか一瞬。その一瞬に様々な感情が込められているのは間違いない。


 留山はそれを真正面から受け止め、薄っすらと笑みを浮かべていた。

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