第35話 鬼の貴族

 仁恵之里に出没する正体不明の怪物『鬼』。


『鬼』のほとんどが獣に近い人形で、サイズは大小様々だが腕力、体力は最低でもひぐま以上あり、知能は低い。


 中には人語を解す者もあるが、基本的にはコミュニケーションを取ることは不可能で、雑食だが好んで人を食う。

 それは今も昔も変わらなかった。


 しかし、その鬼の中にも極めて知能が高く、人の姿と変わらないどころか飛び抜けて容姿端麗で、しかも人知を超えた身体能力や神通力の様な力を持ち、巨大な権力を誇る集団があった。


 それは数々の一族が集合する事で構成され、その圧倒的な力でそれ以下の鬼達を統べ、支配者として君臨していた。


 彼らは『マヤ』と呼ばれ、太古から畏怖、畏敬の対象とされてきた。


 しかし、長き時を経ていくうちに多くの一族が途絶え、今は片手で余るほどしか残っていない。


 その中の一人が平山家当主・平山不死美。

 魔法という人外の力を自在に操る美しき魔女。


 その魔女だけでも大災害に匹敵する危険を孕む存在なのだが、更に危険な『マヤ』が、突如として武人会本部に現れた。


 それが裏家当主・裏留山である。



 裏留山の出現を察知して即、虎子は走り出していた。

 何の前触れもなく現れた、3つの大きな気配。

 それらは二手に分かれ、一方は2つ揃って有馬家の正門。もう一方は屋敷の中の応接間。これはマヤ特有の空間転移を発生させたのだろう。

 虎子は裏留山の危険性を嫌というほど知っている。だからリューと澄には門へ向かわせ、自分は応接室へと向かった。万が一の時、リュー達では裏留山には対応出来ないと思ったからだ。

(珠鬼の話では、アキと刃鬼が応接間にいるはずだ……狙ってきたのか?)


 だとしたら何故。

 ……考え出したらきりがない、疑問だらけの状況だ。

 湧いて出てくる何故、何故という単語を振り切るように、虎子は応接間を目指した。


 廊下を駆け、中庭を飛び越え、部屋を突っ切り、まるで猫のようにしなやかに素早く、最短距離で応接間へと辿り着いた虎子。

(間に合ってくれ……!)

 最悪の状況なら、即座に命の奪い合いになる。

 彼女は意を決し、応接間の襖を思い切り開いた。



「留山ッッ!!」


 しかし、応接間は穏やかで静かだった。

 刃鬼は刀を構えていたものの、アキは全く傷つく事もなく、留山と固い握手を交わしていたのだ。


「……虎子? どうしたんだよ、そんなに慌てて……」

 アキは留山と握手をしたまま、呆気に取られるように虎子を見つめた。

「あ、いや……」


 虎子はまず、アキの無事に安堵した。

 なぜ二人が握手を交わしているのかは分からないが、少なくとも修羅場の空気とは程遠い。


 刃鬼が刀を構えているのは留山出現に対する咄嗟の防衛行動だと理解できるし、そしてなによりアキが傷付けられたり、何かを強要されている様子もない。

 握手に関しても自発的な行動と受け取れる。


 何れにせよ、自分の恐れていた事態にはなっていない。

 その安心感が、虎子から殺気を消し去った。

 刃鬼も虎子の殺気が霧散した事を感じ、刀を鞘に収めた。

 その直後だった。


 留山は虎子に向かってどこかいやらしさを感じさせる笑顔で言った。

「やあ。久しいなぁ……ひめ


 一瞬の間。


 アキは『姫』という単語を確かに聞いたが、状況とは全く繋がらない言葉なので自分の空耳かと思ったが、虎子の様子がおかしい。


「貴様……」

 呻くように呟き、虎子は留山を睨みつけていた。

 長い髪がざわめき、どこから湧き出てくるのかわからない憤怒が、収めたはずの殺気を再び呼び戻している。


 原因不明の危機に、刃鬼の右手は無意識に刀の柄に触れたが、留山はその殺気をものともせずに笑った。

「まあまあ、そう怒るな『虎子』。冗談だよ、冗談」

 そして彼は、親しげな笑顔と口調で彼女に歩み寄った。

「久しぶりだね。また一段と美しくなったなぁ。今度、食事でも如何かな?」

「……何をしに来た、留山」

「つれないねぇ」

「質問に答えろ……」


 虎子の様子は怒りとは少しだけ違う感情に思えた。憎悪にも近いそれは、今にも爆発して制御を失いかねない。虎子はそれを必死で抑え込んでいたように、アキの目にはそう映った。


「『奴隷くん』の引き渡しだよ。いつもは不死美の仕事だが、今日は不死美が急用で不在なんでね。私が代役として馳せ参じたのさ」

「奴隷? ……先日、私が倒したあの鬼か」

「そうそう。それにしてもよく殺さなかったね。昔のキミなら、なんの迷いもなく殺していただろうに」

「留山、それ以上無駄口を叩くな。それとも、今すぐ口を利けなくしてやろうか」

 虎子の右手が攻撃的な動きをした瞬間、刃鬼が慌てて二人の間に入った。


「う、裏様! 鬼の引き渡しと仰いましたが、平山様からはその様なお話は伺っていませんが……」

 取り繕うように言うと、虎子の方を向いて小声で(落ち着いてくれ!)と懇願するような顔で言った。

 虎子としては腑に落ちないが、武人会会長にこんな顔をされては退かざるを得ない。


 留山はそれを承知で、虎子から完全に意識を外し、刃鬼と向き合った。

「不死美からは、私から直接有馬会長に伝えて欲しいと言われましてね。なにせ急な事で」

「そ、そうですか、そういう事なら……では、手続きが必要なのはご存知ですか?」

「ええ。しかし、詳しくは……。後学のためにも、教えて頂こうかな」

「では、こちらへ……」


 話は刃鬼と留山の事務的な内容に移ったようだ。そして刃鬼は部屋を出るとき、虎子へ一瞬目配せをした。

 あとは任せろ、と言うことだと判断し、虎子は小さく頷いた。


「……アキ、大丈夫か? 留山に何かされなかったか?」

 虎子はアキに駆け寄るが、アキは虎子の焦りように首を傾げた。

「別に? それより何だよ、汗びっしょりだぞ」

「……アキ、留山は危険だ。奴は平山と同類だ。鬼の側のトップクラス……いや、もしかしたら、あいつこそが最も注意を払うべき存在なのかもしれない」

「危険だって? でも、そうは見えないぜ。それに、父さんとも知り合いだったって……」

「留山とご尊父の関係は刃鬼から聞くといい。とにかく、今後和平に向けた動向の中で留山と接触する機会もあるだろうが、あまり気を許すなよ」

「なんでだよ。確かに危なっかしい雰囲気するけど、そこまでじゃなさそうだけど」


 虎子は無理もない、と言う様な表情をしたものの、語気を強めた。

「……私の貧困なボキャブラリーでは留山を言葉で形容することは難しいが、もし一言で言うなら……」

 虎子は一旦間をおいて、続けた。


「……『化物ばけもの』だ」


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