第34話 姉妹は舞う

 マリー姉妹シスターズの意識は、既に門番の男には向いていない。

 向けてはいけない。そんな状況になったのだ。


 姉妹シスターズは知っていた。

 突然現れた二人の少女が何者であるのか。



(あのチビが護法家護符術の……)

 マリオンはルイにだけ聞こえるように囁く。

(もうひとりの方は、九門九龍……)

 ルイは視線をリューに向けたまま小さく頷いた。

(あれが、お館様の仰っていた九門九龍の『じゃない方』か……)



 2対2。

 期せずして膠着した状況の中、門番の右手はもう限界を超えている。いつ粉砕してもおかしくない。

 痛みに耐える彼の辿々しい息遣いに、リューの眉が微かに動いた。


 一つの選択ミスが致命的な結末を招くような危機的状況だと、マリー姉妹の出現を察知した瞬間からそう判断していたリュー。


 はやる気持ちを抑え、息を整えて言った。



「……少しお話をしませんか?」

 リューは普段どおりの優しい口調と、朗らかな表情でマリオン達に言う。

 その提案に対し、マリオンは薄笑いで返した。

「話し? なんで?」

「私達は来たばかりなので状況がよくわかりません。それに、暴力はいけませんよ」

「先に手ぇ出したのはこの人なんですけどー」

 マリオンが門番と繋がったままの右手を軽く引きよせると、門番の彼は激痛に顔を歪めて低く呻いた。


「……あなた達はちゃんとお話が出来るようですし、もしかしたら話し合いで解決出来るかもしれません。それに、お互いに何か誤解があるのかもしれません。とにかく、乱暴はいけませんよ。門番さんも痛がってますし、手を離してあげてください」


 それはマリー姉妹にとってはありえない、まさに噴飯ものの提案だった。

「……はー」

 マリオンは深いため息をついた。ルイも同じ様にして肩をすくめている。

「……つまんないね、ルイ」

「そうだね、マリオン」

「もー、やっちゃう?」

「そだね。やっちゃおっか」

 彼女達は顔を見合わせてこの退屈を二人で見下したのだが、それがいけなかった。



「何をやるんですか?」

 不意に、リューの顔が二人のそれを覗き込んで言う。

「理由もなく争うのはやめましょう。ね?」


 マリオン達はこの段になってようやく気が付いた。

 リューは自分から視線が逸れた僅かな瞬間に、この距離まあいを詰めたのだ。


 二人がリューから目を離したのは、3秒にも満たない僅かな時間。

 その間隙を縫う様に、リューは一気に飛び出していた。地面を蹴る乾いた音は、リューの靴が鳴る音。その軽い音とともに、リューはマリオンの間合いに深く侵入を果たしていた。


「……っ」

 マリオンは息を呑む。

 制空権を獲られた――。


 その事実を肌で感じたマリオンに迷いはなかった。

 門番を拘束していた右手は躊躇なく、リューを攻撃するために鋭く束ねられた手刀と化した。そして、敵を確実に仕留めるべく限界まで早く撃ち出される。

 狙いはリューの腹部!


 思い通りなら深く突き刺さった右手がリューの内蔵を引き摺り出し、返す刀で澄の首を撥ねただろう。 


 しかし実際の手刀はリューの衣服にすら届くことは無く、リュー本人の手によって手首を掴まれ、その動きを止められていた。


「!!っ」

 小さな右手首に絡む華奢な右手。

 なんの事はなく止められた手刀を、マリオンは微動だにする事ができない。

(う、動かない……?!)


 掴まれた右腕は嘘のように動かなかった。

 有馬流門下の屈強な男を軽々上回るマリオンの腕力が、自分より多少上背のある程度の少女の腕力にまるで刃が立たない。


「……やめましょう、私は無駄な争いはしたくありません」

 そう言って、リューはマリオンの手首を拘束する右手に、ほんの少しだけ捻りを入れた。


(っ!?)

 瞬間、マリオンの膝ががくんと落ちて彼女は跪き、手首に走る激痛に言葉を失った。

「〜〜ッ!」


 たったそれだけでマリオンは制圧され、身動き1つ取れなくなってしまった。

 右手首の激痛は感じたことの無い渦を巻き、極められたのは手首だけなのに、全身の関節が固まって動かない。


 ただの関節技サブミッションとは明らかに異質な技術に、マリオンの白い肌は泡立つように鳥肌をたてていた。

(これが九門九龍……)


 マリオンは周辺視野で僅かにルイの姿を確認出来たが、ルイはルイで澄の護符術によって動きを封じられている様子だった。


「動かない方がいいよ。こんがり灼けちゃうから」

 澄の護符は連なってロープのようになり、マリオンの首にゆったりと掛けられていた。

 一見するとおふざけの様に見える姿だったが、ルイはその危険度を察している。


 門番の男は澄の目配せで全てを察し、安全な場所まで退避した。

 これで彼を盾にするような行動は出来ない。

 ルイは状況だけを目で追い、そして石像のように動かず、マリオンに視線を投げた。


「……」

 二人の視線は申し合わせたかのように絡み合い、そのまま姉妹は言葉もなく見つめ合った。

 時間にして1秒未満。

 姉妹だからこそ、それだけで意思疎通が出来た。


 二人の出した結論は同じだった。

 マリオンは二人で出した結論こたえを実行する為、痛みを堪えて思い切り息を吸い込んだ。そして……


「いたああああいっ!!」


 絶叫だった。

 マリオンは号泣し、顔を真っ赤にして苦悶そのものの表情と声で訴える。

「痛いっ! いたいよおおおっ!!」


 苦痛を訴える絶叫は、場の空気を一変させた。

 それは姉妹が作り出した好機。

 ルイはすかさずリューに懇願した。

「お姉さん! マリオンを許して! お願い! 手を離してあげて!! マリオン痛がってる!!」


 澄はその様子を冷やかに見つめた。

(わざとらしいなぁ……)

 手のひらを返す様な姉妹の豹変ぶりは滑稽とも感じられたが、この状況をそのまま切り取って見れば、人道的にこれ以上姉妹を攻撃することは出来ない。

 してしまえば、それを見る者の目には『幼い姉妹を一方的に痛めつけている』といった様に映るだろう。


 しかし、姉妹は見た目はともあれ鬼だ。

 あわよくば隙を見て反撃に転じてくるかも知れない。


 澄は、例え倫理的に問題があろうとこのまま様子を見るべきと考えたが、澄の結論を待たずにリューはマリオンの拘束をあっけなく解いた。


「ぅえ? ちょ、ま、リュー?!」

 澄は予想の斜め上を行くリューの行動に慌てたが、リューは平然としている。

「大丈夫ですよ、澄。それに、これ以上は必要ないです」

「だ、大丈夫じゃないでしょ? 今のだってどう見ても演技じゃん! ふん縛っておいた方がいいって!」

「まあまあ。それにこの子達は会話ができます。そんな鬼は滅多にいません。いるとしたら……」

「……『マヤ』かも、ってこと?」


 澄の推察にリューは小さく頷き、泣きべそをかくマリオンの前に膝をついてかがみ込み、その顔を覗き込んだ。

「……痛くしてごめんなさい。でも、私も武人としての責務があるんです。わかってくださいね」


 その申し訳無さそうな顔に、マリオンはぞっとした。


 リューの言葉と表情には嘘がないと直感したのだ。

 にもかかわらず、攻撃には躊躇がなかった。

 リューは正確無比に仕留めに掛かってきた。

 そして、きっとはじめから無傷で終わらせると決めておき、そのとおりに終わらせた。


 あの状況、リューは自分の手首など簡単にへし折る事が出来ただろうし、そもそもの戦闘能力の差からしても自分達を無力化させる攻撃も選択肢にあっただろう。それなのにそれをしなかった。


 どちらも本物のリューだ。

 その矛盾を隠そうともしない二面性に不気味な底知れなさを感じたマリー姉妹は、戦闘回避は妥当な判断だと確信した。


「……私達こそごめんなさい。久し振りの人間界なので、つい調子に乗ってしまいました。本当にごめんなさい。さっきの人も、ごめんなさい……」

 しおらしく、涙ながらに頭を下げる幼い姉妹に、門番の男が遠くから「大丈夫、気にしてないよ」とやや強めにアピールしている。


 澄はあっさりと引き下がった姉妹の素早い判断力と、可憐な容姿を利用した狡猾さに「荒事慣れ」を感じ、門番の男のどこか嬉しそうな顔には「あいつロリコンなんじゃないの? あたしの事もたまにじーっと見てくるし……」と懐疑の目を向けていた。


 兎にも角にも取り敢えずの危機は去った。

 リューは安堵するように微笑むと、マリー姉妹と目線を合わせるようにして言った。


「……ところで、あなた達は何者で、何をしに武人会本部ここへやってきたんですか?」

「はい、私はマリー・マリオン。そして……」 

「私はマリー・ルイと申します」

 マリー姉妹は恭しく頭を垂れた。

「……私達の自己紹介は必要ですか?」

 リューの問いに姉妹は一寸顔を見合わせ、首を振った。

「お二人の事は不死美様から伺っています。私達は、その平山不死美様のご命令でこちらへ参りました」


 平山不死美……その名前に、澄が反応した。

「ふーみんの指示?」

「……ふ、ふーみ……そうです。不死美様の……はい」

 ルイの返事はなにやら含みのあるものだったが、とりあえず流した。

「ということは、あなた達は不死美さんのお家のメイドさんで、「マヤ」ではないと」

 リューの問い掛けに、姉妹は揃って首を横に振った。

「そんなそんな、滅相もない。私達などマヤには程遠い存在です。それに、私達は不死美様の配下ではありません。私達は、裏留山様の使い魔でございます」


 裏留山。

 その名前にリューの眼光に鋭さが帯び、澄の顔が引きつった。

「もうひとり来てんのが裏留山なのね。道理で。ふーみんとはまた違う、バカでかくてヤバめな気配なわけだ」

「不死美さん以外のマヤ……お姉ちゃんは最初からわかってたのかもしれませんね。だから自分は応接間の方へ向かったんでしょう」


 リューのつぶやきに、マリオンの目付きが一瞬だけ変わった。

「……お姉様、といわれますと……」

「一之瀬虎子です。お姉ちゃんの事も知っていますね?」

「はい。ですが、虎子様の事は裏留山様おやかたさまから伺っています」

 すると、ルイがマリオンのメイド服の袖をちょいちょいと引っ張った。


「ねぇねぇマリオン、それってヤバくない?」

「え? 何がヤバいの? ルイ」

「だってお館様、虎子様と何か因縁があるとか何とか、仰ってなかったっけ?」

「……あ、言ってたかも。顔を合わせる度に喧嘩になっちゃうって……」


 すると澄にも思う所がある様で、神妙そうに眉を潜めた。

「そういえば虎ちゃんだいぶ前に、裏留山とは相性悪いっていってたっけ。昔、ガチの殴り合いの喧嘩したとかって」


 リューは少しだけ思案するように目を伏せたが、すぐに顔を上げた。

「お姉ちゃんに任せておけばなんの問題もないと思いますが、今はとっても大事な時期ですし……わたしたちもお姉ちゃんと合流しましょう」


 こうして、マリー姉妹はリューと澄と一緒に、武人会本部に『潜入』を果たしたのだった。


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