第32話 暗躍の裏

 有馬刃鬼は誰もが認める達人だった。


 それは例え話や噂話という程度のものではなく、実際目で見える形で達人だった。


 つまり、これまで数え切れない数の鬼を実際に斬り伏せて来ているということ。そしてそれを仁恵之里の人々が知っているということ。


 あるときは自分よりも大きな鬼を。

 あるときは複数の鬼を。


 刃鬼は一切の躊躇なくたおし続けてきた。それが武人会会長としての責務と信じた。


 そんな刃鬼が、これまで一度もその切っ先を向けられなかった鬼がいる。

 その数、4。


 彼らは鬼、と言うには知性が高すぎ、戦闘能力が高すぎ、危険過ぎた。


 その内の「ひとり」の気配が、刃鬼の居合を止めた。


 刃鬼はその突然の『凶兆』に即反応。

全ての行動を中止し、バックステップで間合いをとった。


一瞬の出来事だった。


 その一瞬で行われた刃鬼の神速を、アキは全く捉えることが出来なかった。



 だからアキの目には、それは刃鬼が抜刀するかと思いきや、即座にバックステップで後退するという意味不明な行動にしか映らなかった。


「???」


 困惑するアキ。刃鬼はアキから必要以上に間合いをとり、それでも構えを解くことはなかった。


 一体何が?

 アキが状況を把握できないでいると、背後から薄っすらと煙草の匂いがした。


 ーーー煙草?


 煙草の残り香、と言ったほうが正しい。

実際に紫煙が立ち昇っているのとは違う、何かに染み込んだ微かな香り。

 そのほんのり甘く、焦げるような薄い香りは急激に濃度を増し、それが像を結んでいくように肥大化する。


 やがてアキは禍々しい殺気のような気配が、自分の真後ろに佇んでいる事に気が付いた。


 それは唐突に現れた。なんの前触れもなく、時間や空間を無視して、既にそこに『った』。

 そして、刃鬼が十分な距離を取ってその「何か」に対して最大級の警戒を向けている。そのことだけは、今のアキにも理解できた。


「……」

 アキはゆっくりと振り返る。

 野生動物を刺激しないようにゆっくりと行動するのと同じ様に、背後の「何か」を確認した。


「……そんなに怖い顔をしないでください、有馬会長。どうしても我慢できなくてね。お邪魔は承知で、ついつい来てしまった。その非礼は、お詫び申し上げる」


「何か」は言葉を発した。日本語だった。

 男の声で、まるで映画俳優のような、渋みのある低い声だった。


「キミが国友秋くんだね……はじめまして。私はね、キミに逢いたかったんだよ……」


「何か」はスーツ姿で、背が高く、筋肉質で、綺麗に整えられたオールバックの髪型と顎髭が印象的な、ハンサムを絵に描いたような中年の男だった。


「私はうら 留山るさん。キミのお父上には随分とお世話になったんだ」


 裏 留山と名乗ったその男は物腰柔らかにアキに微笑みかける。

「……突然現れて、突然自己紹介をする無礼をどうか許してくれたまえ。でも、私は本当に待ちきれなかったんだ。だからつい、空間を移動してしまった。驚かせてしまったのなら、重ねてお詫びしよう」


 その優しげな笑みの裏に潜む慇懃さを察知した、アキの本能が警戒する。

 この男は危険だ。しかも、質が違う。


「お父上の事は残念だった……そうだ、何か困りごとがあれば、何でも言ってくれたまえ。私ならきっと、キミの力になれると思う」


 アキは夜の街でこういった人間を何人も見てきた。

 親しげな顔の裏に、狂気を隠した卑怯者。

今さっき出会ったばかりのこの男に、アキはこれまで感じてきたものとは明らかに異なる危険を感じていた。


「アキくん……これからも、よろしく頼むよ」


 そうして差し出された右手。

 友好的な握手を求めている事は明らかだが、アキはそれに応じるかどうか、激しく迷っていた。


 その手に触れてはいけないような……触れればある種の毒に冒されるような、そんな危険をその大きな掌からひりひりと感じる。


 触れてはいけない危険な物体。

 それがわかっていながらも、それでもアキはついに自身の右手を差し出した。


 危険とわかっていながらも、アキは留山の求めに応じる決断を下したのだ。


 刃鬼はその様子に戦慄した。

(……やられた!)

 裏留山という男の度を越した危険性を十分に理解する刃鬼。


 にもかかわらず、今の今まで全く動けなかったのは、留山を恐れていたからではない。

 体と意識が鉛の様に重たくなり、この状況に至るまで行動の自由を奪われていたのだ。


 奪ったのは誰あろう、裏留山。

 留山の様な『鬼』を超越する存在が使用する「技」に、刃鬼は気が付かないうちに冒されていたのだ。


 その技の名を、宝才ほうさいと呼ぶ。


「アキくん! 駄目だ! 下がりなさい!!」

 静止を促す刃鬼の叫びが大広間に虚しく響いていたその時、もう一つの異変が有馬家の正門で起こっていた。



 正門の前に、突然二人の少女が現れたのだ。

 その少女二人は小学生の様な女児然とした可愛らしい風貌だったが、その姿が異様だった。


 双子の様に瓜二つ。一人は赤いメイド服。もう一人は緑のメイド服。場違いなのは、ひと目で分かる。

 アニメの世界から飛び出してきた様な、明らかに美少女の分類に入る二人の少女が、有馬家の正門を守る有馬流の門弟の眼前に、言葉の通り「突然」現れたのだった。


 意味不明な状況に困惑する門弟に対し、その少女二人は、二人同時に一糸乱れぬ唇の動きで言った。


「有馬刃鬼会長に、お目通りを願います!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る