第31話 有馬刃鬼

 アキは珠鬼に連れられ、屋敷の廊下を黙々と歩いた。

(広い家だな……)

 どこもかしこも年季の入った屋敷は広大で、それがそのまま武人会の力の強さを表しているようだ。


 東京の地下で賭場を主催するあのオーナーですら武人会には逆らわなかった。

 アキはあの時点でこの武人会という組織の持つ権力や影響力の大きさを感じていた。


 その組織の『長』と、これから直に会って話をするのだ。これが緊張せずにはいられるわけがない。自ずと意識は散漫になり、この長い廊下がいつまでも終わらない無限回廊に思えたその時。


「アキさん」

 珠鬼に呼び掛けられ顔を上げると、アキの眼前にずらりと並んだ美しい襖が彼を出迎えた。

「……ここは?」

「応接間です」

 端から端まで何メートルあるのか、とにかく整然と並ぶ襖の数々がその応接間の広さを物語る。襖は立派なもので、並んだそれらが龍をモチーフにしたであろう一枚の絵を成していた。


「中でお待ちを。直ぐにお茶を用意します」

「え? あ、はい……」

 珠鬼に促され、その広い和室に通されたアキ。

(なんか変な感じだな)

 部屋に入って感じたのは、得も言われぬ違和感だった。

 閉じこめられたような感覚は、この部屋の広さが原因なのか。


「何十畳あるんだ? この部屋」

 数えるのも嫌になるくらいの畳の数だ。その部屋の前方に、立派なテーブルがあった。


 一枚板で作られたそのテーブルはいかにも高価そうで、アキは傷でもつけたら大変だと思って触らないように気をつけて、取り敢えずその場に腰を下ろした。


(……会長ってどんな人なんだろ……)


 虎子は呼び捨てにしているものの、会長は会長だ。妻である珠鬼が「会長」と、わざわざ言い換えるぐらいだ、こんな広い道場の主なんだから相当な権威があることも間違い無い。


 筋骨隆々な武士のような人物か?

 はたまたいかにも達人然とした老人か?

(いや、それはないか……)


 アキが様々な『有馬刃鬼』を想像していると、障子の向こうからアキを呼ぶ声がした。

「アキくーん、失礼するよー」


 瞬間、アキの心臓が跳ねた。有馬刃鬼に違いない。

 思ったより若い声に驚きを隠せないまま、アキは応えた。

「ど、どうぞ」


 かた、と襖が鳴って現れたのは背が高く、長い髪を後ろで一つに纏めた若々しい男だった。

 この人が有馬刃鬼……アキの想像とは少し違ったその男に対し、どんな反応をすべきか迷った。


「やあアキくんお久しぶり! 大きくなったねぇ!」

 にこやかに右手を上げるその男性に、アキはやはり見覚えが無い。

「お、お久し振りです」

 それでもそう答えるアキに、有馬刃鬼は優しく微笑んでいる。その笑顔に、鬼と戦う集団の長という印象は微塵もなかった。



 ここは有馬流の道場。そして目の前の人物は有馬刃鬼。ということは彼がこの道場の道場主……それにしては、有馬刃鬼は全然強そうには見えなかった。


 にこにこと人の良い笑みをたたえ、物腰も声のトーンからして柔らかそうだ。確かに背も高くて体格も良いが、だからといって武道の実力がそこに窺えるわけでもなく……年齢は春鬼の歳からして大斗と同程度か、いっていても40代後半か。それにしては若々しさを感じさせる不思議な『張り』があった。


「アキくん、僕の顔になにかついているかな?」

 あまりにじっと見つめられていた刃鬼が笑うと、アキはぶんぶんとかぶりを振った。

「い、いえ。特に何も……」

「ははは、それは良かった」


 刃鬼は机を挟んでアキの正面に腰を下ろし「では」と口角を上げ、何か面白い話でも始めるように姿勢を正した。

「早速だけど……避けてごらん」


 え?



 突拍子もない台詞に意識を刈り取られたアキの眼前を細い銀色の光が疾走はしった。


 右から左へ煌めくように駆け抜け、ほとんど同時に上から下へとその銀色が落雷のようにひらめいた。


 まさに一瞬。『秒』を細かく刻んだような一瞬のうちに、その閃光はアキの目の前で十字を象った。



 ???


 何が起こったのか、アキには理解できなかった。

 いつの間にか刃鬼との距離が開いている。

 机を挟んで向かい合っていたはずなのに、アキは1メートル程、後方に下がっていたのだ。

 反射的に何かを避けた。そんな感覚だった。


「お、躱したね。なかなかやるなあ」

 刃鬼はどこか嬉しそうな顔で言う。その手には剥き出しの日本刀が握られていた。

(刀!?)

 アキは混乱した。自分に何が起きて、何をされたのかがまるでわからない。


(刀だなんて、あの人そんなもん持ってなかったぞ?? どこから出てきた? つーか、斬られたのか?)


 アキの脳内で様々な角度から疑問や戸惑いが噴出するが、それが一斉に停止した。

 なぜなら、目の前にあった立派なテーブルがずずず、といびつな音を立てながら中央からきれいに四分割されたのだ。


(!?)

 崩れ落ちる様に、あの立派な佇まいのテーブルは四つの木の塊と化した。

 それを待っていたかのように、刃鬼は口を開いた。


「いまのは有馬流・四葉刀よつばとう。一息で十字に切り伏せる居合の技なんだけど、そうそう躱せるものじゃあないよ?」


 重たい音を連れて崩れたテーブルの残骸。その向こう側には鋭い光を放つ刀を大上段に構え、既に次の技を用意してアキが整うのを待ち構える刃鬼が居た。


 アキはその瞬間まで何が起きたのか理解できなかった。ましてや、今の攻撃を避けたという自覚など、あるはずも無かった。


「じゃあ、これはどうかな?」

 そして降り下ろされた刀はアキを脳天から捉えた。

「ッ!!」


 斬られた。

 今度こそ斬られた。

 冷たい刃の感覚が頭頂部から股間にかけて……走る。


 はずだった。


 斬られたと感じたのはアキの感覚だけで、実体は刃を受け入れることなく、全身を捻るようにして、まるで見送る様にその斬撃を躱した。


 そしてその刃が上から下へと真っ直ぐに打ち落され、アキの身体がそれを見送ったと同時にこの広い部屋に轟音が響いた。


 バシィッッ!!


 破裂するような怪音は畳が裂けて四散するそれで、アキの避けた斬撃がそうさせたのだ。

 刀、というより棍棒で叩きつけたかのように、足元の畳は広範囲に渡ってバラバラに砕け散っていた。


 だが、アキはその破壊に巻き込まれることなく安全圏まで退避していた。もちろん、アキの意志とは別に、身体が勝手にその行動を選択、実行していたのだ。

 先程と全く同じ事が起きた。

これは偶然ではない。刃鬼はそれを肌で感じていた。


「……いまの『吾妻牙あずまきば』をそんなふうに避けたのはキミが初めてだよ。正直驚いたなぁ」


 刃鬼は刀を鞘に収め、構えを解いた。取り敢えずこれはチャンスとアキは声をあげた。


「や、ややややめてください!」

 一歩間違えればマジで死ぬかもしれない凶行を迷いなく実行するこの男にそんな言葉が通じるかどうかわからないが、今のアキにはそうするしかない。


「い、いきなりなんなんですか? あなた、ホントに会長さんなんですか?」

「うーん、でもしきの気配は薄い。虎子の言ってた通りだね」


 ……通じなかった。というか、聞いてすらいない。

「でも、識じゃないわけではなさそうだ」


 そして刃鬼は顎に手を当て、思案するような仕草で言った。

「ということはやっぱり、これしかないなぁ」


 刃鬼は腰に差した刀の鞘に左手を添え、右手で柄に触れる。

「アキくん。コレを避けられるなら良し。避けられないなら、絶対に動かない事。いいね?」


 アキの承諾を得ないまま、刃鬼は構えた。

 しかし刀に手を掛けてはいない。


「……本気の居合を止めるの、苦手なんだ」


 瞬間、アキの感覚が全停止した。

 それまでむしろ研がれていく感触すらあった感覚機能が一気に鈍り、萎んでいく。


 ……リューが武力をアキに使ったあの時の感覚と同じだ。血液がすべて鉛になってしまったのかと思えるこの「鈍り」。しかし、あの時とは少し質が違う。


 リューとの戦いの時に感じたのは「重さ」。今は「鋭さ」を感じていた。


 刃鬼は何も持っていない右手を前方に向け、ゆっくりと薙いだ。


 するとその軌道に沿うように銀色の光の粒子が煌めき、直ぐに一振りの日本刀へと姿を変えた。


「有馬流 『黒鉄刃くろがねやいば』……」


 刃鬼が宣誓するように呟くと、彼の刀が消えた。

 あまりの速度に視覚がついて行けず、残像すら残さず、不可視の刃がアキを目指して駆けたのだ。

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