第29話 刃鬼ん家

 武人会本部へと向かう車中、リューは一言も喋らず、ただ車窓の流れる風景を浮かない顔で見つめていた。


 リューはどうして、桃井に対してあんなに露骨な態度をとったのか。


 リューが桃井に対して拒否感を抱いている事は明らかだ。おそらく虎子もそれをわかっている。だからあんなに焦ってフォローに入ったのだ。


 リューと桃井の間に何かしらの確執があるのだろうか。



「……大丈夫か?」

 アキが何気なく訊くと、リューは何も答えなかった。

「……」

 返答が貰えなかったアキは所在ない視線を自分の手元に落とし、気まずい空気に耐えようと唇を噛んだ、その時。

「なにがですか」


 抑揚のない冷めた声で、リューは応えた。


 ぞっとした。

 あの朗らかなリューから、そんなにも感情のこもらない声が出るなんて……。


 アキはゆっくりと顔を上げ、恐る恐るリューの顔を窺う。

 すると、リューはいつものような柔和な顔で「どうかしましたか?」と、逆に聞き返してきた。


「え、いや、な、なんでもないよ」

 リューはいつもどおりだった。

 何事も無かったかのように……いや、何事もなかったことにしたそうに、リューはいつもどおりだった。


 アキはリューのその反応もなんだか怖くなって、車窓に視線を投げた。



 既に自分の緊張なんてどうでも良くなってしまったアキ。

 まだ一日は始まったばかり。しかも、まだ武人会へもついてないというのに、色々なことが起こり過ぎて既に疲れた。


 リューと桃井の事もあるが、それと同じくらい気になるのは虎子のある行動だった。

(あの時、虎子は何をしたんだ?)


 桃井はアキの事を知らなかった。初対面は当然として、事前に何かに情報を得ている素振りもなかった。


 しかし、虎子が『指を鳴らした』途端、まるで申し合わせたかのようにアキの事を『思い出した』。

 あんなに気が立っていたというのに、桃井は突然平常心を取り戻してアキを受け入れたのだ。


 あれはあまりにも不自然だった。桃井の性格を把握していないにしても、あの雰囲気からして記憶力はかなり高そうだ。

 仮にそうでなかったとしても、予定や新たな情報はメモ帳に書き留めたり、スマホやパソコンなどのデバイスに記録することは怠らなさそうな印象だ。


(まさか、催眠術?)

 アキ自身、そんな事はあり得ないだろうと鼻で笑いたくなったが、そうでもなければ説明がつかない。

(だったらどうしてなんだ……?)


 アキが思考の泥沼に沈みかけていると、車がゆっくりと停止した。


「お、着いたぞ。アキ」

 虎子に声をかけられ、アキは顔を上げて驚いた。そして、思わず声が出た。

「……すげぇ」


 アキの目に飛び込んできたのは、まるで時代劇に登場する大名屋敷のような超絶立派な建物と、それに見合った表門だった。


 まさに息を呑むとはこの事で、戦国時代系のテーマパークさながらの威容にアキは圧倒された。


「さぁ、行こう行こう」

 しかし虎子は勝手知ったる、と言った様子で車を降り、呑気に伸びをしてついでにあくびまでしていた。


「秋くん、私達も行きましょう」

 リューに促され、アキも車を降りた。

 すると車は車庫へ向かうと言うことでその場を去ったのだが、車の行く先に車庫らしきものはなく、延々と続く建物の塀を見やるにこの屋敷の巨大さは推して知るべしと言ったところだった。


「アキ、あれを見てみろ」

 そう言って虎子が門を指差した。そこには年代物の大きな看板があった。その看板には『仁恵之里武人会』と大きく書かれていた。

「ここが全ての始まりの場所さ」

 そう言って微笑む虎子の顔にはどこか意味深なものがあった。


「秋くん、何かに思い出せませんか? 小さい頃、よく遊びにきていたんですよ」

 リューはそう言うが、アキにはやはり全く覚えがない。

「……ごめん、何も」

「あ、謝らないでください。私こそ、変なこと聞いてすみませんでした」


 頭を下げ合う二人を見て、虎子は思わず吹き出した。

「お前たちは本当に似たもの同士だなぁ。はっはっは」


 そうしていると、不意に門が鈍い音をたてた。

 ぎ、ぎ、ぎ。木が軋む大きな音を響かせながら門が開く。


 そして門が開ききると、数人のいかにも屈強そうな護衛を背に、一人の和装の女性が立っていた。


 その女性は場の雰囲気そのものの、大河ドラマに登場しそうな女優のような、大人の女性だった。

「お待ちしていました。虎子、リューさん、そして、秋さん」


 その女性の声は絹が擦れるように小さかったが、決して聞き取り辛くはなかった。むしろ不思議なほどよく通る声で、その美貌にふさわしい淑やかさがあった。


「しばらくだな珠鬼たまき。体の具合はどうだ?」

 虎子が親しげに言うと、珠鬼と呼ばれた女性もにっこりと微笑んだ。

「ええ、最近はご飯も美味しく食べられるわ」

「それは何よりだ」

 珠鬼はそのたおやかな笑顔をそのままアキに向けると、ゆっくりとアキに歩み寄り、そして丁寧にお辞儀をした。

「お久し振りです、秋さん」


 その美しい所作と珠鬼の美貌にアキは慌てた。

「お、お久し振りですっ」

 全く覚えがないものの、思わずそう応えたアキ。珠鬼はその反応に微笑んだ。

「一応自己紹介をしておきます。有馬珠鬼です。春鬼がお世話になっています」

「あ、はい、こちらこそ……え? て事は、有馬さんのお母さん?」

「ええ。それが何か?」

「い、いえ。なにも……ただ、お母さんっていうか、お姉さんかと思って」

「あら、お上手」

 そう言ってくすくす笑う珠鬼。その仕草も可愛らしく、ますますお母さんのイメージから離れていく。


「……秋さん」

 珠鬼は徐々に真剣な顔になり、目を伏せた。

「お父様の事……お悔やみ申し上げます。知らなかった事とはいえ、ご挨拶が遅くなってごめんなさい。肝心なときに何も出来なくて……」

「い、いえ。そんな……」


 珠鬼は目を閉じ、悲しみに耐えていた。

 この人も父の友人だったのだろう。アキは父の人望の厚さを誇りに感じると同時に、父の死を悼んでくれる珠鬼に感謝した。


「……父さんも、故郷に帰ってこられて喜んでると思います」

 アキがそう言うと、珠鬼は顔を上げた。その拍子に、彼女の瞳から二粒の雫が落ちた。

「父さんのことを教えて下さい。よろしくお願いします」


 アキが頭を下げると、珠鬼はしっかりと頷き、それに応えた。

「わかりました。では、参りましょう」


 そして、アキの長い一日がようやく始まったのだった。

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