第24話 武人会の九武人

「秋くん!!」


 リューの声が、嘘の様に大きな声がその場を一瞬だけ全停止させた。


 鬼も急停止し、リューの方に顔を向け、止まった。

 アキは振り返り、そこにリューがいることを確かに見たが、それがリューかどうか、はっきりと断言は出来なかった。

 なにせ、リューがあんな顔をするなんて想像出来なかったからだ。


「秋くん……」

 リューの全身が揺らめいて見えた。錯覚ではない。リューの周りが歪んでいる。明らかな怒気が空気を歪めているのだ。


「秋くんから……」

 鬼が緊張した。草食動物が肉食動物の接近に気が付いたような反応だった。しかし、もう遅い。鬼は表情から生気が抜けて、呆然としていた。何もかもを諦めていたのだろう。


 リューの放つ殺気は突風の様に空気を震撼させ、そのせいでアキの全身がびりびりと痺れた。

 その濃密な危機感は鬼を戦慄させ、逃走を選択えらばさせるには十分過ぎた。


 鬼が後退り、遁走の初動を見せたと同時にリューが一歩踏み込んだ。


 来る……!


 期せずして、鬼とアキの考えた事は同じだったのかもしれない。


「秋くんから、離れ……ッ!」

 しかし、来たのはリューではなかった。


 リューが一歩を踏み出し、その足底が地面を踏みしめる直前。リューの背後から音も無く、矢のように凄まじい速度で疾走してきた虎子が一寸早かった。

「九門九龍・『猪裡いのり』ッ!」


 その勢いはまさに猪突猛進。瞬く間に鬼の間合いに入り込んだ虎子は突進の勢いのまま跳躍し、更に全身の捻りを加えた渾身の拳を鬼の腹部に目掛けて思い切り叩き込んだ。


 ドドッ!!!


 着弾の鈍い音は地面まで伝わり、地鳴りの様に響く。

 鬼の体はくの字に折れ曲がり、踏ん張って堪えようとしたのだろうが、殴り飛ばされた威力を殺しきれず足元に二条の深い溝を刻みながら数メートル吹き飛んだ。

 鬼の口からは濁った音と、吐瀉物が零れ落ちていた。


「……」

 鬼は辛そうに体を起こし、よろよろとした足取りで前進しようとしたものの、すぐに耐えきれなくなって前のめりに陥落。

 顔面から地面に崩れ落ちた鬼は、腹部を押さえたままぴくりとも動かなくなった。


 たった1発のパンチで終わってしまった。しかも、虎子は十分すぎる程の余力を残している。汗ひとつ、息切れひとつも無いその姿が何よりの証拠だ。


 アキが全く歯が立たなかった相手を、虎子は文字通りに瞬殺してしまった。

(これが……)

 アキは霞んでいく風景の中、堂々と胸を張る虎子を見た。なんと頼もしくて、誇らしいんだろう。


 これが武人会の武人の実力ちから……。


 父もあんな風だったのだろうか。

 アキは父の皺だらけの手を、顔を、そして過去を想った。



「あ、秋くん! 大丈夫ですか?!」

 リューが慌ててアキに駆け寄るが、アキは既に気を失っていた。

「心配するなリュー。ダメージはあるが深刻ではない。すぐに救護を呼ぶから、それまでアキを頼む」


 虎子はリューを落ち着かせ、携帯スマートフォンを取り出して電話を掛けた。通話先の表示は武人会本部だった。


「……私だ。鬼が出た。乙種の雑魚だ……ああ、私が退治したが、始末はしていない。それと、怪我人がいる。大したことはないが、一応救護班を寄越してくれ」


 虎子は通話を終えると、ため息を一ついた。

「……さて、ウチの子をいじめる奴は、どこのどいつかな?」

 そして虚空を睨めつけた。


 虎子の眼光は遥か遠く、深い林の一際高い木の上で、アキと鬼の様子たたかいを窺っていたフーチへと突き刺さる。



「!?」

 フーチの全身が泡立った。

(感づかれた? 真逆まさか!?)

 望遠鏡でも見えるかどうかの距離だ。しかし、虎子ははっきりと自分を睨みつけた。その双眸が自分の両目を捉えたと、フーチは確かな実感があったのだ。


 フーチは焦燥のあまり、自分が林の奥深くに身を隠したことに「身を隠し終えてから」気が付いた。

 どこへ、どの様に移動したのか分からない。とにかく、一刻でも早く身を隠さなければと、考えるより早く体が逃げる事を選んだのだ。


 フーチとて、呂綺家の使用人として主人あるじを護衛する為、腕に覚えはある。

 にも関わらず、虎子のひと睨みで怯んでしまった自分の未熟を恥じたが、致し方ない事だとも理解していた。

「九門九龍……あれが、旦那様の仰っていらした一之瀬虎子。そして、一之瀬流……」


 呂綺家に仕えて十数年。その短い間に、主人から何度その武術の名を聞いたことだろうか。

 その恐ろしさ、強さ、素晴らしさを何度聞かされただろうか。


 それにしても、その九門九龍の師弟が揃って現れるとは、あの少年と何か繋がりがあるのだろうか。

「国友秋……」

 彼の事に思考が及んだ、その時だった。


 フーチは鼻腔をくすぐる花の芳香かおりを感じた。

「ッ!!」

 いや、この芳香は花のそれではない。この甘ったるく、蕩けるような香りは……女!?


「フーチさん」

 突如、フーチの頬を金色の長い髪が撫でた。

 触れる程、近くにあったのは平山不死美の顔だった。

「ひ、平山様!!」

「……人間に意地悪をしては、いけませんよ」


何故ここに平山不死美が?!

そんな単純な疑問に答えは無い。それは彼女がこの世で唯一無二の『魔法』という神秘を操る平山家当主・平山不死美だからだ。彼女の前では物理すらも簡単に翻る。


「あなたはご自分が何をなさったか、ご自覚がおありかしら?」

 にっこりと微笑む不死美。その美しい笑顔の裏側に何が潜んでいるのか、フーチにはわかっていた。


 今の一言に全てが内包されていた。不死美は全てを把握した上で、フーチをさとしている。であれば、一切の弁解は意味をなさない。


「も、申し訳ありません」

 フーチの声が、恐怖で緊張している。返答をひとつでも間違えれば自分など即座に灰塵と化す事を、彼はよく理解していたのだ。

 謝罪のみが、彼に許されるたったひとつの返答だった。


「……あなたはなぜ、国友さんにあのような奴隷おにを差し向けたのですか?」

 不死美はフーチを背後から抱くように、彼の顔の真横で質問を始めた。甘い香りがフーチの意識を蝕んでいく。


「それは……」 

「国友さんを魔琴に近づく狼藉者だとお思いですか? いいえ。それは勘違いです。彼と魔琴は今日、偶然出会ったのです。それに、近付いたのは魔琴の方です。それはあなたも分かっていたはず。それなのに、どうして彼を痛め付けるような酷いことをなさるのかしら。もしもの事があれば、あなたもただでは済まないというのに……」


 全てを把握されている。その事実に、フーチは生きた心地がしなかった。


 不死美の質問は尋問だ。回答次第で自分の身など、彼女の思う様になってしまう。

 フーチは最適な回答を模索するが、不死美はそれを待たなかった。


「……理由はどうあれ、あの方はわたくしの古い友人のご子息です。それに、魔琴の大切なお友達……今後、あなたもあの方と仲良くなさってくださいまし。くれぐれも、今回のような意地悪はなさいませぬように」


 それは厳命であった。

 平山不死美は自らが仕える主人ではないが、自分が無条件で従わなければならない身分の存在。フーチに選択の自由など端から無い。

「承知いたしました……」

 それを聞いて不死美はゆったりと微笑み、続けた。

「それともうひとつ。今日の事はあなたとわたくしの、2人だけの秘密です。誰にも口外してはいけません。この約束が守れるならば、今回の一件は不問とします」


 フーチは疑問に思った。なぜ不死美がそんなことを付け加えるのか分からない。

 それは暗に、主人への報告をするな、と言っているのではないかと考えたのだ。こんなことを報告させない様にする不死美の配慮と受けとるのは、都合が良すぎるだろう。しかし、彼に選択肢は無い。

「……ありがとう存じます」


 不死美はすっと下がり、フーチを解放した。

 それを理解したフーチは振り返り、不死美に対して深く頭を垂れ、闇を呼んでそのまま消えた。



 フーチが去ってすぐ、不死美の背後から、誰かがやってくる。


「ほう、あれが秋一郎の息子か」

 男の声だった。低く、落ち着いた声色は渋みを醸している。

「似てないな。というより、あれはまるで……」

留山るさん、念のために忠告しておきますが……」


 留山と呼ばれたその男。

 歳でいえば中年と表現出来ようが、仕立ての良い背広に身を包んだ大人の雰囲気と、色気のある瞳、そして綺麗に整えられた髭がまるで外国映画の俳優を思わせる、所謂いわゆる「色男」だ。


 不死美と並ぶとハリウッドスターの様だが、彼もまた、人ならぬ存在であった。


「分かっている。分かっているよ不死美。キミの邪魔はしない。ただ……」

 留山が懐から葉巻を取り出すと、葉巻はひとりでに着火し、うっすらと煙を立てた。

「あの少年に挨拶をしておかねば、と思ってね。秋一郎の息子なら、今は亡き彼の友として、それが礼儀と言うものじゃないか」


 そう言って留山は口角を吊り上げ、紫煙を燻らすのだった。

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