第22話 鬼
午後5時。アキは未だに仁恵乃里を彷徨っていた。
神社を出ても行くあての無い彼が取る行動はひたすら彷徨うしかなく、お金も無ければ店も無い、あるのは大自然だけというこの田舎町で空腹というのは致命的であった。本気で死にかねない。
魔琴とフーチの一件でさらに体力を削られたアキは何度も心が折れかけたが、このままおめおめと家に帰る気にはなれなかった。
それは何故か……答えは自覚していた。
自分は逃げてきたのだ。
もちろん顔面で襖をぶち破るという意味不明な奇行に出た虎子から、というのもあるが、本質は現実逃避だ。
今、自分の置かれている状況を咀嚼出来ず、受け入れられず、拒否し、逃げた。
無条件で向けられる厚意や感謝に応えることが出来ずに、ただ逃げた。
アキには自信が無かったのだ。
その気持ちに応える自信がなかった。もし応えてしまったら、何かとても重いものを背負わされるような気がしていた。
アキはその事を自分自身でよくわかっていた。
自信なんて、そんなもの無くたっていい事も、或いはこれから育んでいけばいい事もわかっていた。
それなのに……。
当て所無く歩き続け、夕日が強く顔に当たる頃、アキは高台の公園に到着した。
近くの標識には『記念公園』とだけ記されていた。
ここを目的地として歩いていたわけではない。しかし、まるでここが自分の目指していた場所だったかのような感覚がアキの全身を震えさせた。
「これって……」
アキは公園の入り口で立ち止まって顔を上げた。彼の眼前に聳えていたのは黒く、大きな石碑だった。
刻まれた文字は多くの石碑がそうであるように、達筆過ぎて学の浅い高校生には読み解くことが出来ない。しかし、犠牲者と鎮魂の文字だけはなんとか認識することができた。
犠牲者、鎮魂……12年前の出来事を想起させるフレーズ。
アキはその石碑には多くの人名が刻まれていることに気が付き、不意にその名前が目に入った。
一之瀬 雪
リューの母親の名前だった。
ここまでで得た情報は僅かだが、それだけでもこの碑が12年前に起きたという惨劇の犠牲者を悼むものである事は疑いようがなかった。
これまで
リューは母親を失った悲しみと辛さに耐え、それでも前を向いて生きている。
この12年。自分の生きていた時間と、リューの生きていた時間は同じでは無い。
彼女は逃げなかった。
それに引き換え、自分は……
「……」
アキの鼻孔が熱く滲むと同時に、背後に何者かの気配を感じた。
振り返ると、そこには鬼がいた。
初めて見たそれを、アキは直感で「鬼」だと認識した。
2メートルを優に超える身長と、それに不釣り合いな痩せた身体。辛うじて人の形ではあるが、顔は動物のようだ。体表を覆う短い体毛からしてチンパンジーによく似た風貌だが、動物でもないその生物は恐らく、鬼なのだ。
ず、と言う掠れた音が鬼の足元で鳴る。
ず、ず、ずと鳴る度、鬼が近づいてくる。
ほとんどを黒目が占める不気味な眼球がアキを捉えて微動だにしない。鬼は確実にアキを意識し、近づいている。
野生の熊に襲われて命を落とす。そんなニュースの記憶が脳裏を掠めた。
目の前の生物が熊ではないことは明白だが、自分の命を脅かす存在であることはほぼ間違いない。だらしなく開いた口から滴り落ちる涎が、その生物がアキを
逃げろ!
アキの生存本能が警鐘を鳴らすが、体は動かなかった。恐怖で動けないのはこれで2度目だ。
同時に、この状況を受け入れる為に動かないのも、2度目だった。
心は恐怖で空っぽだが、体は何かに満たされていく。その何かが勝手に体を動かすのだ。
アキは意識せず、両腕をゆっくりと上げて顔面を護るようにそれを盾にし、腰を落として重心を前方に向けた。
アキの「体」は、この鬼との戦闘を望んでいたのだ。
数々の強敵を打ちのめしてきた地下格闘の王者が覚醒した。
そんな馬鹿みたいなフレーズがパッと浮かんだ直後、アキは動いた。
これまでで最も速い初動だった。
相手が前へ出る、と意識した瞬間を押さえるその反応はまるで達人のそれだ。
だから敵は反応すら出来ない。
鬼はだらりと両腕を下げたまま、アキが間合いに入るのを阻止する事も迎え撃つ事も出来なかったのだ。
アキは恐れることなく突っ込み、踏み込み、そのがら空きの脇腹に目掛けて全力の拳を打ち込んだ。
ドシッ!
鈍い音がアキの拳で弾けた。
が、何も起きない。
鬼はノーリアクションで数瞬アキを見つめると、無造作に右腕を振り上げ、そしてそれをなんの工夫もなく振り下ろした。
!!!
鬼が振り下ろした不気味な掌はアキの肩から脇にかけて直撃した。
凄まじい衝撃だった。
そして衝突音とも破裂音ともつかない低い音と共に、アキの体は軽々と宙を舞った。
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