第21話 鬼と戦うということ

 呂綺ろき魔琴まことと名乗ったその少女。


 身長はリューより少し高い程度でごく平均的と表現できるのだろうけど、女性的な部分では平均より上、というか優れているのではないかとアキの右手が光って唸って輝き叫ぶ。


 あの確かな柔らかさもさることながら、足も細くて長い。モデルの様なスタイルとアイドル顔負けのルックス、そして銀髪……まるで外国人の様な雰囲気もあるが、魔琴は日本語で日本名を名乗った。


「あ、あのさ、魔琴ってどんな字を書くの?」

「字? 名前の文字ってこと?」

「そうそう。例えば、俺は……」


 アキが足元の小枝を拾い、地面に『国友秋』と書くと、魔琴はそれを真似る様に『呂綺魔琴』と書いた。

「上手いでしょ?」

「う、うん」


 お世辞にも達筆とは程遠いが、読めなくは無い。

 大地に深く彫り込まれた呂綺魔琴の4文字は確かな日本語だった。


「練習したんだよ」

「練習? 文字の?」

「そうだよ。パパがやっとけって。いつか役に立つからって」

「……どういうこと?」

「もし、人間と暮らす様になったらボクも学校に行けるから、その時に困らない様にってさ」


 魔琴はアキに「人間が否か」と問うた。それはまるで自分が人間では無いような口ぶりだった。


 ……鬼。


 人間離れした容姿と、場にそぐわない着衣ドレス。それに、人間と暮らす様になったら、という台詞。


 アキは鬼の存在なんて信じていないが、魔琴から漂う気配は人間とは違うものがあった。

 それは圧倒的な何かに対する畏怖とも言うべきか。いずれにしても何かがあるのは確実。


 しかし、彼女から敵意は感じない。恐怖も何も、危険すら感じない。そこにいるのは『不思議な少女』。それだけだ。


「お嬢様」



 突然、若い男の声が魔琴を呼んだ。

 それまで無かった何者かの気配が唐突に現れ、その場を支配していく。


「お戻りください」

 鋭く冷たい声色には明らかな敵意を感じる。


「直ぐにその人間からお離れください」

 そしてそれが魔琴ではなく、自分に向けられている事は言うまでもなかった。


 アキはその声の主に顔を向ける事がすぐには出来なかった。怖かったのだ。


 これまで地下の闘技場で数多の強敵と戦い、それらを下してきたアキですら危険を感じるその気配と殺気に抗うには、相当な精神力を削る必要があったのだ。


「……お早く」

 アキが漸くその声の主をその目で確認する頃には、アキの背中も脇も緊張からの汗でぐっしょりと濡れ切っていた。


 声の主、その若い男を一言で表現するならば、『執事』以外はない。


 真っ黒なスーツと白い手袋。背が高く、手足も長い。魔琴の様に美形だったが、その表情に魔琴の様な親しみは無かった。あるのは確かな敵意だけ。殺意といっても良い。冷徹な攻撃の意思を感じる。


 こいつは強い。


 アキは百戦錬磨の感性で直感した。

 虎や熊を一目見て「敵わない」と感じるものに近い感覚だった。


 アキの精神は恐怖している。怯え、萎縮し、動けない。

 彼の心は、この男には戦っても勝てないと屈服してしまった。


 しかし、肉体は違った。

 相手に背を向ける事なく、むしろこちらから襲いかかる意思を示す様に腰を落ちつけ、重心をやや前方に移した。それは、自分はいつでも前へ出られるという意思表示……つまり逃げると言う選択をしないという意思表示ジェスチャーでもあった。


 !!


 一瞬、空気が張り詰めた。

 スーツの男だけではなく、魔琴もアキの行動に緊張したのだ。

「やめよう、あきくん」

 魔琴は小さな声で呟いた。彼女はアキが何をしようとしているのかを察知したのだ。


 スーツの男は逃走を放棄したアキに怪訝な瞳を向けている。

「あなたは武人会のお方でしょうか」


 アキは答えない。恐怖で声が出ないのだ。

 しかし肉体は怯えていない。むしろ動きたがっている。萎縮した精神のせいでうまく動けないだけだと主張する様に、アキは首を横に振った。


「では、排除しても問題ありませんね」

 男が一歩前へ出た。鋭い刃を向けられるような緊張が走る。

「許可もなくお嬢様へ近づいた無礼……命で贖え、人間」

 間もなく男が言葉通りの行動を実行するのだとアキは理解し、アキもまた一歩前へ出た。


「待った!!」

 魔琴が大声で叫び、スーツの男とアキの間に立って両腕を大きく開いて、もう一度声を張った。

「やめて『ふーちゃん』! あきくんは友達!」


 魔琴の声色に緊張感はなかったが、それが命令である事はスーツの男の反応で見てとれた。魔琴の鶴の一声で彼の攻撃的なモノが全停止したのだ。


「ご友人?」

「そう! だからやめて」

「……」


『ふーちゃん』と呼ばれた男はアキを値踏みするような視線を投げるが、攻撃に移る気配はない。


 アキも同じように停止したままだ。そして不思議と気持ちが落ち着いて来るのを感じていた。恐怖に慣れてきたのか、自分の事を意識出ている。


 相手が来ないのなら自分も出ない。

 自らの身体がそういう意思で動いている事を感覚的に理解できていた。


「……お嬢様。間も無く旦那様がお戻りになられます」

 執事の男はアキから目線を外し、魔琴にそう告げた。彼にももう戦闘の意思はないようだった。


「え?! パパが!?」

「はい。ですから、すぐにお屋敷にお戻りください」

「えー、うーん、でもなぁ」

「お嬢様。今日も正規のルートでこちらに来ているわけではないのでしょう」

「あ、バレてた?」

「こう度々お屋敷を抜けられては、私が旦那様にお叱りを受けることになってしまいますし、そうなれはもうお嬢様を庇って差し上げることも出来ません。だいたいお嬢様は呂綺家の……」

「わかった、わかったよふーちゃん。帰るから、帰るからお説教はやめてぇ〜それ何度も聞いてるし」

「……では、お早く。もう時間がありません」


 アキは完全に蚊帳の外だったが、どうやら話はまとまった様だ。

「ごめんねあきくん。もう行かなきゃ。また遊ぼうね!」

 魔琴は慌てた様子で手を振ると、彼女の足元から黒いものが炎の様に揺めきながら立ち上り、一瞬勢いよく吹き上がると同時に魔琴は姿を消した。闇に飲まれるようにして、魔琴は消えたのだ。


 闇に包まれ消えていく様はあの黒いドレスの女性……平山不死美が同じように消えたのを見た事がある。


 アキは驚きながらもどこか冷静に、それがトリックでもなんでもない事を理解し始めていた。


「……国友 秋様、とおっしゃいましたか」

 執事の男がアキに鋭い視線を向けたかと思うと、彼は深くお辞儀をした。


「お嬢様のご友人とはつゆ知らず、大変な無礼を。どうかお許しください」

 慇懃な態度だが、それが上っ面だけのものだと言う事は彼の敵意に満ちた瞳が物語っている。アキはこの頃にはもうすでに恐怖による硬直にも慣れ、執事の男を冷静にみることができていた。

「私は呂綺家使用人・フーチと申します。以後お見知り置きを」


 それだけ言い残すと、彼もまた闇に包まれて姿を消した。


 一瞬で静かになった神社の境内に取り残されたアキ。

「……わっ」


 突然、膝から崩れ落ちるようにしてアキは地面に尻餅をついた。危機が去り、張り詰めた緊張の糸が切れたのだろう。


 彼はそのまましばらく、今さっきまで起きていた超常現象を反芻する様に呼吸を深くし、虚空を見つめて呆然とした。


今はそれしかできなかった。


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