第20話 異界の少女

 アキは走った。この状況、信じられるのは自分の肉体のみ。だから走る……。生き残るために!


 虎子の怒りはアキの生存本能に最大級の驚異を与えるのに十分すぎるものがあった。


 そこまで怒ることある? という疑問よりも先に、アキは細胞レベルで逃走を選んだのだ。


「な、なんで手を使わないんだよ……」

 普通に襖を開けられるならまだしも、まさか顔面で突き破ってくるとは完全に予想外だ。

 理解を超える虎子の行動は思い出すだけで背筋が凍る。言い換えれば、そこまでの憤怒であったということだろう。


(しばらく帰れそうにないな……)

 とは言え、取るものも取らずに逃げ出したアキ。辛うじて携帯スマートフォンは持ち出すとこが出来たが、財布は置いてきてしまった。


 時刻は午前11時を少し過ぎた程度だが、朝食を食べていなかったアキは空腹だった。


 東京に住んでいた頃ならどこにでもコンビニがあったので食事に困る事はなかったが、この仁恵之里にはコンビニが一軒も無かった。殆どが個人商店で、辛うじて小さなスーパーはあったが、クレジットカード非対応とのことなので電子マネーやバーコード決済など期待できようもない。

 日本のIT化の遅れと、それがいかに急務であるかをアキは痛感した。


(ああ、腹減った……)

 当て所もなく歩くだけのアキは最早、逃走なのか徘徊なのかよくわからない状態だ。


 しかも土地勘が無いのでほぼ迷子である。

(ヤバい。このままじゃホントに遭難しそう……)


 歩けば歩くほど人工物が減っていく。舗装された道路もいつまで続くか……と思った矢先、古びた石段がアキの視界に入った。


(……神社?)

 見上げると鳥居があった。石段は小高い山を登るように続いている。

 見覚えがあるようで無い、でも初めてでは無い不思議な感覚。既視感のようなゆらめきに誘われ、アキは石段を登った。



 石段は思った以上に長かった。体調が万全なら難なく踏破できようものだが、アキは数日間引きこもっていた上に空腹だったので、この程度の軽い運動も想像以上にキツかった。


 息を切らして石段を上り切ると、一気に視界が開ける。


 嘘のように広い境内と、立派な社殿。この小さな田舎町には不釣り合いな程、立派な神社がそこにあった。


 アキはハッとし、振り返った。すると遠くに学校が見えた。春鬼が学食で指差したのはきっとここだ。

「……蓬莱神社」

 それを裏付けるように、年季の入った鳥居には蓬莱神社の四文字がしかと刻み込んであった。


「広い……」

 アキはまるで確かめるように、ゆっくりと参道を歩いた。何か思い出せる事はないかと周りを見回す。


 自分の記憶の片隅に、この風景に覚えはないかと自問しながら境内を散策するが、やはり何も思い出せなかった。


「……腹減った……」

 こんな時でも体は正直だ。何も収穫がないと感じるや否や、急激に空腹が主張し始める。

「ヤバい、目が霞んできた……」

 飢えと渇きが感覚に影響を及ぼし始めたその時だった。


「こんにちわ」


 突然、少女の声がアキの背中を突いた。


「……!」

 空腹からの幻聴かとも思ったが、違う。声の先には、確かに少女が立っていたのだ。

 彼女は人懐っこい笑顔を浮かべ、アキに問う。


「ん? 言葉がわからないの? きみ、人間だよね?」


 冗談のような事を親しげな笑顔かおで言うその少女こそ、人間とは思えない容姿ルックスだった。


 先ず、彼女が飛び抜けて美少女だと言うことが第一印象だった。

 誰が見ても可愛いと表現するだろうその顔立ちと、漫画のような美しい『銀髪』。


 彼女の可愛らしさを際立たせるショートの銀髪は太陽の光をキラキラと反射させ、彼女の身につけている瀟洒なドレスに気が向くのが遅れるほど、その少女は可憐だった。


「ねえ、教えてよ」

 アキの反応を促すような彼女の笑顔につられるように、アキは頷いた。


「に、人間だよ」

「名前は?」

 突然名前を尋ねられて戸惑った。相手が何者かもわからないのに名乗っても良いものか迷ったが、彼女の笑顔に敵意は感じない。むしろ、その可愛さに下心が顔を出してしまう。


「国友 秋……」

「じゃあ、あきくんって呼ぶね!」

 彼女は屈託の無い笑顔で近づき、アキの手を取った。アキは予想外の事に慌てて、取り敢えず何か言わなくてはと彼女の名前を聞き返した。


「き、君は?」

「ボク? ボクは呂綺ろき魔琴まことだよ。魔琴って呼んでね。よろしく!」


 ボク、とは言ったものの、彼女の胸の膨らみは確かに女性のそれだ。

(女の子……だよな)

 アキが魔琴の胸元をじろじろと見つめていると……。


「……てい!」

 アキの視線を察した魔琴が唐突に彼の右手を取った。

 そしてそのまま、その右手を迷うことなく自分の胸に押し付けたのだ!


「!!」

 ぐにぐにと、アキの右手を自分の胸に押し当てる魔琴。アキの右手は魔琴のドレスの薄い生地の奥に、確かな柔らかさを感じた。


「ちょ、ま、えええ?」

 アキは生まれて始めての感触と、魔琴の突飛な行動に慌てふためき、魔琴はそれを見て愉快そうに笑った。


「あはは、ボクは女の子だよ。安心した?」

「な、何の安心だよ……」

「ふふ、あきくんって、面白いねぇ。カッコいいし……好きかも」


 魔琴のうっすらと上気した頬に、アキの胸が高鳴った。

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