第19話 逃げて逃げて引きこもって

 春鬼の話が終わる頃には昼休みも終わり、自然に解散の流れになったが、微妙な空気感のままの解散は後味の良いものでは無かった。

 それは明らかに、春鬼が「奉納試合」という単語を出したのが原因だったのではないか。


 その奉納試合が何なのかは分からない。それにリューや澄がどう関わるのかも分からないが、自分には関わりのない事の様なのでアキは別段気に留めなかった。


 しかし、リューと澄の様子が対照的な事は妙に印象的だった。




 そしてその日はそのまま何事もなく過ぎ、何事もなく夜が来て、アキは何事もなく床に就いた。


 ただ、夜の闇とまどろむ意識の中、アキは独り葛藤していた。



 自分の預かり知らない所で、自分に深く関わる事が起こり、それが自分の人生に影響を与える。


 人生経験の深い者に言わせれば、人生そんなもんだよ。と言われそうな事なのだろうけど、アキにはそれが辛かった。


 英雄的な活躍をした父のおかげで、自分に無条件で差し出される「感謝」。


 仁恵乃里に来て以来、皆が皆、自分に対してとても親切にしてくれるし、丁寧に扱ってくれている。


 その下地には多くの命を救ったという父への感謝があるからだとアキは考えた。そしてその「父の活躍」について、アキは何も知らない。


 まるで親の七光りによって、今の自分がある様な感覚だったのだ。

 皆、自分ではなく父を見ている。

 アキは自分の置かれた環境をその様に捉え、それに対して反発を感じていた。


 つい数日前まで地下賭博闘技場アンダーグラウンドで荒んだ人生や、破滅に向かうだけの人間を嫌と言うほど目撃し、自らもその世界に身を置いていたアキ。

 彼はそんな食うか食われるかの世界で勝ち上がり、頂点にまで上り詰めた。だからこそ、アキは自分が置かれたこの生ぬるい環境に恥すら感じていたのだ。



 それはプライド故に、といえば簡単だけど、心の奥で感じていたのは少し違う。どちらかと言えば、劣等感だ。


 国友秋という個人を軽んじられている劣等感の様なものを、アキは感じていたのだ。



 だから彼は心を閉ざした。

 アキは過去から目を逸らし、背を向けた。


 平たく言えば、アキは引きこもったのだ。




 《はぁ? アキが部屋からでてこない??》

 アキが学校を欠席して3日目、リューが1人で登校しているところに合流した澄がスケッチブックにそう殴り書きした。


 《環境変わって調子狂ってからの病欠だったんじゃないの?》

「ええ……秋くんは体調が悪いからって言ってましたけど、声の感じからそんな事は無さそうなんです。だからお医者さんに診てもらう様に勧めたんですけど、もう放って置いてくれって、怒っちゃって……」

 《何よ怒るって……ご飯は? 何も食べてないってこともないでしょ》

「それはもちろん。お部屋から出てこないので秋くんのお部屋の前に置いて置くんですけど、3食きっちり食べてくれてます。それだけは安心なんですけど」

 《いやそこ安心するとこじゃなくない? まんまテレビとかで出てくるアレじゃん。そのうち必要なものが書かれた紙がドアと床の隙間から出てくるヤツじゃん!》

「で、ですよねぇ……」


 リューはまるで世界の終わりを目前にした様な顔で俯き、弱々しい足取りで学校前の坂道を登った。


 《まぁ、2年のこの時期に転校とか、メンタル弱そうなアキならしゃーないかなとは思ったけど、リューにそこまで心配かけるなら話は別だよ。あたしが行って尻叩きまくってやろうか?》

「い、いえ、それは逆効果だと思います……」

 《じゃあ春鬼に説得してもらうとか?春鬼、そういうの得意だよ?》

「シュン兄さんにご迷惑をおかけするわけにはいきまんせよ。それに来週末に会長とお会いするんですし、武人会にこの事を知られるのも良くないんじゃないかなって……」

 《確かにね。会長おじさんが知ったら色々とめんどくさくなりそう。……それならもう、とらちゃんに全てを託すしかなくない?》

「そうですね、お姉ちゃんなら……」


 奇しくも明日は土曜日。

 虎子は土曜、日曜と遠方の勤め先から仁恵乃里に帰ってくる。澄の言う通り、最後の望みは虎子しかいない。


「でも……」

 虎子しかいないのだが、リューはそれはそれで心配でもあった。




「なぁにぃ? アキが部屋から出てこんだと!?」

 翌日、帰宅した虎子はリューから事の経緯を訊くなり声を張った。


「確かにメンタル弱めな感じはしていたが、引きこもりとは笑止! 私はそういうのは認めんぞ!」

 虎子は額に青筋を浮かべながら、脇目も振らずアキの部屋へと向かった。


「お、お姉ちゃん、待ってください! 人には人それぞれデリケートな部分があると思います! そっと見守るのも一つのやり方なんじゃないでしょうか!」

 リューは必死に止めるが、虎子の進撃を止める事は不可能だ。一度火がついた虎子は誰にも止められない。

 ……リューはこれを恐れていたのだ。


「やかましい! そんな事で私の大事なリューを任せておけるものか。早い段階でこの私直々に、その弱々しいデリケートゾーンを叩き直してやるわ!」

 虎子は怒りに燃えてアキの部屋を一直線に目指し、その閉ざされた襖をめつけたまま、襖に手をかける事なくそのまま直進した。


「お、お姉ちゃん……?」


 バンッ、という衝突音。虎子はアキの部屋を守る砦とも言うべき襖を手で引く事なく、真正面から文字通りに『突撃』したのだ。


 当然、虎子は顔面から襖に激突したのだが、なんとした事だろう。彼女は構う事なくそのまま歩みを止めなかったのだ。


 普通ならそこまでだ。そこで停止する。

 しかし虎子は違った。さらに前進したのだ。


「お姉ちゃん……」

 リューの声が震える。

 めき、めき、と生木が軋む音と共に、虎子の顔面が襖を押し破っていくではないか。


「……!」

 虎子は無言で前進を続ける。襖が軋みながらどんどん押し込まれ、歪曲し、そして限界を迎えた。


 バリバリバリッ!!!


 破裂音と共に襖は粉砕し、ついにアキの部屋を守護まもふすまは突破されたのだ。


「て、手で開けてください!!」

 リューの叫びも虚しく、バラバラに砕け散った襖。

「お邪魔!!」

 虎子は襖の事など歯牙にも掛けず、アキの部屋へとずんずん入って行く。


 リューは恐る恐るその様子を窺うが、すぐに虎子の様子がおかしい事に気がついた。

 虎子はアキに何かを言うでも無く、部屋の真ん中で仁王立ちしているのだ。


「……どうしたんですか?」

 リューが問うと、虎子はくるりと振り向いて「居ない」と呟いた。

「い、居ない?」

「……どうやら逃げられたようだ」

 虎子が指差す窓は全開に開け放たれ、カーテンが風にそよいでいた。


「……」

 呆然とその様子を眺める虎子とリューの背中を、大斗の声が呼んだ。

「おいおいなんだこりゃ? なんで襖がぶっ壊れてんだよ」

 大斗は粉々になった襖の残骸に目を丸くしていた。


「……大斗、アキを知らないか?」

 虎子そうが尋ねると、大斗は玄関を指差した。


「アキ? ああ、今さっきそこに居たぞ。なんでか知らねーけどめちゃくちゃ焦って外から入ってきて、自分の靴履いて、直ぐに出てっちまったよ。何かに追っかけられてる感じだったけど、なにかあったのか?」


「……お姉ちゃん」

 リューの声がかなりの低さで虎子の肩を叩く。

「お姉ちゃんがあんな風にするから、秋くんが怖がって逃げちゃったんじゃないですか?」

 リューの目が据わっている。流石の虎子もこれには慌てた。ヤバめな目の据わり方だったのだ。


「あ、いや、そうかもしれないが、これもアキのためといえなくもなくも……」

「言えません! 秋くんが逃げちゃったじゃないですかあ! どこ行くかわかりませんよ? 何かあったらどうするんですか? どうずるんでずがああ!」

 リューは半泣きで虎子の肩を揺すりまくった。

「と、取り敢えず探そう! まだ昼前だ。暗くなるまでにはきっと見つかる!」


 虎子が言うと、リューはべそをかきつつもうんうんと頷いた。

「うえええん! 早く行きましょう、いぎまじょううう!」



 かくして虎子とリューは即座にアキの捜索に向かったのだが……

「……何でもいいけど、どうすんだよコレ……」

 大斗は粉砕された襖の残骸を前にひとり残され、取り敢えず片付けを余儀なくされたのだった。


「……つーか、何があったんだよ……」



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