第10話 故郷、仁恵之里

 真っ暗闇の中、アキは光の束を見た。


 光の束はゆらゆらとゆらめく。


 近づいて来る。見つめてくる。


 触れるほど近づくと、それが一本一本、バラバラになった糸の様なものであると分かった。


 糸……いや、これは髪の毛だ。

 金色の、髪……。


 それが女性のものであると認識できたのだ。

 顔が見えた。金色の髪の向こうに、女性の顔。

 美しい女性だ。見たこともない程……美しい。


 アキはその美しい女性に見覚えがあった。


 あれはそう、手品の様に現れ、消えていったあの女性ひと


 触れそうで触れない距離まで近づいて、止まった。

 触れたくても触れられない、そんな動きでこちらを見つめている。


 怖い。とても怖い。

 何か得体の知れないモノに纏められている様で……。


 ああ、怖い……恐ろしい……


 あの人は……



「はっ……?」


 アキはついに目覚めた。しかし、見覚えのない天井。

 真っ白な壁紙と、カーテン。

(ここは……?)


 簡素なベッドに横になっている自分に気がつくまで、かなり時間がかかった。それほどに、アキは自分の状況に混乱したのだ。

(……病院?)



「秋くん」

 呼びかけられて振り向くと、リューがいた。

「気がつきましたか? 大丈夫ですか? 痛くないですか?」

 心配そうに顔を寄せるリュー。アキは寝汗でびっしょりの額を拭おうとして、はっとした。


「包帯……」

 アキは頭部に巻かれた包帯に触れ、呟いた。

「……秋くん、おでこを打って……でも、跡が残る様な傷じゃないって、先生が」

「……怪我? 俺が?」

「はい。私のせいです。本当にごめんなさい」

 涙目で頭を下げるリューが、どうして謝っているのかアキにはわからなかった。

「……なんで謝るんだ?」

「なんでって、私が秋くんに、九門九龍を……」

「くもん……」


 じわじわと蘇っていく記憶。

 水面へと浮上していく物体の様に、徐々に鮮明になっていく記憶。バラバラの記憶が時系列順に並び直してゆく。


「俺は………ッ!」


 アキは跳ねる様に起き上がり、すぐに蹲った。痛いのだ。全身が隈なく痛い。

「痛っ……!」

 特に腹と顎が猛烈に痛む。

 そうだ、リューの技で……。


 アキは痛みを押し殺して記憶の糸を手繰り寄せる。

「あ、秋くん! ダメです! 骨折はしてませんが、急に動いちゃダメですよ!」

 リューはアキを制止するが、アキはリューを振り切って開け放たれた大きな窓へと向かった。


「……っ」

 窓の外はビルが乱立する雑多な東京の景色……ではなかった。


 見渡す限りの緑と、空の青。

 遠くに鳥が鳴き、風が木々をさらさらと揺らしている。山は近く、川のせせらぎも聞こえた。

「……何処だよ、ここは……」

 突然姿を変えたアキの日常風景。テレビの旅番組で見るような、長閑のどかな風景にアキは放心した。


「ここは、仁恵乃里ですよ」

 リューは笑顔で答えた。アキは自分がどんな表情かおをしているのか、自分では見当もつかなかった。

「仁恵乃里って……俺、いつの間に? でも、部屋とか、あの試合場とか……」

「秋くんの荷物は武人会の方に手伝っていただいて、もうこちらに運んでもらってます。オーナーさんの試合場の事は大丈夫です。そちらも武人会の方がきちんとお話をして、オーナーさんにもご納得いただいています。もちろん、学校の事も、転居の事も、全部大丈夫です。なにも心配いりませんからね」

「……マジかよ」


 アキは呆然としたまま、リューに手を引かれるままにベッドへと戻った。


 確かに、自分はリューとの試合に敗れた。

 いま、この状況はリューとの約束の結果なのだろうが、まさか本当にこんなことが起きるなんて。


 ……いや、そもそもそんな約束した覚えがない。全部リューが勝手に話を進めて、こんなことに……。


「あのさ、リュー……」

「そうだ、秋くん!」

 リューはアキの言葉を遮るように、声を張った。

「もうすぐお姉ちゃんが来ますよ! 秋くんのお見舞いに行くって、さっきメールが来てました!」

「姉ちゃん? あの、お前の師匠とかなんとか」

「そうです。すっごく美人で、めちゃくちゃカッコいいんですよ!」


 すると、病室の扉をノックする音が響いた。

「……リュー? ここか?」

 声は女性の声だった。落ち着いていて、よく通る綺麗な声だった。

「あ、噂をすればお姉ちゃんです。はい、ここですよお姉ちゃん!」

「ん、では失礼するぞ……」


 そして扉が開き、現れたのは背が高くて髪の長い、美しい女性だった。

 扉を閉めるために後ろを向いている姉に、リューははやる気持ちを抑えきれないでいた。

「お姉ちゃん、秋くんですよ! 帰ってきてくれたんですよ!」

「ああ、おかえり……」

 リューの姉は扉を閉めて、アキたちの方へ振り返った。そして……

「あ……」


 その一言を言うのが精一杯という表情で、そのまま固まってしまった。


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