第9話 武の力

「ぶ、武力ぶぢからですか……」

 リューは明らかに動揺していた。

 それは自分も同じ事を考えていたからだった。


「お前だってそう思ってたんだろ? やらなきゃわかんねーんだし、刃鬼さんはいいって言ってたし、やれよ」

「で、でも……」

「このまま乳繰ちちくり合ってても話が前に進まねえだろ」

「うう……そんな簡単に言いますけど、やるのは私なんですから……」

「だって俺には出来ねぇもん。出来たとしても、俺がやるわけにはいかねーだろ? 絵面えづら的にも」

「それはそうですけど……」


 一之瀬親子は金網越しになにやら揉めている様だ。

 アキはとりあえずコーナーに戻り、置いてあった水を口に含んだ。

(……なんなんだこの空気は)


 表の世界では見られない真剣勝負が売りの地下のリングで、この親子は全く緊張感がない。それが会場にも伝播して、なんだかいつもの緊迫感がない。

 一之瀬親子のあの感じが余裕から来るものなら癪だが、恐らくその通りなのだろう。


「……いいよ。その『ぶぢから』っての、使ってみろよ」

 アキが手招くと、リューは肩をびくつかせた。

「あ、秋くん……本気ですか?」

 リューはそれでも迷っている様子だった。何をそんなに勿体ぶるのか……アキも男の子だ。それなりにプライドもある。

「本気出せよ。どんな必殺技かしらねーけど、このままじゃ俺を連れて帰れねーぞ。それに、ギャラリーもうるさいし」

 アキの言う通り、観客たちは突然膠着してしまった試合に不満の野次を飛ばしていた。

「さあ、お前の全力、見せてくれよ。リュー」


 挑発気味に言うアキと、会場から飛んでくる野次にリューは遂に決心した。

「……わかりました」


 リューは腰を落とし、構えた。

 それを試合再開の合図と受け取った観客は再び沸いたが、リューの表情は浮かなかった。


「秋くん、私はまだまだ未熟者なので上手く出来るかわかりません。いままでした事がないからです」

「上手く出来ない? その武力って奴をか?」

「武力の『手加減』です」


 何か、すごく小馬鹿にされている気がしてアキはイラついたが、リューは真剣だった。

「絶っ対、防御してくださいね! 全力で!」

「……」

「今から使うのは中段突きです。お腹の真ん中にまっすぐ行きますから。九門九龍の中でも分かりやすい技ですから、ね?」

「……お前なぁ」


 まるで子供扱いだ。アキにも地下王者のプライドがある。むしろ返り討ちにしてやろうと拳を握った。

「いいから、さっさと来いよ」

 アキが声を張ると、リューはうんと頷いて、息を吸った。

「では、いきます!」


 そしてリューが拳を握って、さらに深く腰を落として姿勢を正した。

 その時。


 アキの背筋が泡立った。


 悪寒だ。寒気よりも濃密な、危険を伴う悪寒だ。

 びりびりと振動する様な殺気の様な威圧感は、リューから発せられている。


 ただ構えているだけの少女が、とんでもない危険を秘めた異様な何かに感じられた。

 陽炎の様に揺らめく闘気は、対峙したアキにしか見る事が出来なかった。

(こ、これは……?!)

 アキは本能的に防御体制に入った。

 しかし、それがアキの『能力』の限界だった。



「……九門九龍・『中真弓ちゅうしんきゅう』!!」


 その瞬間、リューは文字通り消えたのだと言う。余りの速さに皆が彼女を見失ったのだ。

 踏み込みすら見せず、紫電をほとばしらせ、まさに電光石火の速度でアキとの距離を一足で詰め、アキの眼前まで到達するのをアキを含めて誰にも悟らせず、リューは弓のように引き絞った右拳をアキに向けて解放した!


 ドムッ! 


と言う凄まじい低音と共に解き放たれた中段突きはアキのガードを軽々突破し、彼はその拳をまともに喰った。


「……っ?!」

 腹部に何かとてつもないモノが衝突した。

 痛いとか痛くないとかのレベルではなかった。衝撃が凄すぎて何も感じる事が出来ないのだ。


 体が「く」の字に折れ曲がるのが自分でもわかった。この一撃でアキは理解した。

 自分と彼女との差は……。


(……?)

 白む視界の中、リューが突き刺した右拳を大きく引き抜き、背後に向かって弧を描く様に、肘を引き上げているのが微かに見えた。

(……え? 2発目……? 聞いてないんですけど)


 声にならない訴えはリューには当然届かない。

 リューは宣言する様に声を発した。

「九門九龍・『勝鋼鍛しょうこうたん』ッ!!」


 十分に吊り上げられた右腕は下向きの半月を描く様に戻ってきた。

 そして振り子の勢いもそのまま、開かれた掌がアキの落ちてきた顎を見事に捉えたのだ。


 あ、死ぬ。


 アキは心の中でそう呟いた。



 ゴッッ! 


 という鈍い音。さらに鈍くて重い衝撃。

 それらがアキの顎で同時に弾けた。


 死ぬわ、これ。


 アキは意識が吹き飛ぶ直前、そう感じた。



 恐るべき速さと威力でアキの顎を撃ち抜いたリューの掌は、勝利を誇示する様に高々と掲げられた。

 打たれたアキはその凄まじい威力に抗えず、その場で空中を二回転半してうつ伏せでリングに沈んだ。


だぁん!


激しい衝突音と共に、まるで体を張って笑いを取るお笑い芸人の如くリングに叩きつけられたアキ。


「……」

 彼はうつ伏せでダウンしたまま、微動だにしなかった。

 戦闘続行が不可能な事は、火を見るよりも明らかな状態だった。


 決着!


 ……だが、歓声はない。

 なぜなら観客達は想像を遥かに越える光景を目の当たりにし、只々呆然としていたのだ。



「……あ、秋くん? 秋くん!!」

 リューは完全に沈黙したアキの体を涙目で揺さぶった。

「ご、ごめんなさい! ついやり過ぎて……誰か、誰か助けでぐだざいっ! ぎゅうぎゅうじゃ、よんでくだざいいい!」


 リューはぼろぼろ泣きながらアキを揺さぶった。


 衝撃的な結末に声を失う会場に、リューの泣き声だけが木霊こだましていた。


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