第8話 故郷への片道切符

 まさかこんな事になるなんて。

 アキはほんの24時間前の事を思い返していた。


 昨日、あの時、アパートの入口に立っていた幼馴染の少女。

 出会ってまだ丸一日しか経っていない、見知らぬ女の子。


 それなのに、今こうして金網に囲まれた地下のリングで、その少女と見つめ合っている。


 アキはこれは全部夢でしたー、と言われても「ああ、やっぱりね」と納得する自信があった。


しかし、いつまで経っても目が覚めない。どんどん話が勝手に進み、いつの間にかもう後戻りできないところまで来てしまっていた。



 金田はあの後、失神したまま病院送りになり、リューは休憩を入れずにそのままアキとの対戦を希望した。

 会場のボルテージは最高潮に達してる。その熱を冷ましたくないオーナーの意向もあり、アキに拒否権はない事は明らかだった。



「秋くん。実は、私はこのまま戦う必要はないと思っています」

 試合開始まで1分を切った時、リューは真剣な顔で言った。意外な言葉だった。

「本当は、試合なんてしないで、このまま一緒に帰りたい……でも、ダメなんです。戦わないといけないんです」

「……このまま帰ったら暴動がおきるよ」

 アキが興奮しまくっている観客席に視線を投げて苦笑すると、リューは「それもありますけど」と言いつつ首を横に振った。

「有馬会長のご命令なんです。秋くんと手合わせをする事が、条件なんです」


 有馬会長……例の『武人会』の会長の事だ。

「条件……?」

「私が、秋くんを守る事です」


 よく分からない説明だった。守る? なにから?


「私は秋くんの事をもっと知りたいんです。そして私の事も知って欲しい。思い出して欲しいんです。そのためには戦って、そして一緒に仁恵乃里へ帰らなきゃいけないんです」


 甲高いブザーの音が会場に響いた。同時に金網の扉は施錠され、観客の声が一気に大きくなる。

 試合開始が迫っているのだ。


「……秋くん、昨日から勝手なことばかり言ってごめんなさい。でも、私はまた秋くんと一緒に暮らしたいんです。仁恵乃里のみんなも秋くんをまってます。だから……」


 もう一度ブザーが鳴った。試合開始を報せるブザーだ。ゴングを打つためのハンマーが視界に入る。


「秋くん……私は」

 リューが何かを言いかけたその時。スタッフが互いにコーナーへ戻る様に促す。

 リューは遂にそれを言葉にすることが出来ず、後ろ髪を引かれる様な表情かおでコーナーへと戻った。

 アキも同様にコーナーへ戻る。観客の歓声が地鳴りの様に質を変えつつある事を感じていた。

 それが合図だった。

 ゴングの前に座っていたスタッフが、ハンマーを振りかぶったのだ。そして……。


 カァン!!


 ついに試合開始のゴングが鳴った。


 直後。


 アキの視界からリューが消えた。

 その代わり、彼の左方向から何か凄まじい殺気の塊が文字通り飛んでくるのが分かった。

 リューの右回し蹴りだった。


はや……っ!!)

 息が詰まった。避けきれない……!

 と、そう直感した蹴り脚が眼前の虚空を斬っていく。

(避けた?!)

 無意識に体が動いたのか、幸運だったのか、理由はどうあれ、アキはリューの凄まじい速度の蹴りを寸前で躱したのだ。


 だが、すぐに追撃が来る。

 リューは廻し蹴りの勢いを殺さず、そのまま左の後ろ蹴りに繋げた。

 真っ直ぐ打ち出された蹴り脚の軌道は鳩尾。淀みのない、流れる様な動きで繰り出された蹴りは十分な加速を得てアキの鳩尾を狙うが、それはアキの両腕による防御ブロックによって防がれた。


(……対応出来ている!)

 アキは自分自身に驚いていた。

 この2連撃、威力もスピードも桁違いのものだった。

 今まで戦ったどの格闘家よりも速くて力強い。避けられない、と本能で直感する程レベルの高い攻撃だが、アキはそれに防御で対応する事が出来たのだ。


(まだ来るっ!)

 蹴りを引いたリューはそのまま前進。矢継ぎ早に繰り出されたのは接近しての鈎突き連打だ。


(踏み込み、ふか……っ)

 リューの小さな体が何事も恐れる事なく突っ込んでくる。そして豪快に突き出される彼女の小さな左右の拳。強烈なフックがアキの胴体で炸裂した。


(これも迅いっ!)

 素早いだけではなく力強さもある彼女の拳だったが、アキはこれも受け切ることが出来た。


 最早、彼は本能で反応している様な状態だった。考えるより先に体が動くとは、まさにこの事だった。

 アキがこのリングで戦う際、いつも感じている感覚だった。


(……こんな小さな体のどこにこんな力があんだよ??)

 腕でしっかりと防御していても重く響く彼女の攻撃に、アキは妙な感心をしてしまう。こんな小柄な少女が、地下の格闘家顔負けの打撃技を繰り出すのだ。まさに脱帽だった。


 そんなアキの心中を知ってか知らずか、リューはアキの懐で唐突に顔を上げた。

「……秋くんは、金田さんよりずっとずっっっと強いです!」

 どこか嬉しそうなリューの顔にアキの胸が高鳴った。が、ときめいている場合ではない。

 リューはなんとアキに飛び付き、そのままの勢いでアキをリングに引きずり込んでしまったのだ。

(寝技までやんのかよ!?)


 想定外の行動に反応が遅れた。アキは総合格闘技の選手と何度も対戦しているので関節技には慣れていたが、それでもリューの仕掛けの速さに背筋が凍った。


 腕がダメなら脚、脚がダメなら首、リューの狙う関節と、それを防ぐアキの攻防は観客を喜ばせた。


 あんな女の子が金田を瞬殺し、地下の王者と互角の戦いをするなんて。皆、立ち上がって喝采を送る。

「勝手なもんだよな!」

 アキはギリギリの戦いを強いられているというのに、呑気な観客の反応に腹が立ったが実際、ここまでやれている自分に拍手を送ってやりたかった。


「秋くん、すごく強いです……」

 一瞬、リューの手が止まった。

 その隙にアキはリューの攻撃から脱出し、距離を取る事に成功した。


 不自然な隙だった。一瞬だが手を止めたリューに、ある種の躊躇のような感情を感じたが、今のアキに彼女の感情の機微に気を回す余裕は無かった。

(なんなんだこいつ、滅茶苦茶強ぇ……)


 アキはゆっくりと立ち上がるリューを肩を上下させながら見つめていた。

 自分はかなり息が上がっているが、リューは全く息切れをしていない。自分とのスタミナの差は歴然としていた。


 しかし、アキはまだまだこの先があると信じていた。

 相手が強ければ強いほど、それに追随して自分も強くなるような自分の不思議な『能力』の様なものを、このリューとの一戦で確信しつつあったのだ。


リューは何かを迷う様な表情でアキを見つめた。

「しき、なんでしょうか」

彼女の呟きは小さすぎて、アキには聞き取る事が出来なかった。


 大熱狂の会場の中、唯一大斗は腕を組み、渋い顔で唸っていた。

「うーん、やっぱり『しき』か?」


 隣でそれを聞いていたオーナーが「は?」と間の抜けた声を出すと、大斗はその場で立ち上がって叫んだ。

「ターーーイム!!」


 その馬鹿でかい声は、大熱狂の会場を1発で静まり返らせた。

 アキも思わず気を取られたが、リューがその隙に攻めてくることはなかった。


 妙な「間」が出来てしまった。図らずも、タイムが成立してしまったのだ。

 当の大斗は膠着した2人を特に気にする様子もなく、自分から離れて遊んでいる子供に呼びかける様に、リューに向かって言った。

「おいリュー。『武力ぶぢから』、使ってみ」


 ざわざわ、観客がざわつく。大斗の言っている事が分からない。このおっさんは何を言っているんだ?

 そんなざわめきだった。



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