第6話 武術『九門九龍』
とんでもないことになってしまった。
かの悪名高いアウトロー金田と、幼馴染の女の子が地下格闘のリングで一対一の決闘をする事になってしまった。
とんでもない事というか、あり得ない事だ。
アキはそれでもまるで他人事の様な大斗に苛立った。
「あんた、なんでそんなに呑気にしてられるんだよ! 自分の娘がやばいんだぞ! 早く止めないと本気で殺されるかもしれないんだぞ!!」
しかし大斗はどこ吹く風だ。
「大丈夫だって。大体、本人がやるって言い出したんだから、やらせてやれよ」
「やらせてやれよって……」
大斗は会場の最前列、リング前の座席に陣取り、売店で買ったフライドポテトを頬張りながら言った。
「心配すんなよアキ。リューは強いから」
何を根拠に……アキは確信した。この親父はダメだ。ダメ親父だ、と。
自分がなんとかしないと、とはいっても金田は契約成立だなんだとアキの抗議を聞き入れず、リューは試合の準備で着替えたいと言って更衣室に行ってしまった。
試合の時間も差し迫っていて、すでに客が入り始めていたから今更中止のアナウンスなんてしたら暴動が起こりかねない……。
「あああ……ぬあああっ……!」
アキの脳細胞が考え過ぎで白煙を上げている。髪を掻きむしりながら身悶える彼を、大斗は珍獣を見る様な目で眺めていた。
「アキ、お前って案外面白い奴?」
「うるさいな! あんたに言われたくないよっ! つーかオーナー、オーナーもオーナーですよ! 普通止めるでしょ? 元プロボクサーと女子高生ですよ? おかしいでしょ!?」
アキはオーナーにも詰め寄るが、オーナーも大斗と同じように楽観的だった。
「いや、だってあの
また武人会だ。なんなんだその武人会というのは。
「武人会がなんなのか知らないけど、だからってこんなのがまかり通る訳……」
「武人会は『おに』と戦う組織ですよ」
彼の背後からそう答えたのは、リューだった。
着替えを済ませ、Tシャツとハーフパンツという体育の授業の様な格好で現れた彼女は、どこか上機嫌だった。
「おに……?」
「はい。鬼です。武人会はその鬼を倒して仁恵之里を守るのが使命です」
頭でもおかしくなったのか、リューはニコニコしながらそんな事を言うのだ。
「忘れてしまっているのなら仕方がありませんが、とにかく心配無用です。私はこれでも武人会の
「お、お姉ちゃん……?」
「それも忘れちゃったんですか?
既にミステリーの領域に入ってしまった。
武人会、鬼、お姉ちゃん……アキは背中に冷たいものを感じていた。それよりも何よりも怖いのは、リューがさっきからニコニコと、やたら嬉しそうなのだ。
「お、お前、なんでそんな顔してられるんだ? いま、自分がどんな状況か分かってんのか? なんで笑ってられるんだよ……」
リングの上では試合の準備が整えられ、向こうのリングサイドには金田が不気味な笑顔で体を揺らしている。突然の乱入試合に会場も異様な雰囲気だ。それでもリューは笑顔だった。
「ええと、だって、嬉しくて……」
「な、なにが嬉しいんだよ」
「秋くん、私のこと名前で呼んでくれました。リューって、昔みたいに。えへへ」
リューは両手で口元を押さえて照れ臭そうに笑っていた。そんなことで? と言いそうになったが、リューがアキの言葉が出るよりも先に、続けた。
「大丈夫ですよ、秋くん。私は『あの時』の私とは違います。自分が
頼もしい
凛として清らかな、それは覚悟を秘めた「戦う人間」の顔だった。
「く、くもんくりゅう……?」
「もう、この世でたった2人……私と、お姉ちゃんだけが使える『鬼』と戦うための武術です」
「武術……」
「秋くん」
リューが突然アキの手を取った。そしてアキにだけ聴こえる様に顔を寄せ、まるで逢瀬の誘いをする様に囁いた。
「私、待ってますから……」
そして微笑むと、リューは振り返ることなくリングへと向かっていってしまった。
試合はもう間も無く始まる。
アキはただ、その小さな背中を見送ることしか出来なかった。
ふたつ目はルールが無いこと。つまり反則が存在しないのだ。だから自ずと試合は残酷なものになる傾向がある。金田の試合も例に漏れなかった。
金田のファイトスタイルは歪んだ性格そのもので、劣勢に追い込まれて戦意を失った相手でも容赦なくいたぶって完全に破壊する……そんな胸糞の悪い試合内容がほとんどというか、全てだった。
そんな異常者にも等しい喧嘩屋とリューは戦わなくてはならないのか。
アキは最後までこの試合を止めようと模索したが、結局それは叶わなかった。だが、それは同時にリュー自身が望んだことでもあった。
リューがリングに上がると、観客からはどよめきや野次、はたまた応援する声など、意外にも様々な反応があった。だが、その実ほとんどが失笑だった。
中にはこれから始まる残酷なショーに期待する変態も少なくなかったが、多くは見るまでも無い、と何の期待もしていなかった。
「さっきの約束、覚えてるよね? リューちゃん」
リング上でついに対峙したリューと金田。金田は下卑た笑顔でリューを舐める様に見つめていた。
「リューちゃんを飼いたいっておっさんが何人もいてさぁ。特にロリ好きの変態に人気だよ。値段がどんどんつり上がってて笑いが止まらねぇよ」
金田はこの試合に勝利し、リューを『売る』という。恐怖を煽る口調でリューを牽制するが、リューは別段気に留める様子もなく「そうですか」とだけ答えた。
「もう遅ぇぞ。もう逃げらんねぇ。お前の人生は今日でお終いなんだよ。これからどこかの変態に買われてクスリ漬けにされてぶっ壊れるまで犯されンだよ。壊れたらゴミみたいに捨てられて、そしたらもっと変態に買われて、家畜みてーに檻ん中で飼われるんだよ。ウケるわ〜」
「そうですか」
リューは態度を変えることなく同じ言葉を繰り返すのみで、特に感情の変化はなかった。
「それよりも金田さん。約束は守ってくださいね」
「……は?」
「私が勝ったら、秋くんと
「……お前、頭イカれてんのか?」
金田は鼻を鳴らし、向かいのコーナーへと戻った。
リューも同じようにこちらのコーナーへと戻ったが、アキにはもうどうすることもできない。出入り口は頑丈な鍵が掛けられ、リングには近寄れないように鉄条網が張り巡らされた。あとは、どちらかが倒れるまでこの試合は終わらない。
「……ッ!」
アキが声にならない叫びをあげると、リューがくるりと振り返り、アキに向かって笑顔で手を振った。
金田はなんとも言い難い高揚感に震えていた。
相手は子供、しかも女。格闘技をかじっているらしいが、どう考えても自分が有利だ。
体格、体力、スピード、リーチ……劣っている要素は何ひとつない。
この試合、金田はグローブを着用していた。『商品』であるリューの顔を極力傷付けないためである。
(でも、殴りてぇ……あの可愛い顔をボコりてぇ)
金田は目の前でストレッチをする少女にある種の欲情を感じていた。
それは弱者への暴力による蹂躙が、金田にとって性的快感と同義だからである。
(ああ、たまんねぇ。あの腹、蹴りてぇ)
金田は試合開始を今か今かと待ちわびる。お預けを食らった犬のようによだれを垂らし、その瞬間を待つ。
(とりあえずボディーだな。ゲロ撒き散らして泣き喚けメスガキ……)
そしてついに、ゴングが打ちならされた!
(さぁ、いい声で泣けよ……!!)
そして一気に攻め入る金田。前傾姿勢で、最速の拳をリューの腹部に向かって……!
パンッ!!
……ゴングの金属音が反響しているうちに、乾いた音が金田の頬で破裂した。
(……?)
金田には何が起きたかわからない。ただ、左頬がヒリヒリと痛かった。
(……ビンタされた……??)
目の前にはリューがいた。ゴングの直後、一気に距離を詰めたのは自分の方だったはずだが、こんなにも近づいてはいない。ましてや、自分の方が先に打たれるなんて、あり得ない。
パンッ!
もう一度、今度は反対の頬を打たれた。
往復ビンタだ。先に仕掛けた筈が、返り討ちにされた……しかも、往復ビンタ。
間合いを詰められた事にも気がつかなかった。往復ビンタまでまともに食らってしまった。現実を理解するまで金田は阿保のように口を開いて呆然とし、リューは凛々しく胸を張っていた。
「……金田さん。手心は無用です。どうか、全力を尽くしてください」
ワッ!!
そんな、まるで音のような歓声で会場が沸いた。正体不明の女の子が、あの金田相手に先手を取り、あまつさえ挑発したのだ。
しかし、金田は逆に冷めていた。冷静さを取り戻したと言った方が正しいか。
間合いの件は偶然。
ビンタは偶々。
自分の有利は全く揺らがない。ただ、顔面を打たないまま終わることは無理だ――。
金田はリューを蹂躙したかった。
偶然とは言え、このリングでしかも女子高生の往復ビンタをまともに食らったなんて、仲間内に知れたら恥だ。
だからこのガキを嬲り殺しにしなければ自分のプライドが守れない。そう考えて、打たない予定の顔面を狙って拳を放った。
ビュッ!
風切り音がする。いつも通りの素早い拳……だが、いつも通りに相手を捉えることはなかった。空振りしたのだ。
(避けた?!)
そう、避けた。リューは最小限のスウェーバックで金田の拳を避けたのだ。
(ぐ、偶然だ!!)
続く2発目の拳も空を切った。
3発目も、その次も、その次も……金田の拳はリューを捉えることなく、空を切り続けた。
リューはボクサーの連打をひらひらと紙一重で躱す。まるで煙がゆらめくように、素早く、しなやかに、金田の恐るべき連打をダンスを舞うように避け続けたのだ。
おおお、と歓声。まるでアクション映画の戦闘シーンの様なリューの身のこなしに会場が喝采を送った。
アキは金田の拳が見えていた。あれなら躱せる。
そう確信するがしかし、リューがそれをやってのけるというなら話は別だ。自分は地下の格闘家と何度も戦い、死線を潜り抜けてきている。自負もある。
しかし、あののんびりとした小柄な少女が同じ事をやれるとは到底信じられない。
「……いやぁ、すごいね。アレが『武人会の
アキの背後からオーナーと大斗の会話が聞こえて来る。
「大斗さんよ、リューちゃんやべぇな。武人会ってのはあんなのが沢山いるんだろ?」
「まぁね。でもリューは目一杯手ェ抜いてるぜ。本気でやったら金田がバラバラになっちまうよ」
その会話を裏付ける様に、リューは突然金田のパンチを受けた。
受けたと言ってもパンチのタイミングに合わせてそのグローブを鷲掴みにしたのだが、驚くべき事に金田はたったそれだけで動きを止めてしまった。
止めたというより、止められたのだ。リューはただグローブを鷲掴みにしているだけ。金田はそれが外せないのだ。それはリューの力が強すぎて、金田の腕力ではびくともしない……そんなふうにも見えた。
(は、外せねぇ……!)
金田は全身を使って拳を外そうとするが、リューは全く動かない。その滑稽さはまるで一昔前のコントの様で、観客の笑いを誘った。
と、その時。突然金田の体が軽くなった。
何事かと見れば、金田の拳はグローブから抜けてしまったのだ。彼はそのまま、勢い余って転倒し、尻餅をついた。
金田のグローブはリューが未だに鷲掴みにしている。観客はリング上の異変にざわついていた。
(抜けた?……抜けるか普通?!)
ボクシングのグローブはそう簡単に抜けたりしない。だが、抜けた事は事実。
リューがそうさせたのだが、金田がそれを知る由もなかった。彼は何も感じる事ができなかったのだ。
するとリューは突然、手にしたグローブを一瞥もせずにポイ、ポイと、無造作に放り投げた。
会場がどよめく。
一体何が……? 何をするんだ……?
そんなどよめきだ。
それは金田も同じだった。
金田は唐突に晒された両手越しにリューを見た。
「な、何してんだよ、おまえ……」
それに対し、リューはにっこりと微笑んで、言った。
「負けた時の言い訳にされたくないので……」
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