第5話 大人の不良と女子高生

「魔法って……」

 普通なら笑うところだが、目の前に突然現れた美女というか魔女が微笑んでいる時点で笑う気にはなれない。


 アキの引き攣った顔を見て全てを悟った不死美は彼を落ち着けるかのようにゆっくりと口を開いた。

 

「国友さん。あなたが驚かれるのも、わたくし達の存在を信じられないのも、無理からぬことと存じます。しかし、事実なのです。ただ、今すべてをお話しても到底ご理解頂けないでしょう。こればかりは実際に見て、聞いて、感じてこそ理解が出来るもの。そのために、有馬会長はこのお手紙をしたためられたのです」


 そう言って、不死美は一通の便箋をテーブルの上に差し出した。

 それは昨晩大斗に返したはずの『武人会からの手紙』だった。


「わたくしがここにお邪魔したのは、端的に申し上げればあなたに帰郷していただけるようお願いするためです。わたくしは、いわば武人会とは相反する勢力の代表ですが、そのわたくしの立場からしてもあなたには仁恵之里にお戻り頂きたいのです。それは、あなたが国友秋一郎様のご子息であられる事も大きな一因です」


 突然現れて、わけのわからないことをまくし立てられても理解不能だし、受け入れられるはずがない。 


 しかし、父の名が出るとは思わなかった。


「と、父さんが原因って……?」

「話せば長くなるのですが、仁恵之里では『わたくし達』の存在と『あなた達』の存在とが長らく反目し合い、時には命の奪い合いを繰り返して来ました。しかし近年はその距離も近づき、共に生きていく方法を模索出来るまでになりました。その為に尽力なさっているのが『武人会』であり、多大な貢献をされたのが秋一郎様なのです」


 アキの心は揺れていた。

 正直に言えば意味不明なことの連続で、信じられる話しではないと切り捨てたいのだが、全てが嘘偽りだとも思えない。


 記憶にない事だが、自分が忘れているか失ってしまったというのであれば……取り戻せるのであれば、取り戻したいと思うのも事実だった。


「国友さん。無理からぬ事と存じますが、それでもどうかわたくしやリューさん、大斗さんを信じてください。そして、仁恵之里にお帰りください。わたくし達の未来には、あなたのお力添えが必要なのです」


 不死美の顔は真剣そのものだった。

 リューも同じようにアキを見つめていた。


「……でも、突然すぎるし……東京こっちでやらなきゃいけないこともあるし」

 アキの心に引っかかるのはやはりあの地下闘技場の事だ。

 アンダーグラウンドの世界から足抜けするには相当な覚悟と代償が必要だろう。


「……そのための、有馬会長からのお手紙です」

 不死美はそう言い、テーブルの上の手紙に視線を落とした。

「っ!」

 アキは息を飲んだ。まるで自分の心を読まれたようなタイミングでの発言と、その内容だったのだ。


「そのお手紙にはあなたの置かれた環境、そして状況、或いは避けては通れない『物事』。それらを円滑に収める事の出来る効力ちからがあります。それほどに、わたくし達はあなたを必要としているのです」


 アキは自分が微かに震えていることに気がついた。

 それは迷いが故か、葛藤が故か。

 はたまた恐怖めいた物を感じているのか。

 手紙に手をのばす指先が震える。


 その時だった。


 リリリリッ!! 

 と、電子音が鳴り響いた。


 なんの音かはすぐに分かった。スマートフォンの着信音だ。

 リューのスマートフォンから音は鳴っている


「す、すいません!!」

 リューは慌てて席を離れ、電話に出た。

「もしもし……はい、え? お父さんが? わ、わかりました! すぐ行きます!」


 リューは慌てた様子でテーブルに戻ってきた。


「すみません、お父さんが迷子になってるらしくて……今すぐ迎えに来て欲しいって、警察の方から電話が……」 

 すると不死美が声を上げた。

「まあ、大変ですわ。すぐに参りましょう」

「お願いします! 不死美さん!」


 不死美がそう言うと、どこからともなく闇が湧いてきた。

「うわ! また?!」

 アキは逃げるように飛び退くが、闇は不死美とリューを包み込んでいく。


「……国友さん。無理にとは言いません。しかし、わたくし達はあなたのお帰りを心待ちにしております。どうか、あなたのふるさと、仁恵之里を信じてくださいまし……」


 不死美がそう言い終えるとともに闇はふたりを包み、そして霧散した。


「き、消えた……」 

 やはり本当に瞬間移動なのか。リューも不死美も闇とともに消えてしまった。


「……どうすりゃいいんだよ……」

 アキはテーブルの上の手紙を手に取り、そして頭を抱えた。



しかし、彼にゆっくりと考える時間はない。

今日は「重要な試合」が控えているのだ。


今日、地下闘技場のメインイベントで、アキは地下格闘界でも悪名高い元プロボクサーと対戦する予定だったのだ。


 素行不良と薬物でアングラに堕ち、以来日陰の世界で生きる『元・日本王者』。ライト級の金田かねだといえば、スポーツに興味がある人間なら誰しもが聞いたことのある「惜しい人」だろう。


 悪事に手を染めさえしなければ、今頃世界王者になっていても不思議ではない実力者。その拳がアンダーグラウンドで凶器と化した。以来、比喩ではなく、金田の拳は何人もの血を吸っている。

 彼のファイトスタイルは相手を徹底的に叩き潰し、蹂躙するという凄惨なものだった。


 気を引き締めなければ……。

 アキはいろいろな感情や思考を一旦心の奥底にしまい込みんだ。


 今夜の試合はいつもとは違う。アキは自分の直感を信じ、今は今夜の戦いに集中することにしたのだった。



 闘技場は繁華街のとある雑居ビルの地下にあった。雑踏の中に埋もれてしまう様な建物の地下に、夜毎よごと莫大な金額が動く賭場はある。


 アキはその夜、件のビルのエレベーターから地下に向かい、狭い廊下を抜け、オーナーが控える闘技場の事務所へと向かうが、なんともいえない違和感を感じていた。

(なんか、綺麗だな……)


 いつも散らかり放題で、掃除なんて年に一回やるかやらないかの廊下が、ゴミひとつ無い掃除の行き届いた『通路』になっているのだ。


(ドアノブまで綺麗になってる)

 事務所の安っぽいドアのドアノブも、銀色に輝いていた。オーナーが掃除するはずがないし、スタッフも掃除なんてしているところを見たことがない。不思議だ……と、ドアノブに手をかけたその時だった。

「秋くん!」


 ゆっくりと、声のした方に顔を向けると、そこには箒を片手に微笑む幼馴染のあの少女がいた。


「は? え、なんで……? 迷子の親父さんを迎えに……」

「はい、行きましたよ。そのあと、不死美さんにここまで送っていただいたんです。不死美さんは用事があってお帰りになりましたが……」

「いやいや、なんでここにいるんだよ? こんな所でなにしてんだよ??」

「なんで、ですか? 綺麗な方がきもちいいじゃないですか」

「いやいやいや、掃除のことじゃなくて、どうしてここにいるのかなってこと!」

「秋くんがここで格闘技の選手をやってるって聞いていたので、待ってました。秋くん、すごく強いって聞きましたよ」

「……だ、誰に?」

「有馬会長です。それと……」 

リューは付け加えるように、

「オーナーさんです」

と答えた。


 唖然とするアキに、扉の向こうからオーナーと談笑する『あの男の声』がする。

例の父親の声だった。


「オーナーさん、いい人ですね。面白い方です。お父さんとすっかり仲良しです」

 にっこり微笑むリューだが、オーナーの見た目はすれ違う人が道を譲りたくなる様な凶暴さを秘めている。


 アキはこの少女ののんびりと言うか、温厚というか、掴みどころのない感性に戦慄しつつ、馬鹿でかい笑い声のする部屋の扉に手をかけた。

「……オーナー! 入りますよ!」

 扉を開けると、当然のように大斗がいた。


「おお、アキ! やっと来たか!」

 大斗は迷子の件などなかったかのようにアキに手を振った。

「アキ〜! 待ってたぜ〜」

 オーナーは彼とすっかり打ち解けたらしく、すこぶる上機嫌だった。


「アキ、話は聞いた。……故郷へ帰りなさい」

「……は?」

 見たこともないような大人の顔で言うオーナーに、アキは間抜けな声を出してしまった。


「だーかーら、故郷くにに帰れって言ってんだよ。武人会の会長さんから手紙ラブレターまでもらったんだろ? だったら断る理由ねーだろ。この人たちと一緒に行けっての。あとその手紙寄越せっ!」

 オーナーはアキから例の手紙を奪い取るようにすると、まるで宝物の様に頬ずりをした。

「オーナー、そんないきなりそんな帰れとか言われても」

「嫌なのかよ」


 アキはオーナーの問いに即答できなかった。

「……嫌とかじゃなくて……」

「ならなんだよ」

「……」

 

 返答に窮すアキに、リューが笑顔で問う。

「秋くんはどうしてここにいるんですか?」

「ど、どうしてって……」

 アキが言葉を選ぶ様に視線を彷徨わせる理由を、リューは知っていた。


「いいんですよ、秋くん。私、知ってます。ここがどんなところで、秋くんが何をしてるか、知ってます」

「っ!」


 後ろ暗いところを見られた、そんな気分だった。しかし、リューの瞳に軽蔑や拒絶の色は無かった。彼女はそれでも、笑顔だったのだ。


「でも、私にとってそれは問題ではありません。秋くんが無闇に人を傷つけたいからここにいるんじゃない事、わかってます。だから理由はなんだっていいんですよ」


 アキは何も考えなくていいから、ここにいた。自分は頭の中を空っぽにして戦うだけでいい。ここは嫌な事や、この先の事から逃げられる都合のいい場所だったのだ。


「……秋くんは、どうして自分がそんなに強いのか、考えたことはありますか?」

 リューは唐突に質問を変えた。

「いや……」


 確かに、アキには格闘技の心得はなかった。それなのに、ここでは負け無しの王者だ。


 何故、と考えなかった訳ではないが、考えるよりも早く勝ってしまうのだ。相手の攻撃に、体が勝手に反応してしまう。感覚が相手の動きを読み、行動する。


 とはいえ、決してカウンターに特化せず、先手を打つこともできる。それは、まるで体が戦闘するということを学習し、その問題に対して解答を出しているような感覚だった。


 リューはアキの逡巡を待たず、続ける。

「その答えはきっと、仁恵之里にあります。秋一郎おとうさんの事も、あなたのことも、仁恵之里に全部あるんです。だから、私と一緒に帰りましょう?仁恵之里ふるさとに……」



 突然降って沸いた様な話だ。故郷にも、幼馴染にも、何もかもに現実感がない。ただ、リューの言葉は心の琴線に触れた。


 自分の事、父の事、それに繋がる『武人会』……アキははじめて故郷について考えた。もしかしたらこれは自分にとって、とても良い機会なのでは……そんなふうに心が動いた、その時だった。



「勝手なこと言ってんじゃねぇぞコラァ!」

 耳障りな程高い声の、男の怒声が事務所に響いた。

「試合が中止ってどういうこったよ! ふざけんなよ!!」

 安物のドアが壊れそうな音を立て、乱暴に開かれた。そして姿を表したのは、全身を刺青で装飾したいかにもチンピラ然とした筋肉質で背の高い男だった。


「おいテメェ国友……逃げてんじゃねぇぞ?」

 一昔前の任侠映画の極道よろしく、アキを睨め付けるその男こそ、今夜のアキの対戦相手・金田だった。


「オーナーさんよ、なんで中止なんだよ? あり得ねぇだろ!」

「武人会の会長さんからこんな立派な便箋でお手紙もらったんだぞ。無視できるかよ」

 オーナーが例の手紙を金田に突きつけるが、金田は怪訝そうな目でそれを一瞥するに過ぎなかった。

「あ? 武人会? なんだそれ、どっかのヤクザか? しらねぇよそんなもん。関係ねえんだよ!!」


 そして金田がその手紙を引ったくろうと手を伸ばすが、寸前でその手が止まった。

 リューが金田の手首を握り、止めたのだ。


「……なんだお前」

 低く唸る様な金田の威嚇に、リューは眉ひとつ動かさなかった。

「これは有馬会長が秋くんの為に用意した大事なお手紙です。汚い手で触らないで下さい」


 金田が何者か分からなくても、その風貌からヤバそうな奴だと分からないわけがない。しかしリューはそんな事など歯牙にも掛けず、毅然と言い放った。

「もう一度言います。触らないで下さい」


 一緒即発……というか、リューが危ない。アキは即座に2人の間に割って入り、金田を睨んだ。

「俺は逃げてない。俺とやりたいなら、やってやるよ」


 リューが何を考えているのか分からないが、彼女を庇わない訳にはいかない。

 アキはリューを隠す様に金田の前に立ちはだかった……のだが、リューはアキの気持ちとは裏腹にアキを押しのけるようにして再び金田の前に立った。


「え、ちょ、おい?! リ、リュー!」

 今度はアキがリューに庇われたような格好になってしまった。かなりバツが悪いアキだったが、リューはむしろアキを守るように金田と対峙していた。


「秋くんはあなたと戦いません。私と故郷へ帰るんです」

 リューは金田が怖くないのか、全く怯んでもいないし、怖がってもいない。

 普通ではない彼女の様子にアキもオーナーも動揺したが、実の父である大斗はその様子を頬杖をついてボケーっと眺めていた。


 金田の苛立ちは見なくても分かる。額に青筋を立て、目を血走らせてリューを威嚇していた。


「……だから中止ってか? ふざけるなよ。お前、今夜どれだけのカネが動くと思ってんだ? 俺が国友をぶち殺すだけでどんだけ稼げると思ってんだ?」

「さあ? 知りません。でも、もしよろしければ私が秋くんの代わりにお相手しましょうか?」


 ……沈黙が流れた。 


 何を言い出すんだこのは。

 地下闘技場の全権をあずかるオーナーは、そんな事を言いたげに呆然としていた。


「は? お前アホか? 意味わかんねぇ」

 金田が嘲笑する。しかし、リューは至って真面目にそう言っているのだ。


「分かりませんか? あなたと私が試合をするんです……そうだ、秋くんへの挑戦権を賭けて戦うとかどうですか? それなら試合を見に来たお客さんにも納得してもらえると思うんですけど、ねぇオーナーさん! それで、私が秋くんに勝ったら仁恵乃里に一緒に帰る。私が負けたら……どうしましょう?」

 リューはアキに向かって首を傾げる。

「いやいや、何を勝手な事言ってんだよ……」

「でも、金田さんに納得していただくには、これが1番わかりやすいと思うんですけど」


 さも名案! といった様子で微笑むリューに、さすがのオーナーも半笑いだ。だが、状況は笑ってなどいられない。金田は怒りを通り越してもはや冷静ですらあった。

「……お前、あんまり大人をからかうなよ。マジで殺すぞ」


 冷め切った声色がリアルだ。しかし、リューはそれでも顔色ひとつ変えなかった。

「それは無理ですよ。念のために言っておきますが、私はあなたの100万倍強いですから」


 アキは目の前の光景に目眩を覚えていた。こんな子供みたいな挑発で大人の不良を煽りまくるリューに現実感がない。金田は口角を不気味なほど吊り上げ、笑っていた。


「……面白いねお嬢ちゃん。じゃあ、お嬢ちゃんが勝ったらそれでいいよ。そのかわり、俺が勝ったらさぁ……お嬢ちゃんの人生、ちょうだいよ」

「と、仰いますと?」

「お前をロリコンの変態に売るんだよ。俺の知り合いにいるんだよお嬢ちゃんみたいなガキが大好きなおっさんが。お前はそのおっさんのオモチャになるんだよ。そいつすげえぞ。メチャクチャにされんぞ。ぶっ壊されんぞ? それでもいいか?」


 アンダーグラウンドで生きる人間の凄みは並の人間には醸せない恐ろしさがある。金田の言葉には、さすがのアキも背筋に嫌なものを感じたが、リューは「そうですか」と、金田の威圧など全く意に介さない様子で、

「その条件でいいですよ」

 と、金田の提案を快諾してしまった。



 こうして、今夜のメインイベントの前に『謎の女子高生乱入!』という、サプライズイベントの開催が決定してしまったのだった。

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