第3話 思い出が無いから

 リューの父はアキの部屋に入るなり同情するような顔でアキの肩を抱いた。

「アキ、お前……苦労してんだな」

 涙ぐむ彼にアキは首を傾げた。

「え? 何が?」

「いやだって、こんな小汚い部屋で……」

 そう言いかけたところでリューのお叱りが入った。

「お父さん!!」

「でもよぉリュー、じゃあお前この部屋住みたい?」

 リューは何も答えず、かわりに大斗を恨めしそうに睨んでいた。



 アキの部屋は六畳二間と台所、トイレ、風呂という一人暮らしには十分な広さではあるが、ボロかった。かなりボロかった。

 そしてなにより、彼の部屋には物が無かった。


 あるのはベッドとテレビ、冷蔵庫。そしてテーブルと簡単な調理器具ぐらいで、若者の部屋とはかけ離れた簡素さだったのだ。


 アキはそれらを何とも思っていなかったし、大斗が自分の部屋を揶揄しているのも特に気にしなかった。彼にとって、そんな事はどうでも良いことなのだ。

「……別に苦労なんてしてないよ。帰って寝るだけの部屋だから。メシ屋もこの辺色々あるし、コンビニ近いし」

 するとリューがアキの前に立ちはだかり、

「そんなんじゃ栄養が偏っちゃいますよ!」

 と、頬を膨らませた。しかしすぐに笑顔になり、

「私が何か作ってあげますよ! こう見えて、料理は得意なんです!」

 と言って胸を張った。

「……」

 こんな時、なんて言ったらいいんだろう。

 ありがとう? それとも、遠慮します?


 人の厚意に対してどうすればいいか、アキはよく分からなかった。

 こういう時、彼は自分の心が痩せこけているように感じてしまう。

 人として大事な部分が欠けてしまったのかと、不安になるのだ。

「……とりあえず、話しようよ。あんたらが俺のところに来た理由とかさ……」 


 そうして、三人は質素なテーブルを挟んで向かい合った。テーブルにはリューがいつの間にか入れた煎茶が白い湯気を立てていた。


(このふたり、悪い奴らじゃ無さそうだけど……)

 なし崩し的に、このおかしな2人を部屋に入れてしまったが、やはり早まった感は否めない。


 ……なんとか帰らせる方法は無いものか。


 アキはそんな事を考えながら、目の前でゆらゆらと湯気を立てる煎茶の表面をじっと見つめていた。


「……やっぱり、困っちゃいますよね」

 リューはどこか申し訳なさそうな視線をアキに向けていた。

「突然、故郷に帰ろうとか言われても、学校とか友達とか、いろいろありますもんね」

「いや、別に……」


 アキには学校も友達も、自分自身にも、これと言って未練はなかった。ただ、言われるまま故郷に帰ると言う選択肢も無かった。なにせ地下の賭場が気掛かりだ。


 違法賭博というアンダーグラウンドに足を踏み入れてしまった以上、そう簡単には抜けられないだろう。


「……とにかくさ、なんか説明してくれないかな。さっきからわけのわからない事ばかりだ。俺は生まれも育ちも東京だと思ってるけど、違うってのか? じゃあ、俺は記憶喪失なのか? そうは思えないんだけど」

 アキは言いながら少しだけ笑ってしまった。本当に、訳の分からない事だらけなのだ。

「そうですね。とはいえ、まずは何からお話しすれば良いのでしょうか」


 リューが顎に手を当て、考える様な仕草をして唸っていると、突然リューの父が

「なぁアキ、秋一郎しゅういちろうの仏壇とかねぇのか?」

 と、真剣な面持ちでアキに問うた。


 国友秋一郎は一年前に亡くなったアキの父の名だ。

 リューの父親の口から自然に出た自分の父の名前に、彼やリューが少なくとも自分を陥れようとしている詐欺師の類では無いと、少しだけ安堵した。

 ただ、警戒は継続中である。


「……そこの部屋」

 アキがふすまの部屋を指さすと、彼は迷いなくずんずんと襖の前まで進み、なんの断りもなしにその襖を開けた。

「お、お父さん!? いきなりだめですよ!」

 リューが注意しようと立ち上がるが、それと反対に突然膝から崩れ落ちた父に、リューはその足を止めた。

「……お、おぅっ! おうっ、おうおっ……!」


 何が鳴り出したのかと駆け寄ると、そこには畳に手をつき、小さな仏壇を前にまるでオットセイの様に泣いているリューの父がいた。

 それは、心からの嗚咽おえつだった。


「秋一郎……ごめんな、一年もほったらかして、ごめんな……」

 彼は男泣きに泣きながら仏壇の前に膝を擦りながら進み、合掌した。

 その様子から、彼と父との深い友情は十分に見て取れた。


 肩を震わせ、涙を落としながら仏前で手を合わせるリューの父。

 リューはきゅっと唇を結ぶとその隣へ正座し、彼と同じ様に手を合わせ、目を閉じた。


 そんなふたりの背中を見て、アキは息を飲んだ。

 込み上げる熱いものと、目頭から滲んでいく視界に耐えながら、ふたりに感謝した。


 父の葬儀は簡素なものだった。事務的に進行し、そのまま終わった。

 別れの挨拶に来た人が、ひとりでもいただろうか。


 嫌な記憶だった。だからアキはその時のことをあまり覚えていなかったが、少なくともこの2人の様に心からのお別れをしてくれた人はいなかっただろう。


「あの」

 アキはリューの父にそっと近寄り、

「名前、教えて下さい」と、問うた。

 アキの問いに、リューの父は嗚咽混じりで答えた。

「俺? 大斗だいとだよ。一之瀬 大斗」

「……大斗さん。ええと、その……あ、ありがとうございます。父さん……父も、友達が来てくれて、喜んでると思います……」


 その辿々たどたどしさは、慣れない言葉と態度なのだろうと直ぐわかった。

 それでも丁寧に頭を下げるアキを見て、大斗もリューも優しく微笑んでいた。




「……それでは改めまして、私達がここに来た訳についてですが……」

 アキとリュー、そして大斗は居間に戻り、再びテーブルを挟んで向かい合った。


 リューは一拍置いてからわざとらしく「こほん」と可愛く咳をする真似をし、そして……


「秋くん、私たちと仁恵之里にえのさとに帰りましょう!」

 身を乗り出すリュー。大斗はハーイ決定! と手を叩いた。


「待て待て待て。俺はまずそこまでの過程を説明して欲しいんだって。だいたい仁恵之里ってどこだよ。俺の故郷か? でも当の俺が全然覚えてないんだけど」

「東京がこの辺だと、この辺です、このへん。ちなみに富士山はこの辺です」

 リューが身振り手振りで「にえのさと」の場所を伝えようと必死だが、アバウト過ぎて全然わからない。


「……じゃあ、一之瀬さんは俺とどんな関係なの?」

「やだなあ秋くん、そんな他人行儀な。昔みたいに『リュー』って、名前で呼んでください」

「……どんな関係なの?」

「……ぅぅ」

 アキの語気が強かったからか、リューはしょぼんとしてしまった。


「お、幼馴染ですよぅ。家がお隣で、一緒の幼稚園で。小学校も一緒だと思ってたら、あんな事があって……」

「……あんな事?」

「……」


 リューが突然押し黙ってしまった。表情が一気に曇ったところを見ると、言いにくい何かがあったんだろうか。そんなリューの変化に気付き、そこからは大斗が話を続けた。


「まあ、いろいろあってお前は秋一郎と仁恵之里を出たんだ。それを話せば長くなるし、おまけにつまらねえ話だ。お前がそこらへんを覚えてねえのも察しはついてる。今は詳しく話せねぇからお前の納得のいく説明はできねぇかもだが、だからと言ってお前をこのままにしては置けねえ。アキ、俺たちと来い。そして一緒に暮らそうぜ。きっと楽しいよ!」

 大斗は満面の笑みで親指を立てた。

「……え?」


 ……え、今なんて? アキの思考が言葉に出るよりも先に、

「そうですよ秋くん! 仁恵之里で楽しい新生活が待ってますよ! 転校してもウチの高校は学年に1クラスしかないから、一緒のクラスになれます!」


 リューが復活してアキの手をとり、笑顔で言う。その屈託のない行為と花が咲いたような笑顔に、思わずアキの胸が跳ねた。


「だ、だから勝手に話を進めんなって! つーか一緒のクラスってあんた高校生なの?」

「そうですよ? なんでそんなに驚くんですか?」

 いやそのスタイルが……と、口に出さない程度にアキにもデリカシーはある。


「……さっきから敬語だし」

「これはなんていうか、癖なんです。よく言われちゃうんですけどね、えへへ」

「そ、そう……(歳下だからじゃなかったのか……)」


 この2人は本当に自分と関係のある人物で、怪しい者でも無いことは確かの様だ。

 親身になってくれている事も伝わってくる。リューの可愛らしい顔立ちにときめくものもあるが、だが、しかしだ。


「……わざわざ来てくれたのに申し訳無いけど、俺は仁恵之里とか言う所には帰らないから」

「え!?」


 リューは跳ねる様に顔を上げ、まさに信じられないといった顔で戦慄した。

「ど、どうしてですか……?」

「どうしてって、そんなのいきなり無理だろ。引っ越すにしても準備がいるし、学校とか色々手続きとかあるだろうし」


 辞めるつもりの学校を引き合いに出すのもおかしな話だと思いつつ、投げやりに言うアキ。本当は地下闘技場の事が1番の懸念なのだが、言わないほうが懸命だろう。


「まぁ待てアキ。お前の言う通りいろいろ面倒くせえしがらみはあるだろが、それを一発で解決しちまう夢のアイテムを俺は持ってきたぜ」

 大斗はそう言いながら一通の手紙を差し出した。

「……これは?」

「我らが仁恵之里にえのさと武人会ぶじんかい会長、有馬ありま刃鬼じんき直筆のラブレターだ」

「ぶじんかい……?」

「やっぱ覚えてねぇか。秋一郎も武人会にいたんだぜ。刃鬼さんはそこのボスさ。あの人は顔が広いぜ〜。だからこの手紙は絶対に役に立つ」

「はぁ……?」


 『武人会』だなんて、いかつい名前だ。

 極道か政治団体を思わせる名前だが、父がそんな組織に所属していたなんて聞いたこともないし、想像もできない。


 ……やはり、無理だ。

 とても受け入れられない。


 アキは姿勢を正した。

 せめて礼儀は尽くそうと思ったのだ。

 するとつられたようにリューと大斗も姿勢を正した。


「……気持ちだけ受け取っておく……おきます」

 アキはその『武人会からの手紙』を大斗に返す様に差し出し返した。


「父さんのこと、ありがとうございました」

 そう言って出来るだけ丁寧にと意識しながら頭を下げ……

「帰ってください」

 

 アキは呟く様にそう言ったのだった。

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