第2話 僕は恩義や忠誠心は尊いものと思う。
「終わったね」
常駐先のオフィスで、お客様に割り当てられた開発ブースのマイチェアに戻った僕は、ひとりつぶやいた。
10月も終わろうとしていた。オフィスは少しひんやりとしている。
ここしばらくの間、長い時間僕の身体を支えてくれたオフィスチェアは、だいぶ年季の入ったもの。だけれど、マネージャーの特権なのか長時間座り続けられる座りごごちを持ってくれている。マネージャーの特権には、業務上の泊まり込む自由も含まれている。
上司は、「あまり良くなことだけれどね、ルカ君」と前置きしつつ、そのマネージャー特権について説明してくれた。プロジェクトマネージャーとして、僕には、毎週月曜日午前中の会議で、お客様にプロジェクトの進捗を報告する義務があった。プロジェクトの進捗が思わしくなかった一時期は、毎週金曜日の夜は特権を行使して、泊り込みで報告資料をまとめていた。
今日はそこまで忙しいわけではなかった。本日が締日のプロジェクトのフェーズ1については、ターゲットとなる開発項目と単体テスト項目はクリアできていた。
つい先ほどまでは、近くのチェーン店の居酒屋に居た。そこでは、開発チームの若手君たちと一緒だった。そのうち二人は体育会系の飲み方を披露してくれていた。このさんざん体力を使い尽くした感じって、夏合宿の後みたいだよな、とかいいつつ、普通に疲れている他のメンバーたちの空元気も引き出しつつ、何度も乾杯をした。
皆に手羽先やししゃもたちをかじって、沖縄のもずくをすすった後、ルカさんに乾杯といってくれて、白ワインのボトルを締めにしたのだった。
プロジェクトのメンバーの平均年齢は割合高い中、彼らは、数少ない若手だった。プロジェクトの佳境でやる気がしおりて休みがちになったり、など、若手君たちらしいお困りごとももちろんあったのたけれど、ともあれ、今フェーズは無事に乗り切れることができた。
それから彼らとバイバイした僕は、いったんは帰ろうかなとは思ったものの、開発フェーズの締めの金曜の夜ということもあって、オフィスに戻ることにしたのだった。来週から始まるテストフェーズに向けての計画に、開発フェーズの総括を書いておいたほうが良いだろうと思ったのだった。総括を書くということは、たとえ日本語力に問題がなくても時間がかかるものだ。
大通りに出て、そう高くはないビルの間の夜空を見上げ、東京でも少しは星だって瞬いているものだな、と思う。今週末は、開発フェーズの区切り。
なんとなく、自由という言葉が浮かんできた。僕にとって自由の原体験は満天の星空だ。子供の頃、僕のうちの周りは日が暮れた後の灯りはまばらだった。満天の星空をひとり眺めることは、誰にも平等に与えられている自由だった(収容所に入れられでもしない限りは)。
明日は、お昼過ぎにサイクリングに出よう。そして、寝袋で夜空を見てみたい、そう思いながら、オフィスの裏口のセキュリティにICカードを当てた。
警備員さんに挨拶した僕は、エレベーターを一人昇る。
今週までの開発フェーズを総括しておくことは、来週からも若手君たちやベテランの皆さんたちに、気持ちよく頑張ってもらうためにも、大事なことだ。現状の達成項目が簡潔にまとめられていることで、各項目をつなげる結合テストが行いやすくなる。
平均して15人ほどのメンバーが行ってきたそれぞれの作業について、細かい確認項目が設けられていた。なるべく均質な成果物が求められてはいるものの、メンバーひとりひとりが持っているスキルセットはそれぞれ異なる。
成果物を作り出すおおもとは、お客様からの要求項目だ。メンバーの皆さんの読み取り方はやはりそれぞれだ。僕は、要求項目の信頼点、いわゆる、《トラスト・ルート》という役回りを担わせてもらっていた。
昭和はおろか大正の頃からの縁と伝統がある金融機関という大切なクライアントの開発案件において、エンジニア経験6年目の僕に《トラスト・ルート》を任せてくれた会社に、僕は大きな恩を感じている。人生の半分を日本の外で過ごしたという意味で、半分くらいは
僕は恩義や忠誠心というものは大切な、尊いものだと思っている。それを、僕は最初はおじいちゃんから日本語で教わり、その後、同じようなことを学校で教わった。
子供の頃に、僕が読んだのは大日本帝国時代の古い本であったり(ソ連軍の通訳だったおじいちゃんは日本語の本を持ち続ける自由があったらしい)、学校の、ソ連時代から使われていた教科書だったりと、なんだか古めかしいものだった。けれど、第二次世界大戦後の日本の高度経済成長だって、同じような恩義や忠誠心で支えられたのだろう。おじいちゃんも僕も知らないことだけれども。
もう一度言おう。
僕は、恩義や忠誠心というものは尊い日本の心、だと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます