朝長ルカ三郎は憂鬱。金融システムの殿(しんがり)のはずがオークラ大臣にジョブチェンジされてしまったことにつき。
十夜永ソフィア零
序 多磨霊園そばの由緒正しき金融機関にて
第1話 たまたま多磨霊園で働く僕
システムエンジニアな僕。
現在のお仕事は、クライアントである多摩地区の金融機関に常駐し、システム開発プロジェクトのマネージメントをしている。システムは、正式には、対外取引新基幹システムというお名前。ネット界隈でいうところのフィンテックに、お硬い地域金融機関も本格対応しようというものだ。
仕事はかなり忙しいのだけれども、僕の毎日は充実していた。
毎朝7時前には、最寄りのお花茶屋駅にたどり着くようにしている。IT系の専門学校に入る時に一人暮らしをすることになり、なんとなく駅名が可愛いらしいので選んで以来、ずっと馴染みの駅だ。そこからJRの日暮里駅に出て新宿駅。そして、京王線に乗り換えると常駐先のオフィスがある多磨霊園駅には、8時半には到着する。派遣元の僕の会社の同僚には、「痛勤じゃね?」と言われることもあるけれど、僕はそうは思わない。結構座れることが多いので、読書も捗るし。
それよりも、僕が最近気になっていたこと。
これまで、クライアントの方々やエンジニアの同僚に、住んでいるところを聞かれた時、「京成沿線の下町あたりですね。」と答えるようにしてきたのだけれど、シタマチあたりとタマチクあたりの発音が微妙に似ている気がして聞き間違えられそうな気がして困る。
僕が日本語を日常的に話すようになったのは十二歳からだ。僕の現在の国籍は日本なのだけれど、血筋的には四分の一が日本人。ふつうの日本人からの見た目は、まぁガイジンさんというところ。
小さい頃から日本語の本を読んで来た上におじいちゃんに教えられながら書道をしていたので漢字の読み書きには自信があるのだけれど、どちらかというと無口な僕は未だに日本語の発音にはあまり自身がない。ただ、下町と田町と多摩地区と、見た目が異なる文字の発音が似ているという、漢字は好きだったりする。
そんな僕には父の記憶がない。僕が生まれて半年後、仕事場の工場と住んでいたおうちのそばを流れているドニエストル川沿いで起きた戦争で亡くなったのだという。
僕のマーマ、日本風にいうと僕の母は、戦争の後、近所に越してきたおじいちゃんとおばあちゃんのおうちで僕を育てることになった。
マーマとおばあちゃんとがぶどう畑で働く昼の間、僕はおじいちゃんといつも一緒だった。かつて物理学の先生だったというおじいちゃんは、腰を痛めてからも書室から重そうな本をなんとか居間に持ち出しては、読み続けていた。そばにいる小さな僕には、日本の古い絵本などを与えてくれた。
おじいちゃんが読んでいた本はロシア語のものだったのだけれど、僕の父が亡くなった戦争の後だから、僕はしばらくはロシア語で学ばない方が良いのかもしれないというようなことを、おじいちゃんは言った。幼い僕はおじいちゃんが読んでいるその文字にもかなり興味はあったのだけれども、それを少し怖い呪文のようにも思っていた。
僕が小学5年生の時、東欧ワインブームを仕掛けようとしていた小さな商社の人々がマーマが働くぶどう畑を訪れることになったことがきっかけで、僕たち一家は日本に渡ることになった。
その後、僕が知ったことは、かつて日本から満州国を経てソ連に強制的に渡った人とその子孫は、何十年経とうと日本人で(も)ある、ということだった。
おじいちゃんは日本の大きな戦争に巻き込まれ生き残り、その息子は小さな戦場で命を落とした。はるか昔に日本と縁を切ったおじいちゃんは年の離れた孫の僕が次の戦争に巻き込まれることを恐れ、ソ連のパスポートを手に日本に戻ることにしたのだった。おじいちゃんのかつての教え子の人が手続きの応援をしてくれたらしい。
おじいちゃんが亡くなる半年前、僕、トモナガ・ルカ・サブロウは、中学1年生の時に日本人になった。
そして、人生の半分を日本人として過ごしたことになった頃。
たまたま多磨霊園の英霊たちのそばで働いた僕は、まったく想像していなかった形で、ご先祖様の英霊たちとは別次元ながらも、厳しい戦いの場に降り立つことになる。
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