第10話 遅滞する夜

 6月11日午前3時、山梨県庁で室生は仮眠から目を覚ました。

 誰かに起こされた訳ではないが、県内の西半分から住民を避難させる大きな動きをさせている事に落ち着かないのだ。

 室生はそんな自分を気が小さいものだなと思えた。

 まずは知事室のテレビを点ける。

 地元の放送局は避難について特別番組の放送を続けている。

 特番とはいえアナウンサーは出ておらず、文字で何処が避難する対象地域か住民が避難に使える公共交通機関についての情報が繰り返し流されている。

 未明の深夜であればテレビ局は最小限の人数で放送を続けていて、新たな動きが無い限りはアナウンサーなどを休ませているのだろう。

 「テレビじゃ新しい情報は無いな」

 室生は知事室から出て、対策本部の置かれている会議室へ向かう。

 会議室は県の職員に自衛官や警察・消防の連絡担当が居るが、最小限の人数が新たな情報を受け取る為に詰めている。とはいえ急変が起きていないせいか静かなものだった。

 その中でノートPCをカップに入ったコーヒー片手に眺めている林田副知事を見つけた。

 「当直ご苦労さん」

 室生が園田の横から話しかける。

 ノートPCはホテルの予約サイトが出ている。

 「これは知事」と林田は言いながら慌てて予約サイトのブラウザを閉じる。

 「住民避難はどうなっている?」

 室生は呆れながら尋ねる。すると林田は「おい、足立」と呼んだ。

 足立と呼ばれた30代の男性職員は自分の席から慌てる事無くやって来た。

 「何でしょうか?」とのんびり答える足立に林田は少し苛立った様子である。

 「住民避難はどうなっている?知事がお尋ねだ」

 「はい。自衛隊の作戦地域になる北杜市の住民避難は完了しました。しかし、甲斐市・南アルプス市・韮崎市からの避難はまだ終わっていません」

 足立は何も読み上げる事無くスラリと述べた。

 「なるほど。では、完全な避難完了はいつ頃になる?」

 室生は足立へ尋ねる。

 「今日の午前中になります」

 足立は即答した。

 「もっと早くならないか?」

 室生は遅いと思えた。

 「合わせて20万人の住民避難です。今も自家用車での避難で各所で渋滞が起きています。そこへ避難用のバスや北杜市へ向かう自衛隊車輌がより混雑を引き起こしています。今より早く進めるのは困難です」

 足立は淡々と言う。

 「知事、自衛隊がやっつけるから大丈夫ですよ。焦っても渋滞はどうにもなりません」

 林田は呑気だ。

 室生はいかんいかんと心中で林田を否定する。

 だが、交通渋滞をどうにかする案は思いつかない。

 「知事、提案があります。JRに増便を要請して下さい」

 足立が提案する。

 「要請していなかったのか?」

 「はい」

 足立のはっきりした答えが余計に室生を呆れさせた。

 「知事、渋滞で自宅などから出れない住民を列車で東京へ避難させようと思うのです」

 「それは良い案だ。早速要請を出そう」

 足立は満足した顔をしたが、林田は面倒そうな顔をした。

 どうやら足立は林田へJRへの要請を提案していたが、却下していたのだろう。

 室生はやれやれと思いながら足立が運んで来たJRへの避難列車増便を要請する書類へ名前を書き、捺印した。


 同じ頃、谷口は師団の状況に憂慮していた。

 前線を補強すべく甲府市から第22即応機動連隊を北杜市へ移動させようとしたが、この時間も連隊の半分が渋滞で立ち往生している。

 警察が自衛隊の車輌を優先通行させようとしたが、自家用車が乱入し、そこへ避難用のバスと行き場を失った運送会社のトラックも迷い込んだ。

 こうした渋滞が各地で起きて第6師団の部隊移動はままならない状況になっていた。

 「これが他国との戦争なら空爆でやられているな」

 渋滞で身動きできない車列ほど狙い易い標的は無い。

 湾岸戦争の時に幹線道路に並ぶイラク軍の車列をアメリカ軍が空爆で攻撃し、身動きできないイラク軍の車輌は残骸と化したのを谷口は思い出した。

 だが、幸いに戦う相手は航空戦力を持たないゾンビである。渋滞の車列を攻撃する術は無い。

 「前線の強化は特科の支援射撃しか無いないが、砲弾の使用許可はどうなっているんだ?」

 谷口は副官である鳥井一等陸尉へ尋ねる。

 砲弾の使用要請は昨日の夕方には政府に届いていると谷口は聞いていた。

 それから何も続報が無い。

 「まだ何も来ていません」

 鳥井は五度目になる同じ返事をした。

 まるで砲弾使用の事を忘れた様に政府からは何も言って来ない。

 「まったく」と四度目となるため息をする。

 いざとなれば俺が独断で決めねばならないのか?と苛立ちを感じ始めていた。

 

 その政府では昨日の午後8時から安全保障会議が開かれ、まず山梨県で第6師団が総力を挙げて県境に接近するゾンビを撃退すると高村統幕長が説明をした。

 そこから、風間防衛大臣が総理の藤河へゾンビへの砲弾の使用の許可を求めた。

 藤河は会議の前から砲弾使用の許可を出そうとしたが、待ったがかかる。

 「大砲を撃つなんて大袈裟だ。ゾンビじゃなくて自衛隊が町を壊してしまう」

 総務大臣の畑山だ。

 「民間資産への被害は確かにあります。しかし、集団化した対象Zを効率的に撃滅するには砲弾を使用する砲撃が効果的なのです」

 高村は断言する。

 「機関銃や手榴弾で十分倒せるのでは?最小限の民間被害で済ませて貰いたい」

 経済産業大臣の井之頭が畑山に続く様に反対意見を述べる。

 藤河はこの反対意見に肩をすくめ、腕組をし、黙ってしまう。

 「総理、許可を」

 風間が求める。

 「総理、砲弾を使う判断を下すには早いかと」

 畑山が言う。

 言い寄られる藤河は黙ったままだ。

 「総理、状況をもう少し見守りましょう」

 見かねた笹井官房長官が第三の提言をする。

 「しかし、それでは状況の急変に対応できません」

 高村は笹井と藤河へ食い下がる。

 「総理、山梨県内での被害で済むなら砲弾使用もやむ得ないのでは?」

 国土交通大臣の茂山が言った。

 「茂山さん、中央道が壊されたら大変ではないのですか?」

 畑山が山梨県を通る中央高速道路が自衛隊の砲撃に巻き込まれるのでは?と投げかける。

 「それは大変だが、ゾンビどもを倒してくれないと日本の交通は分断されたままだ」

 関西と中京の地域がゾンビに制圧された事で日本列島の陸上交通は東西の往来が出来ず、分断されていた。

 「遠藤さん、国家公安委員長としてどう考えてますか?」

 「私は山梨県で収まるならそれで良いと考えている」

 「では、外務大臣は―」

 畑山と茂山が言い争うのを見て、笹井は他の会議出席者へ意見を聞き回る。

 だがそうれであっても意見はまとまらず、午後9時半に会議は休憩となった。

 そこから再開は翌朝と言う事が午後10時に決まり、とうとう砲弾使用はどうするのか決まらないままになっていた。

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