第7話 中央即応連隊市ヶ谷へ
富士市役所から東京の避難施設へ入所する日が決まったと連絡があったのは伊藤と宮口の身体検査が行われた日から三日後である6月8日だった。
「お世話になりました。このお礼はいつか必ずします」
伊藤は東京へ行く日に大野へ深々と頭を下げて感謝を伝える。怪しい団体のリーダーではるが、自分達が助けられた事に変わりはない。
「お礼なんていいですよ。私たちは好きでやっているのですから」
大野は大した事はないと言う態度だ。
「ソンビの事が収まったら、またお礼を言いに伺います」
宮口も伊藤と同じく大野へ気持ちを伝える。
大野は伊藤と宮口の感謝ににこやかな笑顔で接する。
この模様もカメラで撮影されている。
「人に感謝されて終わる。ベストなラストシーン、とても良い」
大野は厚生省から来た迎えの車で東京へ出発する伊藤と宮口を見送りながら悦に浸る。
高校生の時からボランティア活動をして来た大野
彼女は自分が感謝される事に人一倍の快感を得ていた。
承認欲求でもあるが、自分が善を行う人物であると認識されると言うシチュエーションにこそ高揚があるのだ。
そのせいか、「帰り道の会」が配信する動画は大野が慈愛あるヒロインのように演出されている。それは大野が自ら望む姿だからだ。
伊藤と宮口が東京へ着いたのは昼過ぎだった。
車内では厚生省の職員だと名乗る女性が「安心してください。ホテル住まいですが危険はありません」と二人へ言った。
神奈川県に入り、相模原市の市街地をはじめ東京へ連なる無事な都会の様子を見ると伊藤と宮口の気持ちは安心した。
車内から見る光景はゾンビが出現する名古屋と変わらない。
ここはゾンビが居ない。厚生省の職員が言うように心休まる場所なのだと確信した時だった。
「こんな所で渋滞?」
「ゾンビが出て警察が封鎖してます」
東名高速を経て、首都高を下り都内に入った時だった。
車は渋滞によって行く手を遮られる。道路情報が表示される電光掲示板には「対象Z出現、警察対処中につき封鎖中」と出ている。
「東京にゾンビが出るんですか?」
伊藤が不安な顔で尋ねる。
「たまに一人や二人出ますね。原因は分からないですが、警察の出動で対応できるから大丈夫ですよ」
女性職員は最初の説明と同じ口調で伊藤と宮口を安心させようとする。
だが伊藤は歩道を盾を持ちながら駆ける機動隊の隊員達を見たり、どこからか聞こえる銃声に「これで安心と言われても」と内心困惑した。
伊藤と宮口は心の隅に不安を抱えながら都内の避難施設となっているホテルに到着した。
(警察や自衛隊とか警備はしてない。本当に俺達をゾンビではないと思っているんだな)
伊藤はそのホテルの周囲を観察していた。
警備している警官や自衛官の姿は無い。滞在している避難者への食料や衣料品などの物資をトラックで運びに来た運送業者や、避難施設の管理を担う厚生労働省から来ている職員にホテルの従業員しか見当たらない。
その様子を見て自分達は警戒されていないと伊藤は確信できた。
「ようやく落ち着けたな」
部屋に入り、二人だけになると伊藤はベッドに腰かけて力を抜いた。
「うん、矢井田さんと大野さんのお陰だね」
宮口も伊藤が座るベッドに仰向けに寝転がり身体を労わる。
「そうだな。あの二人のお陰だ・・・」
伊藤も身体を倒して寝転がる。
二人は寝転がりながらお互いを見つめる。
こんなに近くで見つめ合うのは、いつぶりだろう。
お互いに愛おしい気持ちが上がる。
伊藤から宮口へ手を伸ばす。誰かの目やソンビを気にして二人は触れ合う余裕が無かったからだ。
彼女の肉体や肌に触りたい。伊藤はその欲求から手を伸ばす。
「待って、シャワー浴びたい」
宮口は伊藤の手から逃れるように身体を起こす。
「匂いなんて気にしないよ」
欲情にかられている伊藤は宮口を引き留めようとするが、宮口はベッドから立ち上がり、浴室へ向かう。
「そう言う所がダメ」
宮口はそうやや機嫌の悪い言い方をしながら浴室へ入った。
残された伊藤は自分のデリカシーの無さでまた失敗したと自覚した。
そして、こんな風に宮口を何度か機嫌を悪くさせた事も伊藤は思い返し、自分の情けなさにため息が出た。
6月10日、空は曇り小雨が時折降って梅雨入りが近いこの日
防衛省の敷地に多数のトラックや高機動車・96式装輪装甲車の輸送車両に輸送ヘリであるUH-60やCH-47が飛来した。
車輌やヘリからはヘルメットを被り、防弾ベストを着込んで小銃や機関銃などの武器を持つ隊員が降りる。彼らは宇都宮駐屯地の中央即応連隊だ。
海外派遣の先遣部隊や海外での邦人移送作戦の護衛に、有事では即応部隊として出動する役目があるのがこの部隊だ。
そんな中央即応連隊が宇都宮から市ヶ谷へ移動して来たのは澤田が呼んだからだ。
首都の守りを担う第1師団は東京都と埼玉県の県境を中心に展開している。そうなると政府中枢がある永田町や霞が関を守る兵力が無い。警察の機動隊だけでは限界があるのは大阪で実証されている。
しかし警察庁は永田町と霞が関の守りは警察のみで行うと意志を示していた。関東の県境や都境で自衛隊がゾンビを阻止すれば良しと公言もしていた。
「それを真に受ける訳にはいかん」
澤田は首都圏防衛の司令官として警察の意地を尊重して遠慮するつもりは無かった。
もしもに備えて防衛省の敷地内に中央即応連隊を配置し、いつでも出動できる態勢を取る事にした。
「これは都内で対象Zが大量出現した、最悪の事態を想定しての備えです」
政府の連絡会議で澤田は警察庁の勘気に触れないように中央即応連隊の市ヶ谷配備をこう説明した。
「統幕長、いきなりゾンビどもが大勢来たら市ヶ谷の部隊だけしか来ないのか?」
救援を受ける側である藤河は尋ねる。彼からすれば警察でも自衛隊でもこだわりはない。
「すぐに駆けつけるのが、市ヶ谷からの中央即応連隊です。次いで千葉県習志野から空挺団や特殊部隊がヘリコプターで急行します」
「特殊部隊も来るのか。それは良い」
藤河は澤田の答えに納得した。警察庁長官の坪井和雄はどこか複雑な顔をしている。
政府中枢を守る事で警察の威信を保とうとしているからだ。
澤田はそれを理解していて、総理へ提案したかった永田町と霞が関へ事前の自衛隊配備の計画はあえて言わなかった。
こうした事から防衛省の敷地内に中央即応連隊の隊員が駐屯する為のテントと使用する車輌が並んだ。
マスコミは「自衛隊の戦闘部隊が都内配備」と言う見出しでゾンビの脅威が高まっていると報じた。
その報道を見た誰もがソンビの脅威は確かに高まっていると思ったが、自衛隊が部隊を動かしているなら大丈夫ではないかと希望的観測を抱いた。
確かに都内ではゾンビがいきなり出てきている。
それは少数で警察で対処できる。
名古屋や大阪から来る大量のゾンビは自衛隊の機関銃や大砲で食い止めてくれる筈だ。
東京や埼玉・神奈川に住む多くがそう考えていた。
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