第9話 掴む物語と、先輩。

 「いってらっしゃいです、先輩」


「ありがとう、頑張ってきますね」


 なんだか、新婚さん、朝の見送りみたいに聞こえちゃうかもだけど、これは引退試合直前の会話。笑っても泣いても、これが最後ってこと。

 文化祭当日、この部活で私が先輩と対局中に目が合った、最初で最後の日。


 対戦相手は先輩のよく知る人物で、正直、情けない人だったよ。先輩を見るなり、

「着飾ることしかできないお嬢様は帰って寝たらええんとちゃう?」

だなんて口にして、ケタケタと品のない笑い声を響かしていた。それに対して先輩は、ふふふ、と肩を揺らした後、口元を扇子で隠しながら大笑いしてた。うん、怖かったよ。言うまでもないよね。

「そのお嬢様を置いて出て行った癖して、今日負けるのはそちらでしょう? 何、見栄張ってるんですか、みっともないですよ、雑魚がよ」

なんて煽るんだから! 先輩の強めの語尾、それに加えた雑魚発言。相当怒ってるなぁ、と思いつつ苦笑した。


 局面は正直厳しかった。難しい言い方したら多分、伝わりにくいよね。

 囲碁の世界では、相手に囲まれてしまった碁石は、“死”の判定になるの。まぁ、例外もあるからなんとも言えないけれど、盤面には死も生もまばらだった。相手の黒の死もあるにはあるけれど、先輩の白の死は少し痛い。

 せめて、あと一つ。一つだけ生きていれば勝てるのに。チラリと、死んでしまった白石を見た。少しの希望を抱いて。その時、ふと、先輩との会話を思い出す。


 「一見、囲まれて死んでいると思いますが、ここに自分の石を置いたらどうなりますか?」

「隙間がわかられて、部屋が二つできる……?」

「そうですね、これを“眼”って言います。生きてる証だと思えば良いんです」


 ハッとして、先輩の方を見た。二人だけの世界で、視線が交差して頷き合った。首の皮一枚繋がっただけかもしれない。それでもその白石達はちゃんと生きていた。殺伐とした空気感に少しの余裕が生まれた。相手は予想だにしていなかったようで、嫌に冷や汗を浮かべていた。

 それが決め手で、先輩は勝利を掴むことが出来たんだ。初心者でも気付くことをお互いに気づくのが遅かった、だなんて笑い合っていたものだから、対戦相手の事を酷く憎んでいるわけじゃなかったみたい。

 その日の「ありがとうございました」は今までで一番透き通っていた。


 というわけで、私からの話は終わり! 少しでも楽しんでもらえたかな。いや、違うな。少しでも先輩を知ってもらえたかな。

 あ! 好きになるのはその人の勝手だけれど、先輩は譲らないから! そこのとこ、ちゃんと心の片隅に入れといてね。色んな人から先輩を守って、最後には結ばれる、なんてストーリーは漫画やアニメの世界で充分でしょ?

 

 ありがとうございました。また、機会があれば私の話、聞いて下さいね。

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