第4章 行方7

「やめてっ!」真尋の叫ぶ声が短いトンネル内に響く。

恐る恐る目を開けると、長髪の男は、あと数歩で俺に辿り着く場所で止まっている。

真尋の方を見ると、涙を流しながら立ち尽くしている。

そして、そのまま俺の元へ来て、しゃがんで動けない俺を優しく包み込んだ。

「ごめんね、京…」耳元で囁かれた。

その光景を見て、長髪の男は戦意を失うどころか、更に逆上をした様子。

「姉さん!そこをどいて下さい!!俺が全てを終わらせるから」

怒鳴り声が響く。真尋は長髪の言葉に対して、首を横に振る。

「もう、何もかも終わったの…これ以上、誰も傷付けたくないし、誰も失いたくないの………だから…」

そう言って、真尋は立ち上がって長髪の元へと歩み寄り、長髪が握るナイフを奪った。

長髪は唖然としている。

俺も同じだった。

真尋が何を考えているのか、俺と長髪には何も解らなかったからだ。

「これは、私の問題。あなたは今すぐ車に乗って逃げなさい。そうしないと、この騒ぎを聞きつけた連中が来て、酷い目に遭うわ」

連中、つまりそれは、真尋に薬を回していたヤクザの事だろう。そう察した。

「だけど、姉さん…俺、馬鹿だからよく解らねーよ…納得出来ねーよ!」

駄々をこねた子供の様に長髪が真尋に問う。

「納得しなくも良いのよ?ただ、この場を離れなさい。これが私からの最後のお願いだから…さぁ、早く!」

俺も、しゃがみ込んだ姿のまま長髪に呼び掛けた。

「なぁ、あんたもっ解ってるだろ?いつまでもここに居ちゃ危険だ。俺が、責任を持って真尋を連れて行くから、頼む…」

仕方なさそうに長髪は車へと戻り、その場から猛スピードで前橋方面へと立ち去った。


俺は、やっとの思いで立ち上がった。

「真尋、あの時叫んでくれなかったら、俺は今頃アイツに殺されてたかもな。ありがとう…」真尋の背を見つめて言った。

そして、真尋がゆっくりと振り返った。その表情を見て、背筋が凍り付いた。

あの、冷たい眼差しで俺を見ている真尋に。

「残念だったわね。やっぱ、あんたを殺すのは…私なのね」

さっきまでの真尋とは違う。いや、ここまで冷たい目の真尋は、今までに一度も見た事が無いってくらい、氷の様に冷たい目をしている。

「どうしたんだよ?真尋…」声を掛けても聞こえないのか、反応すらない。

俺は、あの氷の様な目に引き込まれる様な恐怖を感じた。

「あの女と遊んだり、私と付き合っていながら密かに思っていたり、どれだけ私を惨めにする気なの?あんたは私を真尋って呼ぶけど、私は違う!私は真琴!!」

今更、真琴?全ての事実が暴かれてなお、真琴と名乗るのか?

解らない。ただ、目の前に居るのは、俺の知らない、今までに見た事がない真尋の氷の様に冷たい表情だった。

「私は私が解らない…真琴なのか真尋なのか…それとも、どちらでもないのか…」

理解不能な会話だ。

目の前に居るのは、明らかに誰が見ても真琴の振りをしていた真尋だった。

しかし、本人はそれを認めない。自分が誰なのかさえ、解らなくなっている様子だ。

「私は【誰】?」

「私は【誰】?」

「私は【誰】?」

「私は【誰】?」

「私は【誰】?」


……………………………………………


同じ言葉をぶつぶつと繰り返す。

狂っている。いや、狂っているって言葉じゃ片付けられない信じられない光景。

「さぁ、楽にして上げるわ?」

そう言って、真尋はナイフを持つ右手を振り上げる。

体が動かない。それ程、真尋の表情に強い殺意と恐怖を感じた。


「真尋、もう終わりにしよう…」

そう言った瞬間、真尋が急に涙を流し苦しみ始めた。

そして、凍り付いた表情から、普段の穏やかな真尋の表情へと変わった。

「ごめんね、京…今までありがと…」

真尋は自らの右手を胸に勢いよく運んだ…

気が動転して動けなかった。一体、何が起きたのかさえも解らない。

ただ、気が付いたら血塗れの真尋が倒れていた。

「真尋!」

自然と涙が零れていた。

「京、ごめんね…ごめんね…」苦しい筈なのに、笑顔で誤魔化して、そっと囁く。

そして、真尋は静かに目を閉じた。


突然、この近くで待機していたのか、神木所長と奥さんが駆け付けて来た。

「西野君、彼女は大丈夫か?とにかく、そこの病院に運ぼう」

俺達は、真尋を神木所長の車に乗せた。奥さんは、すぐ近くにある総合病院へ電話をしている。

「あなた、受け入れOKよ!急いで!」車を走らせる。

病院へ着くとすぐ、数人の医師や看護師に囲まれて真尋はICUへと運ばれた。

神木所長は色々と事情説明をしている。

「西野君、今ね、千春ちゃん達もここに来るわよ。ただ、岡崎さんは別の病院らしくて、武井さんが付き添ってるから安心してね」

優しい口調で説明され、手に持っていた水を俺に渡してくれた。

勢いよく水を飲むと、やっと我に戻った様な気がし、ついさっき目の前で倒れた真尋の姿を思い出した。


『アイツ、最後は優しい顔して笑っていたな…』


暫くすると、俺達の目の前に数名の警察がやって来た。

俺達に警察手帳を差し出し、一人の男が神木所長と話をしている。

奥さんから話を聞くと、どうやら神木所長が呼んだらしい。

しかも、呼んだ相手と言うのは、警官時代からの古い友人で、何かあれば今でもお互い助け合う関係らしい。

「じゃあ、後は頼んだよ、相棒」そう言って、警官の肩を叩いて神木所長に言われるがままに俺達は病院を出た。

そして、一度、事務所へ戻ろうと言われ、俺、杏奈は神木所長の車へ乗り、英二と東千春はバイクで移動を始めた。

車中、杏奈の顔をまともに見れなかった。ただ、いくら言っても許されないだろう謝罪を伝えた。気が付けば、そのまま眠ってしまったのだった…


事務所に着いたのは夜中の1時過ぎだった。

杏奈は、別室で奥さんと一緒に過ごさせる事にした。

それは、本人が望んだのではなく、神木所長の独断の判断でそうさせたのだった。

暫くすると、治療を終え、入院を拒否した裕介さんと武井さんが事務所にやって来る。刺された足の傷は、思ったより深くは無い様だ。

「これで全員が揃いましたね?では、今回の結果を先にお伝えしますが、先程、私の友人から連絡がありました。佐々木真尋は、意識を取り戻した様です。暫く絶対安静の為、回復次第で事情聴取が始まるでしょう。あ、我々の事情聴取は私が全て引き受けるのでご安心を」

「それで、アイツはどうなるんでしょうか?」俺が所長に聞くと「おそらく、全ての証拠が見つかり次第、逮捕にはなると思いますが、仮に物的証拠が無くても、今回は別件もある様ですからね」

別件とは、薬の事だろうか?それとも、他にも?

「別件と言うのは、薬もです。それと、誰がやったのか解りませんが、殺しが一件あります。この被害者は、佐々木達に薬を渡していたヤクザです。誰が主犯だろうと、彼女も絡んでいる筈なので、間違いなく刑務所へ入る事になるでしょう」

冷静な口調で神木所長が説明をする。

「そっか…じゃあ、これでこの事件は終わりですね」

俺が言うと、皆が頷いた。

やっと、悪夢の様な長い夜が終わった。俺は、安堵感に包まれ、その場で倒れる様に眠ってしまった。

気が付けば、事務所にある仮眠室で朝を迎えた。

隣のベッドでは、杏奈が眠っている…


「おはようございます」そう挨拶をして、事務所へ行くと、東千春と奥さんが朝食を食べていた。どうやら所長は、病院に来た警官に会いに行ったらしい。

「おっ!西野君。おはよう」朝からテンションの高い東千春が挨拶を返すと、奥さんも挨拶を返してくれた。

「それにしても西野君、杏奈ちゃんね、『京ちゃんが心配だから、私もここに泊まる』って言ってたんだよ?あんな怖い思いをしても、西野君の事しか考えてないんだから、今度こそ大切にしなさいよ?」笑顔の奥さんに言われた。

「はい」と返事をし、東千春に言われるがまま席に座り、俺が倒れてからの話を二人から聞いた。

あの後、俺と杏奈以外はすぐに帰ったらしい。そして、朝早くから神木所長は出掛けたとの事。

「あ、西野君のお兄さんから伝言があるんだけど、目が覚めたら電話してだってさ」

そう言いながら、東千春は俺のスマホを充電器から外して渡してくれた。

そのまま外へ出て、煙草を吸いながら裕介さんに電話を掛けた。

「もしもし?裕介さん、足は大丈夫?」昨夜、刺された足が心配になり、それが第一声だった。

「余裕だよ、それより、怪我して帰ったから絵美子に怒られて、そっちの方が大変でさ」笑いながら裕介さんが応えると、本題に入った。

「今朝なんだけど、佐々木真尋から手紙が届いてたよ、京ちゃん宛に。それと、松原さん、今日これから退院が出来るってさ。もし、大丈夫ならこれから報告がてら最後にお見舞いにでも行くかい?」

即答した。

そして、裕介さんが迎えに来るまで、事務所で待つ事にし、階段を昇って入り口前に行くと、杏奈が立っていた。

長かった髪が、昨夜、真尋の仲間に切られて歪な長さになっていた。

「杏奈、ごめんな…」

「ううん、私は大丈夫。京ちゃんが無事なら私は良いの」

そう言いながら、俺に抱き着いて来た。

俺は、不意に抱き着かれて一瞬驚いたが、杏奈の背に手を回して言った。

「もう、二度とこんな目に遭わせないから」と…

杏奈は静かに笑顔で頷いた。









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