第3章 二面性 9

西野京一


平穏に時間が過ぎるのを感じる。明日は、久し振りに杏奈達と飲みに行く日。

大学を終えると、今度はバイトが始まる。

着替えを済ませ、店長や厨房の人に挨拶をしてホールへ行くと、真琴と東さん、菊池さんが居た。

俺を見るなり菊池さんが寄って来た。

「これ、修から西野君に渡す様に頼まれたから、真琴ちゃん誘っておいで」そう言ってライブチケットを受け取った。どうやら地元のライブハウス主催のイベントみたいだ。修とは、菊池さんの息子で、俺が高校時代の文化祭で一度だけ一緒にバンドを組んだ奴。

「この、『幽蝶』って言うのが修のバンドらしいよ」

俺はチケットをポケットに入れて菊池さんにお礼と、修に「頑張れ」と伝言を頼んだ。菊池さんが俺の元を離れると、今度は真琴が近付いて来た。

いつも通り接すると決めていたから、俺はいつも通りに接した。

「修のバンドのチケット貰ったから、一緒に行かない?」そう言うと真琴は明るい笑顔で「一緒に行く」と言う。

いつも通り真琴と東さんは仲良く話している。そんな光景を見ていると、真琴の隠された闇の部分なんか無いんじゃないか?とさえ思える。

店の営業時間が終わり、閉店作業をしている時、真琴に明日は細井達と飲みに行く事を話した。

「あの子はいないの?」疑いの目で言って来た。

あの子とは杏奈の事だとすぐに解った。

「いないよ」俺はとっさに嘘を付いてしまった。何故なら、杏奈も一緒と言えば今度は杏奈に被害が及ぶかも知れないからだ。

「ふーん…それなら良いよ。私は明日は休みだから家でのんびりしてるからね」と言ってはいるが、まだ疑っている風にも感じる。

少しすると東さんが寄って来て、「明日、西野君が予定あるなら真琴さん一緒に遊びませんか?」と言ったので、良いタイミングだなと思い助かった。

「良いよ。じゃあ、千春ちゃんまたうちに来る?」

「はい!またお邪魔します」笑顔で東さんが応える。

そして、店長に真琴が呼ばれた。どうやらシフトの相談の様だ。

真琴が居なくなると、東さんは小声で「明日は楽しんで来てね。でも、西野君、嘘が下手だね。顔に出てたもん、あの子って人も来るってさ」そう言い残して俺の元から離れて行った。

着替えが済むと、今度は俺が店長に呼ばれた。真琴には先に帰る様に伝えて店長の元へ向かった。

「特に変わった様子は無いです」それだけの会話。

「そうか。取り敢えず様子を見よう。それと、話は変わるけど、東さんがバイトを辞めると今日言って来たからな。まだ、佐々木さんも知らないから内緒で」

10分程事務所で話をして俺は家に帰った。


翌日、大学を終えると一度帰宅して待ち合わせ場所へ向かう準備をした。

真琴は東さんと遊んでいるから、俺は気にしないで杏奈達と飲もうと決めた。

こうやって、真琴の事を知らない奴と飲んだり、過ごしている時間が今の俺には居心地が良くて、とても有意義で開放的な救いの時間。

この日は、裕介さんに駅まで送って貰えた。

駅前には、夏美だけが着いている。杏奈も細井もまだみたいな様子。

「早いな」そう夏美に声を掛けた。

夏美は俺を見て「杏奈はもう少しで着くって」とスマホを操作しながら言う。

どうやら、杏奈とメールをしているみたいだ。

そして、細井がやって来た。

相変わらずどこにいても目立つ服装。そして、着くなり謙虚に「遅くなりました」と挨拶をする。細井は、本当に良い奴だ。

数分すると、見覚えのある一台の車が目の前で止まった。

助手席から杏奈が降りて来る。

俺は、運転している杏奈の母親に目をやって会釈をした。久し振りに杏奈の母親に会った。母親も俺に気付いて会釈を返す。今までは何度も杏奈の家に遊びに行ったりしていたのに、久し振りに会うと妙な気持ちになった。

「ごめんね、遅くなっちゃって。京ちゃん、ちょっと良い?」俺は杏奈に少し離れた場所へ呼ばれた。その理由は、まだ目の前に止まっている車で、母親が俺を呼んで来てと言ったらしい。

俺は少し緊張して母親の元へ向かい、挨拶をすると「この前は杏奈が家に行ったって言ってたけど、たまには京一君も前みたいにいらっしゃいね」杏奈の母親は、笑顔で俺にそれだけを言って車を発進させる。

「お母さん何だって?」興味津々に杏奈が聞いて来る。俺は、さっきの会話をそのまんま杏奈に言った。

「京ちゃんの事、気に入ってるからね」杏奈が笑いながら言う。そのまま夏美と細井が待つ場所へ戻り、近くにある焼き鳥専門店の居酒屋へと向かった。

その道中、知らない携帯番号から電話が掛かって来た。

「もしもし?」と電話に出ると、相手は同じバイトの東千春だった。

焦った口調で「約束の時間だから、真琴さんの家に行こうとしたんだけど、体調が悪いからキャンセルになったんだよね。で、心配だから家に行ったら車もないし、電気も付いてなかったから、もしかしたら西野君を疑って探してるかも知れない…」

確かに疑ってるかも知れないけど、まさか探しに来るか?それに、俺がどこで飲むかなんて教えてないし、俺も今日までどこで飲むかなんて知らなかったし。

最後に東さんは「気を付けて」と言い残して電話を切った。

「気を付けて」か…俺は、大丈夫だろうと思いながら、心のどこかで『相手は真琴』だと思い、少し不安になって来た。しかし、だからと言ってどうにも出来ない。

「電話、誰からだったの?」と夏美に聞かれて「間違い電話だった」と嘘を付いた。変に心配させて楽しい時間がつまらなくなったら俺の責任。

俺は、自分自身に『大丈夫』と言い聞かせた。


居酒屋へ到着し、それぞれが飲み物を注文した。

大学での他愛もない話や、細井の酔っぱらった時の話をし、俺達は楽しく飲んでいる。俺自身も久し振りに何も考えずに笑えて楽しい時間だなと感じた。

正直、ここ最近は真琴の事で色々と考えていたから。

「ねぇ、西野って彼女がいるじゃん?最近、杏奈と話す様になったし、研修も一緒だったけど、実際はどうなの?戻ったのかなぁ?」酔っ払った夏美が絡んで来た。

思い出した、こいつは酒癖が悪かったんだ…

俺は細井に適当な話を振る。しかし、細井は「すみません、僕には西野君に彼女が居るとか居ないとか関係なく、水沢さんとお似合いだと思います。研修の時からそう思ってます」とんでもない発言をした。

「二人共、何言ってるの?酔い過ぎじゃない?」と杏奈が笑いながら言う。

俺も杏奈に続けて「そうそう、飲み過ぎだし、俺等の事は良いんだよ」と返す。

それでも一度火が付いた夏美と細井は食い下がらずに言いたい放題。

「だって、もう私達は終わったんだもん…」杏奈が少し寂しそうなか細い声で言う。

俺は、まともに杏奈の顔を見る事が出来なかった。確かに俺は今、真琴と付き合っている。だけど、正直言って杏奈の事を忘れた事は一度も無かった。

しかも、別れた日からも、俺は杏奈の事を誰よりも考えていたし、何かあったら俺が守るとさえ決めていた。

「俺にとって杏奈は大切な存在だよ…」

思わず本音を言ってしまった。その本音を聞いた夏美は更に大騒ぎして、俺と杏奈に復縁しろと言い出した。それに便乗して細井も同じ様に言う。

俺と杏奈は下を向いたまま黙り込むしか出来なかった。

暫くすると、飲み過ぎたせいか、細井はその場で寝てしまい、夏美はトイレに行くと言って席を立った。

俺と杏奈は、ほぼ二人きりになる。

「ごめんね、夏美が酔っちゃってさ」夏美を庇ってか、杏奈が謝って来た。

俺は、気にしなくて良いのになと思いながら返事をした。

「でも、私は今でも京ちゃんが…」ここまで言い掛けたところで夏美がトイレから戻って来た。俺達は、何事もなかったかの様に普通に接した。

「今でも京ちゃんが…」何?その続きは何だ?と、気になっていたが、何となく杏奈の態度で解った。

今でも好きって言うのなら、俺も同じ気持ち。だけど、だからと言って今更…いや、今更でもない。俺はずっと別れてから杏奈を避けていた。それは、杏奈も同じだった。でも、お互い頑なに距離を縮めようともしないで、それが原因で余計に話をしなくなったり、必要以上に関わらない様に壁を作ってしまっていたんだ。

あの時、もしちゃんと話し合えていれば、あんな勘違いを残さないまま付き合えていた筈なのに、俺達は自分の手で終わらせちゃったんだな…

それは、山下から杏奈を守る為に、別れたくないのに嘘を付いて別れた。その後、山下に復讐した時に、全てを正直に話ていれば良かったけど、その時にはゆっくり話せる雰囲気はお互いに無かったのが事実。


飲み会は、このまま現地解散となった。

夏美と細井は飲み過ぎていたので、先にタクシーへと乗せた。

どうやら杏奈は母親に迎えを頼んだ様だ。

「京ちゃんも乗って行く?送って行くよ」と言われ、俺は照れながらお願いをした。

その時、東千春から言われた言葉をふと思い出した。

真琴が『俺を疑って探しているかも知れない』

これだけ広い高崎で、俺がどこに居るのかなんて解らないから大丈夫だろう…

俺は、そう安易に思っていたが、現実は俺の予想さえ覆す結果となっていた。

それは、これから数日後に思い知る事となる。

取り敢えず、俺は言われるがまま杏奈の母親の車に乗って、家に送って貰った。

俺と杏奈は中学は違うけど、割と近所で歩けば10分と掛からない距離に住んでいる。お互い学区内ギリギリの場所に住んでいる為、高校で知り合う以前に、どこかで会った事があったかも知れない距離だった。

車から降りると「京ちゃん、帰ったら電話するね」そう言い残して杏奈は手を振った。

そのまま杏奈の母親が運転する車は走り去って行く。

溜息を数回吐きながら玄関へ向かう。

やっぱ、俺は杏奈が好きなんだな…今夜それを確信した。だけど、その前に真琴と決着を付けなければいけない。それは、俺の為にも、そして裕介さんや亡くなった弟さんの為にも…

頬を二回叩いて玄関を開け「ただいま」と言って部屋へと向かい、杏奈からの電話を待つ事にした。






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