第1章 手紙 11

「もしもし?私だけど…杏奈だけど、京ちゃん起きてる?」

半分寝ぼけながら返事を返すと、どうやら今日の研修の前に大学へ来る様にと、研修

担当の先生から電話が来たらしい。ただ、一緒に研修する細井に関しては、連絡先を知らない為、担当の先生から電話してくれるとの事だった。

研修は9時からだったが、今日に限っては先に先生が連絡をしてくれて大学を出たら向かうと言う流れになったらしい。

取り敢えず電話を見ると時間は7時10分だった。

準備を済ませ、8時半過ぎに家を出た。今日は、研修初日って言う事もあり、バイクではなく車で向かった。

大学へ着くと、そこには研修担当の先生と杏奈が玄関で待っていた。

俺を見て、先生が「あとは細井だけだな」と呟いく。

しばらくして細井が現れ、何故ここに呼ばれたのかを話し始めた。

理由は簡単だった。本来は、初日だけは責任者として同伴しないといけない規則らしいが、どうやら急遽行けなくなってしまった為、誰か一人に任せるのではなく、全員に研修の書類を届ける様に頼む為だった。代表として俺が書類を預かる。

「お前達、この大学の代表なんだから間違いのない様に頑張って来いよ」

俺達三人は、それぞれ自分の車に乗り、研修先へと向かう。


研修先であるグループホーム 向日葵 高崎飯塚へ着いた。

高崎飯塚と書かれていると言う事は、他にもあるのだろうか?事前に調べたりしていないので、少しだけ興味が沸いた。

インターホンを鳴らすと、30代後半だろう女性が玄関へと来て、俺達を歓迎してくれた。

その職員に着いて行き、事務所へと案内される。

事務所には、施設長と名乗る50歳くらいの女性がパソコンに向かって何かを打っていた。俺達が目の前に行くと、パソコンを打つ手を止めて自己紹介して来た。

どうやらこの施設長は村田と言う女性らしい。先生から預かった書類を渡して、代表として細井が自己紹介と挨拶をする。真面目な細井の言葉は、とても丁寧で適任だと思った。まずは簡単に施設の紹介を受けた。先程、興味が沸いた他の施設に付いても説明があり、どうやら高崎飯塚以外にも、高崎には小塙町にもあった。しかも、本社は埼玉県らしく、関東だけだが11カ所も施設があるとの事だ。

玄関の先にあるロッカー室へと案内され、俺達は荷物をロッカーに入れて施設内を案内される事となる。

案内してくれるのは、ここの施設の主任らしい。

ロッカー室まで迎えに来てくれたのは、先程インターホンを鳴らした時に来た女性だった。

「初めての研修って事もあって、緊張したり大変だと思うけど、頑張って何かを得て大学に帰って下さい。私はここで主任をやらせて貰ってる福田です。まず、この施設には9名のご利用者様がお過ごしになっています」そう言って、ホールへと進んだ。

ホールには、男性五人、女性四人の利用者様がテレビを見たり、お茶を飲んだり、お話をして過ごしていた。職員は、男性二人と女性一人がそれぞれ仕事をしている。

一通り挨拶を交わして入浴場やトイレに案内された。

最後に案内されたのは厨房だった。その日の担当の職員が昼食や夕食を作っているらしい。

「それじゃあ実践で仕事をやってみましょう。では、細井さんは入浴を私と一緒にやって、水沢さんはホール対応。西野さんは10時半になったら昼食作る当番さんと昼食作りで午前中はお願いします」

10時半になるまで、俺も杏奈と一緒にホール対応をした。

テーブルが三つあり、利用者様は三人ずつ腰を掛けていている。

テレビでは、今話題のニュースが流れていて、興味津々に見入ってる方がいた。

「あんらー、新しい職員さんかい?」そう話しかけて来てくれた女性の利用者様に、俺は緊張して上手く喋れなかった。すかさず20代後半くらいの男性職員がフォローしてくれて、何とか会話が成立したかの様に思えた。

時間になり、先程フォローしてくれた男性に呼ばれて一緒に厨房へ向かう。

「俺達と違って、ご高齢の方は人それぞれ食事形態が違ってね。例えば、さっき話し掛けられた方だと、お粥に副食は一口サイズに切ったりと、その人に合った形態で提供しています」丁寧な説明を聞いて、俺はメモ帳を広げ、忘れずに記入する。

この研修では、大学からメモ帳を渡されており、何でも良いから書いて来いと指示を受けていたからだ。たくさんメモを書けば書くほど成績に反映されるだろうと、俺は勝手にそう思っている。だからこそ、たくさん書こうと決めている。

きっと、俺だけじゃなく杏奈も細井も必死にメモを書いているだろう…

言われるがまま、厨房の作業を終わらせた。家では料理なんかしないからか、何だか少し新鮮で楽しかった。副食を細かく刻める道具があり、こんな便利な物まであったんだなと感心さえした。

その道具の事を、この施設ではミキサーと言うらしい。本来の正式名称は解らないけど、電気屋に行けば売っていると教えて貰った。

食事提供を終えると、俺達三人は同じ時間に休憩を取った。他の職員も休憩を取るので、俺達は気を使わない様にか、相談室と言う場所で昼食を取らせてくれた。

それぞれ担当した場所が違ったから、お互いが休憩まで担当していた場所の感想を話した。細井に関しては、入浴と言う事もあり、初めて女性の体を肉眼で見たから凄く恥ずかしくて緊張したと、突然言い出すから思わず笑ってしまった。

杏奈は、細井の話を聞いて必死に笑いを堪えている様に見える。

午後は、それぞれがホール対応となり、職員達と一緒にレクリエーションを行った。今日のレクリエーションは、テーブルを端に寄せてから、全員でラジオ体操を行った後、輪になって椅子に座りボールを投げたり蹴ったりと自由に体を動かした。

「そりゃー!」大きな掛け声をかけた男性の利用者様が投げたボールが細井の顔面にヒットした時、その場にいた全員で笑った。そんな事をしてると、今度は俺の顔面にボールが飛んで来たから、条件反射的に避けてしまった。

避けたら避けたでブーイングだ。「折角、この子の顔に当たると思ったのに」と、不満を漏らす利用者様もいた。

15時になると、ここの施設ではオヤツの時間らしい。テーブルを定位置に戻し、利用者様の手を消毒してから、どら焼きを召し上がって頂く。

「これから、トイレ誘導する方が三名いらっしゃるので、見てて貰って良いかな?凄く勉強にもなるし、大事な仕事だからね」と、主任の福田さんに言われて見学する事になった。

手すりに捕まって貰い、福田が丁寧にズボンを降ろして便座へと誘導する。

最後の一人だけは、車椅子を使用されている男性だった。耳が遠いらしく、大きな声で立ちますよ、捕まって下さいと、行動の指示を福田が声を大にして促した。

「足が痛い」と、言いながらも、一生懸命に立ち上がった姿を見て、頑張れば何でも出来るんだなと感心しつつ、それはある意味尊敬の眼差しを込めて三人で見詰めていた。

勿論、介護をする福田も凄いが、車椅子になっても立とうって思うこの利用者様からは、何か得体のしれないエネルギーと勇気と希望を貰った様な気がした。

トイレ誘導が終わり、研修が終わる15時半までホールで過ごし、最後は施設長の村田へ挨拶をした。とにかく、今日は初めてって言う事もあってか、何とも言えない疲労感があり、玄関を出ると「また明日」と言って、杏奈も細井もすぐに車に乗ってそれぞれ何も話さずに帰った。


俺は、近所のコンビニへ寄った。明日の昼飯を買って自宅へと戻り、部屋に入ると安心してからか急にドッと疲れが襲って来て、そのまま眠ってしまった。

母親から「夕飯だよ」と言う呼び掛けで目を覚ますと、時間は19時を少し過ぎたとこだった。。スマホを見ると、バイト前の真琴からメールが届いていたから返事をしてリビングへ降りて行った。

「京一、老人ホームの研修はどうだった?」日本酒を飲みながら顔を赤くした親父が大きな声で聞いて来た。「グループホームだよ、今じゃ老人ホームって言わないんだよ」と返すと、大声で親父が笑った。その横には裕介さんがビールを静かに飲んでいる。母と姉は作った料理を運びながら俺の研修での話に耳を傾けて聞いていた。

「それで、杏奈ちゃんとは?少しは話したり、遊ぶ約束でもしたの?」姉が突然言って来た。その話に、両親も混ざる。ここからが質問攻めだ。

両親も姉と同様に杏奈を気に入っている。杏奈が遊びに来てると知った親父は、寿司を買ってきたり、何かと理由を付けて俺の部屋に来たし、母親も同じだった。

そのまま杏奈の話から研修の話に戻る。

食事中は研修の質問ばっかで、思い出すだけで更に疲労感が生まれた。

でも、現場を知る事で、更にこの仕事の大切さや、やりがいは大いに感じる事が出来た。

いくら大学の授業で習っていても、それは教科書に載っている基本的な事や、先生から聞いている話だけで、実際の現場とは全く異なる世界。

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