第1章 手紙 10

思わず持っていたスマホを落としてしまった。何なんだ、この憎悪が溢れた様な文章は…気持ちが悪いを通り越して、何とも言えない不快感に蝕まれた。ただ、今回の手紙で一つだけ明確になった事がある。それは、真琴が長野県出身と言う事を知っていて、そこで何かがあったと言う事。

何よりも、この手紙の送り主も長野県出身だと言う事が解った。

何があったのか解らないが、この手紙の送り主には真琴に対してハッキリとした憎悪や恨みがあるのは確かだ。

その時、部屋のドアをノックされた。ふと、我に返ると部屋の前には姉の絵美子が立っていた。

「ちょっと話があるんだけど、下に来て貰ってもいい?」

姉に促されるまま階段を降り、リビングへと向かった。リビングでは、裕介さんがビールを飲みながら何かの資料を眺めている。

「おぉ、京ちゃん。ちょっと頼みたい事があるんだけど今って時間は大丈夫?」

俺は大丈夫とだけ伝えてソファーに座った。姉がキッチンからビールを持って来て、これでも飲みなと、俺にそっと差し出す。

一口飲んだところで裕介さんが話を始めた。

内容は、長野に住む裕介の義理の両親が住む自宅のリフォームに行くから、一泊二日で手伝って欲しいって言う話だった。

「いつ?」短く返答すると、今月末にでもと返事が返って来た。まだ、バイトのシフトも出てないし、希望なら休みが取れるので「良いよ」とだけ返した。

条件は良かった。一泊二日で給料が三万円。長時間を裕介さんと気まずく過ごし、しかも、久し振りの肉体労働は悩ましいが、三万円は何日か分のバイト代よりも良い話だったから、俺にはとても魅力的。

だいたいの作業内容を聞き、30分程リビングで過ごして部屋へ戻ると、真琴から『お休み』とだけメールが来ていた。返事を返してベッドに横になり、そのまま眠ってしまった。


翌日、バイトへ行くと普段と何も変わらない店内だった。

昨日のメールに関しては、バイト先に真琴が居ると言う事もあり、店長とはお互い時間がある時にメールだけでやりとりを交わしている。

バイトが終わり、真琴と近くにあるファミレスへ向かった。

注文したハンバーグを食べながら、バイトの菊地さんがお皿を割って大変だったとか、山崎君が注文を間違えてクレームになったとか、東さんが寝坊して遅刻して来たとか、話す内容は、殆どバイトの話が多かった。

ふと、真琴が言う。

「明日からの研修って、この前一緒に居た子も同じところなの?」

絶対に聞かれると思っていた質問だった。

「そうだね、後は細井って奴も一緒の研修だよ」

二人じゃなく三人って事を伝えれば、少しは安心すると思い告げた。

真琴の表情は何一つ変わらない。これでこの話も終わると思っていたが、更に続けて聞いて来た。

「私には京しか居ないんだから、あの子じゃなくても研修先の人と仲良くなったりしたら嫌だからね?」

「大丈夫、浮気とかしないから安心してよ。俺、自分の為に勉強しに行くんだし、研修も授業の内の一つだから、遊びじゃないんだよ」

そう言って、この話題から遠ざけた。ドリンクバーのお代わりを取りに行こうとすると、真琴が「私のコーラもお願いね」と言って、コップを俺に手渡す。

お代わりしたコーラを真琴の前に置くと、満面の笑みで「ありがとう」と言った。

この真琴の笑顔が大好きだったのに、その笑顔の裏には俺の知らない真琴の顔がある…それが、どんな顔なのか解らない。何故、大学生と言いつつ、大学には通っていないのか?昼間は何をして過ごしているのか?流石にバイト代だけじゃ生活は出来ないって言うのは俺にでも解った。

「あのね、京が研修を終えたら実家に少し帰ろうと思ってるんだけど…」

実家?今、真琴は実家と確かに言った。この流れなら聞けるかも知れないと思って、言葉を選んで質問した。

「いつから?真琴の実家って、どこにあるの?俺、真琴の事もっと知りたいな」

正直な気持ちをストレートに言葉にする。

「言った事って無かったっけ?私の実家は長野県にある松本ってとこよ。予定では、10日に帰って11日に戻って来るよ。月曜から大学あるからさ」

大学?疑問に思い、口に出そうになったがその言葉を一気に飲み込んだ。

「松本って行った事が無いから知らないけど、いつか行ってみたいな。あ、俺も今度長野に行くんだった。うちに来た時に会った姉ちゃんの旦那って覚えてる?」

「うん、あの筋肉が凄くて日焼けしてる人だよね?」

「そうそう、あの人の実家のリフォームで一泊二日で行くんだけど、二日で三万だって言うからさ」

「それは良い話だね。長野のどこなの?」

「長野市らしいよ」

「長野市なんだ、じゃあ折角だから観光がてら善光寺にでも行けたら行ってよ、凄くいい場所だからさ。でも、仕事で行くんだったら難しいよね…」

そう言って真琴は初めて地元の場所を打ち明け、地元の話をしてくれた。

「明日から研修だし、今日はもう帰って準備して寝るよ」と言い、会計へ進みファミレスを後にした。


自宅へ帰る途中、煙草と明日の昼食と飲み物を購入しようと思い、明日から研修が行われる施設の近くにあるコンビニへ寄った。

買い物を済まして自宅へ帰ると、駐車場に人影があった。

その人影が裕介さんだとすぐに気付いた。裕介さんは外で煙草を吸いながら誰かと電話をしている様子だった。

「おっ京ちゃん!お帰り」電話中だったが裕介さんから挨拶をして来たのだ。電話中だから、小さな声でただいまとだけ返す。

「あ、ごめん。それで…」裕介さんは、何もなかった様に通話を再び始めた。

裕介さんを背にして階段を昇って家に入る。玄関に着くと、母親が「遅かったじゃない?明日から研修でしょ?早く寝なさい」と、言われた。母親に適当な返事をして部屋へ向かう途中、今度は姉に呼び止められた。

「京一、明日から杏奈ちゃんと一緒に研修なんだってね、夕方スーパーで会って言ってたよ」余計な事をと、心の中で思いながら返事をした。

「私は、今の彼女も可愛いと思うけど、やっぱ杏奈ちゃんの方が可愛い妹って思うんだよな。絶対に結婚すると思ってたのに残念だったよ…」少し酒に酔っているのか、いつもより陽気なテンションで言われた。

「杏奈とは終わったんだよ…」そう言って部屋へ入ってベッドに倒れ込んだ。

すぐさま、お風呂に入らなきゃと思い、体を無理矢理起こす。

お風呂は好きだった。どんなに眠くても、どんなに疲れていても、どんなに嫌な事があってもお風呂に入ればスッキリして気持ちがリセットされる。

ふと、今さっき姉に言われた言葉を思い出した。

「杏奈か…」俺は真琴の事が好きと言う気持ちは80%あると自信を持って言えるが、残りの20%は?と、聞かれたら正直言って答えられない。しかし、当時の杏奈の事は100%好きだった。何一つとして、疑いや不安などなく付き合っていた。

この差は何なんだろう…そう考えながら湯船に浸かって考えてみる。

理由は一目瞭然ですぐに答えが出た。


俺は杏奈の全てを知っていたし、杏奈も俺の全てを知っていた。二人の間に隠し事や嘘など何一つも存在していなかった。そう、最後の日までは…

あの日、俺がハメられた出来事と、杏奈が俺を信じてくれていれば、今でも付き合っていたのかな?何も話さず、すれ違ってしまったまま月日が流れたけど、あの時、ちゃんと素直になって、お互い話し合う環境を作っていれたら…あの時、俺がハメられた真実を杏奈に話して謝っていたら…

ただ、今はその時に起こった出来事さえ、解決しているのだから、もしかしたら…なんて、考えてしまった。

風呂から出て部屋へ戻ると、テレビ台に備え付けられている引き出しから一枚の写真を取り出した。

そこには、制服姿の俺と杏奈が手を繋いで楽しそうに写っている。

高校の卒業式の日、俺が杏奈に告白した場所で友達が撮ってくれた写真。

こんな昔の写真を今更…何か女々しいなと思い、すぐに引き出しの奥へと戻すと、何とも言えない感情が胸の中を締め付ける。

杏奈と明日から一緒と言う事もあって、俺は嬉しかった。何かを期待しているとかではなく、ただ純粋に一緒に居られる事、自然と会話が出来る環境が嬉しかった。

それでも、一つだけ悩みはある。

果たして、自分の気持ちを杏奈に悟られないかだ。確かに、彼女はいるけど、それとはまた違う感情が杏奈に対して残っている。

俺にとって、杏奈の存在は特別。今でも俺は…


翌日、スマホの目覚まし機能に起こされる日常と違って、その日は久し振りに杏奈からの電話で朝を迎えた。

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