第1章 手紙 8
静寂の車内に響く呼び出し音。
息を潜めて俺達は電話が繋がるのを、ただ黙って待っている。
一回目…二回目…三回目…四回目で通話が繋がった。
「お電話ありがとうございます。関東経済大学総合案内、野島です」
落ち着いた声色の女性が出た。おそらく俺の予想では50歳くらいだろう。
「お忙しいところすみません。私、佐々木真琴の親族の佐々木紀子と申します。そちらに佐々木真琴と言う生徒が通っていると思うのですが、携帯電話に何度か電話しても繋がらない為、ご迷惑を承知でこちらに掛けさせて頂きました。お急ぎの用件なので、本人とお繋ぎして頂けないでしょうか?」
「畏まりました。佐々木真琴さんですね。只今、お呼び致します。暫くお待ち下さい」
そう言って、保留音が流れる。
いつ、電話が繋がってもおかしくないので、車内は無言のまま時間だけが流れた。
数分後、保留音から先程の野島と言う女性の声に切り替わった。
「お待たせ致しました。大変、申し訳ございませんが、本校には佐々木真琴さんと言う生徒は通っていらっしゃらない様ですが…本校では、校内放送する前に生徒一覧を調べてから行うのですが、該当が御座いませんでした。佐々木と言う名字の生徒はいらっしゃいますが、男性が二名と、女性では一名でして、その女性ですと、真琴と言う名前では無いみたいです」
奥さんは冷静にお礼を告げて丁寧に電話を切った。
張り詰めていた重い緊張の糸の締め付けが更に強くなった。
「西野」
店長が俺を呼ぶ声が聞こえるが、頭が真っ白すぎて応答が出来ない…
「西野!」
更に大きく強い口調で呼ばれた。
「え…あ、はい…」
頭が真っ白すぎて、何て言ったら良いのか解らない。店長も奥さんも今、どんな気持ちなんだろう。そして、真琴本人は、大学生の振りをして何をしているのだろう…
何もかも全てが解らなくなり、頭の中がごちゃごちゃになってしまった。
「何て言うか、本当に残念だけど仕方がない結果になっちゃったな。でも、だからと言って佐々木さんへの態度を変えたりしないで接しろよ?俺達だって普通に接するから。それに、明後日からお前は研修でバイト休みだろ?明日はお前も佐々木さんも仕事だから、とにかく今日の事は忘れろと言っても忘れられないだろうが、後は本人の問題だ。こんな嘘がいつまでも通せるとは思えないからな。お前はお前なりに彼女の事を支えてやれよ?」
「西野君、うちの旦那の言う通り。何か佐々木さんにも事情があっての嘘だと思うから、きっと彼女も苦しんでる筈だから…」
二人は、一生懸命に俺の事を考えて言葉を掛けてくれる。
「俺、店に戻らないとだから何かあったら言えよ?」
お礼をして、放心状態のまま俺は車を出て午後の授業が行われる教室へと向かった。
廊下を歩いていると、背後から杏奈と杏奈の友達の夏美が近付いて来た。
右手には何やら一枚の紙を持っている。
「京ちゃん、これ」
そう言って手渡された紙には明後日からの研修先の詳細が書かれていた。
研修先は、飯塚にある施設らしい。
よく見ると、そこには俺と杏奈ともう一人同級生の名前が書いてあった。
特別仲良い奴ではなが、何回かグループワークをした時に少しだけ話した事がある程度の男だった。
彼の名前は細井 明と言う。いかにも真面目ですって感じの眼鏡を掛けて、小太りの冴えない男だった。俺とは全く気が合わないだろう。向こうも同じ思いなんだろうなと思った。五日間、同じ目標がある仲間だから、少しは仲良くなろうと思うが、果たして仲良くなれるのだろうか…
「何か元気ないよね?どうしたの?」
不安そうに杏奈が俺の顔を見て聞いて来た。
「ちょっと、な…色々あってさ。とにかく、研修ではよろしく頼むよ」
ポケットに紙を突っ込んで歩き出す。
このままじゃ駄目だ。顔に出てしまうし、真琴の前では平常心で居られる自信さえ無くなって来ている事に気付いた。
その日の夕方、家に帰ると電話が鳴った。
相手は真琴からだった。
「京?明後日から研修でバイト休むでしょ?だから、明日バイト終わったらご飯に行かない?話したい事もあるしさ」いつもと変わらない真琴の声がした。
「いいよ」簡単に返事をした。
こんな事があって、どんな会話をしたら良いのか、どんな顔して会って良いのか正直解らなかった。
そのまま他愛もない会話をして切ったが、どんな話をしたのかさえ、いまいち覚えていなかった。部屋から出て、裕介さんから貰ったバイクに鍵を回した。このままじゃ色々と考え込んでしまうから、気晴らしに走りに行こうと決めたからだ。
HONDA CB400 FOURは、とにかくバイク好き、旧車好きの間では伝説のバイクとして有名で、誰もが憧れるバイクの一つだった。
エンジンを掛け、目的もなく走り始めた。
ふと、通っていた高校の近くになったから、久し振りに行ってみるかと思い、そのままバイクを走らせ向かう。
俺が通った高校は、市内でも中の中って感じの商業高校だった。
ここで杏奈と出会い、付き合ったんだなと、校門の前でふと思い出した。
正面から見て右側にある体育館からは、部活をやっている生徒の声が聞こえる。
視線を校舎へと移す。自然に懐かしい記憶が不意に蘇って来る。
杏奈を始めて見た場所。
杏奈に告白をした場所。
友達と喧嘩した場所。
様々な記憶が蘇る。
高校から少し先へ行くとコンビニがある。そこで一服でもしようと思い向かう事にした。
コンビニに着き一服をした。スマホを見ると、杏奈から研修の事でメールが届いていた。内容は、どんな服で行く?と言う、下らない内容。杏奈に適当な返事を送り、再びバイクを走らせる。何となく高崎駒形線に出てみた。そして、そのまま前橋方面へ宛もなく走り続ける。
気が付けば前橋駅付近だったから、そのまま17号に入って高崎方面へ向かう。
前橋インター付近を通り越した辺りで、一気にスピードを上げた。
そのままグルグルと一時間くらい走り続けて自宅へと戻った。
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