登山の日


 作中特別編


 月だけが知っている 最終話



 ~ 十月三日(日) 登山の日 ~




 ピンクのカーディガン。

 ちょっとサイズが合ってないようだが。


「うれしそうだな」

「ファンだって……。すごくうれしい……」


 肩にかけたカーディガンを。

 宝物のように、ずっと頬ずりしながら。


 同封されていたファンレターを。

 何度も何度も読み返す秋乃。


 封筒の宛名の文字。

 綺麗な字で、丁寧に書かれた秋乃の名前。


 それだけ見ても。

 どれほどの思いが込められているか容易に伝わって来る。


 もちろん、文章を見るわけにはいかないが。

 気にならないと言えばうそになる。


 ……秋乃に。

 ファンレターか。


 なんだろう、このちりちりとした感覚。


 これは、焦燥感?



「……なあ。それより、赤い宝石探さないと」

「そ、そうね……」

「あと、ちびらびは抱いて無くていいのか?」

「この子は立哉君が連れて歩いて?」


 嫌だよ恥ずかしい。

 そんな反論もさせぬ間に。


 自分のカーディガンと同じように。

 俺の背中に背負わせて。

 あっという間におんぶ紐。


「…………ほんと、何でも持って歩くね、お前は」

「な、何でもは無いよ? 面白くなる物だけ……」

「うはははははははははははは!!!」


 じゃあ、俺をからかってるわけじゃねえか。

 でも、腹が立っても。

 こいつを外す訳にはいかねえ。


 秋乃が面白いと思ってやった事。

 甘んじて受け取ろう。


 今は、そうしないと。

 なんだか、そのファンの子に負けそうな気がするからな。


「じゃあ、宝石探し再開……」

「そうだな。もうそろそろ閉まる屋台も増えそうだし、急がねえと」

「閉まる? まだおしまいまで一時間もある……」

「食材切らした屋台とか、景品切らした屋台とか、もうぽつぽつ出始めてるぜ?」


 俺の言葉に焦りを見せた秋乃が。

 慌てて辺りを見渡すと。


 ようやく、撤収作業をしている屋台が出始めてることに気付いたようだが。


 そのうち一つ。

 さっきのチョコバナナ屋台が。


 テントを無茶に畳もうとしたところ。


「うわ!?」

「危ない!!!」


 テントの骨組みが落っこちて。

 何人かが下敷きになった。


「い、急いで持ち上げないと!」

「大丈夫か!?」


 大勢の人が慌ててテントを持ち上げると。

 倒れ込んでいた人たちが、お礼を言いながら。

 大丈夫だと這い出してきたんだが。


 そのうち一人。

 腕に長めの切り傷が出来ている。


 それを見た瞬間。

 秋乃が駆け出す。


 でも。



 これを止めなきゃ男じゃない。



 秋乃が、肩から外したカーディガンを巻こうとした手を急いで止めて。

 使っていない布巾を傷口に押し当ててから。

 ボタンを飛ばしながらワイシャツを脱ぎ捨てて腕ごと縛る。


「保健室まで付き合おう」

「わ、悪いね……。みんな! 気を付けて作業してくれよ!」


 しきりにお礼を言う彼を。

 保健室まで連れて行くと。


 先生から、大事に至っていないことを聞かされて。

 ようやく肩の力が抜けた。


 そして保健室を先に出た俺たちは。

 廊下の端の暗がりへ。


 二人、いつものように並んで。

 壁を背に、もたれかかる。


「……おんぶ紐のせいでワイシャツ脱ぎにくかった」

「ゴメン……」

「あと。お前はどうしてそう考え無しなんだよ」

「………………ごめん」


 折角もらったカーディガン。

 なのに誰かのためなら投げ出すことができる。


 秋乃の行動パターンに慣れているから。

 止めることができたんだけど。


「嫌いになった?」


 そんなことをつぶやくこいつに。

 返事なんかできるわけがない。



 困った。

 ああ困った。



 俺は、こいつのことを。




 もうこれ以上ないくらい。

 好きになっちまった。




「なんか大騒ぎだった感じー? 大丈夫だったー?」


 聞き馴染みのある声に。

 反射的に距離を取った俺達。


 ああ、そうか。

 こいつらずっと見張ってたし。

 夢野さんも今の見てたんだな。


「俺たちは大丈夫」

「シャツは大丈夫じゃない感じー?」

「まあ、シャツくらいいいよ」

「そっかー。あ、保坂ー。これ、頼まれてたやつー」


 そう言いながら手渡された小さなショッパー。

 驚くほど高級感のあるその手提げは。

 この間頼んでおいた指輪が入っているんだろう。


 いいぞ、渡りに船。

 これで告白もちょっとは楽にできそうだ。


「サンキュ。お金は後で渡すよ」

「できれば今日中がいいかなー」

「ああ、大丈夫。ちょっと秋乃と話したいから」

「おー。そうかそうかー。それじゃ、後でねー」


 夢野さんは、気を利かせて。

 それでも含み笑いと共に去っていく。


 そんな彼女の背中を見つめていた秋乃から。

 小さな緊張感が伝わって来た。



 …………人生を。

 登山に例えるなど陳腐なものだが。


 今、そのいくつもの意味から一つだけ。

 理解できたような気がする。



 一つの頂きが見える。

 俺は今から。

 あそこへ登るんだ。



「だ、大事な話があるんだけど……」

「…………ん」

「後夜祭のキャンプファイヤーとフォークダンス、屋上から見ないか?」

「…………うん」



 ちきしょう、緊張するな、俺。

 分かってんだろ?

 秋乃だって、気配を感じて緊張してるんだ。



 俺は、待ち合わせの場所と時間を決めて。

 その場をあとにする。


 ちょっとクールダウンしねえと。



 あと。



 セリフを練習しとかねえと。




 ~´∀`~´∀`~´∀`~




 華やかな笑い声が暗く影を落とし始めた山々に反響する。

 大きな茜が空に消えて、小さな茜が校庭に灯る。


 後夜祭。

 それは多くの高校生にとって。


 恋の一ページ目を飾るタイトル。


 俺には無縁と思っていたけど。

 まさかそんな月並みな青春が俺に訪れようとは。



 俺の後ろ。

 いつもと違う位置にいる秋乃が近くて遠い。


 そのせいで感じる違和感が。

 焦りに変わって。


 さっきまでの猛特訓で。

 ムード作りとか。

 話の流れとか。


 練りに練っていた構想が全て真っ白になる。



 ああもう。

 こんな状況に対応できる俺だとでも思ってるのか?


 空に白く輝く月。

 その裏側にいるであろう神様に悪態をついた俺は。


 振り向くことすらできないままに、いきなり要件を話し出す。


「……えっと。早速、話があってだな」

「待って?」


 焦り過ぎたのか。

 失敗したのか。


 なにも分からないまま、俺は黙ったまま、金網に手を添える。


「あたしも、大事な大事な話があるの」


 秋乃も察しているようだ。

 声が震えて、固くなっている。


 それなら、少しは気が楽だ。


 だって、きっと。

 想いは、言葉は、結論は。

 それらはまだ分からないけど。


 少なくとも、鼓動だけは。

 俺たち二人、同じ状態になっているんだろうから。


 意を決して、秋乃の方へ振り返る。

 するとそこには、唇を震わせて。


 何かを口にしようとしてる最愛の人が。

 今にも泣き出しそうな顔をしている姿があった。


「待て。いくらなんでも俺から言うよ」

「…………立哉君の話が先?」


 どっちの話が後先なんてねえだろ。


「同じ話しようとしてるんだ。お前からなんか言わせねえぞ?」

「え!? 立哉君も家を出るの?」

「何のはなし!?」


 は!?

 家を出るだって!?


 いや、大事な話だけどさ!

 なんだそれ!?


「ちょ……!? ええっ!? 家を出るって、一人で暮らすってこと!?」

「うん」

「なんで!?」

「勘当されちゃった」

「はああああああ!?」


 俺の頭は真っ白け。

 もう、何を口にしたらいいか分からない。


 陸に上がったコイの口。

 んぱんぱしたまま、秋乃を見てる事しかできやしない。



 告白して。

 恋人になる。


 一歩だけ大人に近づいたと喜んでいた俺に。


 三馬身から四馬身。

 お前は、どうして先に行く。



「それでね? さっき思い付いたんだけど」


 家を出る。

 男のくせに、その感覚がまるで霧の向こう。


「あたしのいいアイデア。……図々しいとは思うけど」


 それに、勘当ってどういうことだ?

 まさか文化祭の話がこじれてそんなことに?


「あたし……、立哉君とこの空き部屋に住んじゃダメ?」


 だとしたら、あのバカ親父を説得しねえと。

 悪いのは俺だ、秋乃は何も悪いことなんて…………?


「へ?」

「あたし、立哉君とこに住んじゃダメ?」



「「「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」」」



 俺のセリフを取ったのは。

 男女総勢三十人。



「わわわわわ!!!」

「いてえ押すな!」

「いてっ! ……よ、よう、立哉」

「き、奇遇ね舞浜さん!」

「いや誤魔化してる場合か!」

「一緒に住むってどういう事よ!!!」


 雪崩を打って。

 みんなが溢れ出して来るペントハウスの裏。


 そんな狭いとこに。

 よく入ってられたなお前ら。


「出るの早すぎよ! バカ!」

「そ、そりゃそうだけど……」

「ごめん秋乃ちゃん! さあ続きをどうぞ!」

「で、できないかも……、ね?」

「そりゃそうだよねほんとゴメン!」

「ゴメン舞浜!」

「ごめんね秋乃ちゃん!」

「……おまえら、俺には一言もないのか」

「うるせえこの野郎!」

「同棲だと!?」

「はぜろ!」

「爆死しろ!」


 俺への温度と秋乃への温度。

 寒暖差のせいで風邪ひくわ。


「でも同棲って、じゃあ、もう付き合ってんの?」


 誰かが言ったこの言葉に。

 秋乃は真顔で、首を左右に振って答える。


「え!? どういうことよ保坂!」

「責任とりなさいよ!」

「男でしょ!」

「なんだなんだ!? どうしてそこまで非難されにゃならんのだ!」

「うるさいクズ!」

「最低男!」

「ひでえな! 流れ見てただろ!? 俺のどこにクズ要素があった!」


 校庭から上がる炎を遥かに超える。

 そんな業火で満たされた、爆発寸前の屋上の騒ぎ。

 でもそれが、一つの声によって一気に鎮まることになった。



「まいはまあきのさーん!!!」



 なんだなんだと。

 フェンスに張り付く三十二人。


 見下ろせば、あれはいつもの。


「告白大会?」

「え? 秋乃ちゃんが呼ばれてる!?」


 愛する姫君の姿に気付いたのか。

 ステージから手を振る男子の姿。


 でも彼の後を追うように。


「ちょっと待ったー!」

「お前ら、待て!」


 次々と並ぶ男子数名。

 揃って屋上を見上げると。


 同時に手を差し伸べ。

 首を下げて。


「「「俺とつきあってください!!!」」」


 そして一瞬の静寂の後。

 俺の隣で、大きなばってんを作った秋乃の姿が校庭中から確認されると。


 盛大なため息と。

 それを掻き消すほどの笑い声が上がったのだった。


 だが、この騒ぎは会場を変え。

 今度は二次会で大騒ぎ。


「ライブ見て人気が出たんだね!」

「ほら、売れちゃうよ? 保坂!」

「現品限りだよ? 保坂!」


 いやいやいや。

 背中押すなバカ野郎。


「…………え?」

「「「「え? じゃねえ!!!」」」」

「みんなの見てる前で?」

「「「「そう!」」」」


 まじかふざけんな!

 でも、たしかに。

 恋は一点物の早い者勝ち。



 ええい!

 こうなりゃやけくそだ!



「あ……、秋乃!」

「は、はい!」

「けっ……、いや、つき……、いや、お友達から……、いたいいたい!」


 こら、蹴るんじゃねえよお前ら!

 俺だっててんぱってんだよ察しろよ!


「誰かこいつに根性貸してやれ!」

「あー。あれ使えばいい感じー?」

「おおそうだ! 保坂、あれだ!」

「立哉! 気付け! あれだ!」


 おお、これか。

 言葉じゃなくても伝わるかもしれねえな。


 もう藁にもすがるつもりでショッパーから出したプレゼント。

 何も言わずに押しつけると。


 秋乃は、きょとんとしながらも。

 リボンをほどいて、丁寧に包装を剥がして。


 そして現れた小箱を開くと。




 …………満面の笑みを浮かべてくれた。




 その瞬間、俺を含めた一同が息を呑む。

 そして歓声をあげるためにぎゅっと腹に力をため込むと。


「あ、ありがと。はい」


 ……そのまま、声をあげるタイミングを失って。

 溜めた息が肺にたっぷり閉じ込められたまま。




 俺に突っ返された。

 小箱を黙って見つめていた。




「え? ……う、受け取ってくれないの?」

「うん。あたしじゃなくて、相応しい子がいるから」




「「「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」」」




「あ、それじゃ引っ越しのことは考えておいて……。あたしも、ママに相談しておかなきゃ」



 そして、蒼白になった全員に見送られて。

 秋乃は、屋上から姿を消した。




 もちろん俺は。

 そのまま気を失った。


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