洋菓子の日


 ~ 九月二十九日(水)

     洋菓子の日 ~

 ※医食同源いしょくどうげん

  薬と食べ物は根源が同じ


注意 一 : 九千文字を超える長編です。ご了承ください。

注意 二 : ショックな描写が含まれます。苦手な方は「~´∀`~´∀`~´∀`~」以降、後半のみお楽しみいただくことを強く推奨いたします。




 たしかもうすぐ開花祭だったな。まさかちびらびを連れて出歩くこともできないだろうから、そうだな、テレビで盛り上がるのがいいだろう。奮発してケーキでも買ってきて、可愛いワンピースでも着せてやって、頭にリボンとか付けてやろう。こらこら、そんなに飛び跳ねてはしゃぐんじゃないよ。ご近所にばれるばれる。

 そしてインターホンも鳴らさずに部屋に入ってきたタッキーが、俺には冷たい目線で、ちびらびには満面の笑顔を向けながらテーブルにつくと、一緒に朝ごはんを食べるんだ。

 ……おい、俺のイメージ。ふざけんなよ貴様。

 そのワンピースは高かったんだ。麻婆はねーだろ、止めてくれ。




 俺は、朦朧とする意識が見つめる白いものが粉々になった白銀のMFAの残骸だということにようやく気が付いた。そして、俺の身体を優しく包んで助けようとしているかのような真っ黒な手の平……、戦隊長のMFA、全てが独立して動くパーツのうちの、巨大な手が俺を助けてくれたのだと理解した。

 次に自分の体が軋むばかりで動かすこともままならないということを把握すると、途端に体中へと痛みが走った。あまりの激痛に、まともに思考することすら出来ない。背中越しには、何か巨大な物が地面を踏み鳴らしているのだろうか、響き渡る轟音、そして激しい銃声が聞こえる。

 軍の皆さんが、亮ちゃんが戦っているのだろうか、あの怪物と。そうだ、俺は確か、あの怪物に叩き落されて……っ!


「た……、き……」


 あいつは無事なのか。俺はなんとか首を巡らせると、視界の端、粉々になった赤いパーツと横たわるタッキーの姿が映った。彼女もまた黒い手に護られ、あたかも花の中心で眠っているかのようだ。そんな彼女の胸部は、かすかに上下に揺れていた。呼吸をしているということは、最悪の事態は免れたようだ。

 気合を入れて体中の痛みに耐えつつ、なんとか四つん這いの姿勢を取った俺は、その時やっと、異音に気付いた。

 タッキーからではなく、違う方向。俺が横たわる瓦礫の山の下から、ひゅーという風切り音と、その最期に濁った音とが、ゆっくりとした周期で続いている。


 まるで、命の灯火を無くす直前の呼吸音だ。


 俺は何とか瓦礫の上を這い、その音の正体を目にしたが、にわかにそれを信じることが出来なかった。そこには、見覚えのあるぶかぶかの鎧を背負ったワンピースの少女が、俺に向けて手を伸ばし、うつ伏せになって倒れていた。


「ちびらび……っ!」


 俺は瓦礫を転げるように落ちた。痛覚が完全に麻痺した俺は、散らばる瓦礫に膝の肉を抉られても、手を切られても、ただ彼女の元に一瞬でも早く辿り着きたいということしか考えることができず、ついには頭から地面に落ちた。


「ちびらび……! ちびらび!」


 ようやくちびらびの元へ辿り着いた俺は、愛しいオレンジ髪の少女を持ち上げた。だが、埃で真っ白に汚れたちびらびの頬が、明らかにこけている。瞑った両目も、まるで衰弱した人間のように力が無い。


「まさか、お前!」


 俺は、ちびらびの言葉を思い出していた。ミノタウロスを制御しようとしたら、死んでしまうかもしれない。

 こんな小さな子が、自分の命を賭してまで戦ってくれたのだと知った俺は、溢れ落ちる涙と、喉を潰すほどの嗚咽を止めることなどできなかった。


「に……。にー」


 その時やっと、ちびらびが目を開いてくれた。虚ろな赤い目が、薄く開いた瞼から辛うじて窺える。


「あれ、止めなきゃ。にーも、おねーちゃんも、護らなきゃ」


 ちびらびは首をがくんと巡らせ、後方の巨人に目を向けたが、俺は強く抱きしめながら、彼女の額を胸に押し付けた。


「もう……、いいんだ……」

「でも……」


 胸が詰まって上手く言葉に出来ない想いを、額を押し付けて彼女の目を見つめ続けることで何とか伝えると、ちびらびは、返事の代わりに小さな手で俺の頬を撫で、弱々しく、それでもにっこりと微笑んでくれたのだった。


 ――ミノタウロスに降り注ぐ火線。正面に見える半壊したビルの上に、ミノタウロスの上半身が見え隠れする。

 敵は右手で、マーキーズを完全に覆って護っている。そして左腕を地面に突き立てると、抗う事の出来ない程の振動が足下に走る。やつは、地下の隔壁をその腕で破壊しようとしているのだろうか。最下層まで抜かれたら、空気が外に流出してしまう。ここにいる人間は全滅だ。

 急いで何とかしないといけない。でも、この二人が心配だ。俺は何か自分達の居場所を知らせる術は無いものかとタッキーが横たわる瓦礫の山を見上げると、その上で、真紅のマスタースーツが呻きと共に身じろぎした。

 そんな彼女に声をかけようとした瞬間。半壊したビルの瓦礫から、何かが転げ落ちるのを見た。胴が先に、手足が後からついてくるような今の動きはまるでミスチスタフ。だが、サイズがあまりにも違う。


「…………グスタフ・カーン?」


 未だに霞む視界の中では判別がつかないが、額にマーキーズをつけた、どこか見覚えのある姿かたちをしたその男は、巨大な銃の四角い銃口を俺に向け、ふらふらと照準を定めあぐねていた。


「剣……! に、げ……!」


 タッキーも、俺と同じようなダメージを受けているのだろう。弱々しく上げた声が辛うじて耳に届く。俺がやったように瓦礫を崩しながら傍まで落ちてきたが、大き目の瓦礫に足を挟まれ、弱々しくそれを引き抜こうとするものの、敵わないようだ。

 はっきりとは分からないが、奴は俺を狙っている。見たことも無い光線銃のような兵器だ、きっと二人にも害が及ぶ。ふらふらと数歩、必死に二人から距離をとったところで、俺は横たわる黒刀に躓き、ゴンと音を響かせつつ頭から地面に倒れこんだ。

 よし、銃は俺を追って来る。もっと遠くへ行かないと。もっと……!


「に……」

「剣……! 剣!」


 二人が近づいて来る前に。早く、はやく……。

 だが、四肢を地面に擦り切らせながら、もがくように這い進む俺とグスタフ・カーンとの間に。


「にー、まもる……!」


 ふらふらと、ちびらびが立ちふさがった。



 声にならない悲鳴を上げた俺とタッキー。俺を護るために、俺に背を向けて両の手を伸ばした彼女を護らなければ。

 そんな思いも、この言う事を聞かない身体では叶えることはできず。俺たちは、カチリという絶望的な音を耳にした。


 ……その瞬間。


 ちびらびの着ていた胸鎧から、フィルムのように薄い花びらが次々と伸び、まるで巨大なダリアのような大輪に変形した。そう、巨大。花の直径は、数十メートル。

 唖然とする俺の目の前で、未だに変形を続けるルナマテリアは次々と幾重にも花びらを広げ、地表を砕く轟音を伴って俺たちの視界を完全に覆い尽くす。

 一枚一枚の花びらは透明に見えるほど薄く、ライン状に走らせる虹色の光沢が、今はその表面に全て溶けているような不思議な虹色の光沢を波打たせていた。

 だが俺は、矢継ぎ早に襲い来る事象がどれだけ衝撃的であろうとも、目の前に突きつけられた一つのことだけに思考の全てを奪われていた。もともと胸鎧の形をしていたそれは、完全に形を変えてしまったのだが……。


 ちびらびの姿が。

 どこにもない。


 彼女の身体を飲み込むように変形したルナ・マテリアは、変形を終え、少女の体には大きすぎる胸鎧の形に戻ると、さっきまで彼女がいた場所に、音も無く転がった。


「ち……、ちびらび?」

「うそ…………? え? なに?」


 理解できなかった。いや、理解しようとするのを心が拒絶していた。

 数十メートルの大輪が穿った地下区画。そのどこかに吹き飛ばされたのだろうか。そんなことを考える俺たちをあざ笑うかのように。


 空間が、ピキッと音を立てたかと思うと、俺達の目の前に、真っ赤な、そして小さなルビーのような物が生まれ、ポトリと地面に落ちた。




 ……おお、まんまる。月ってまんまるだったんだ。

 せんせーの言ったこと、ほんとだった。

 やっぱりせんせーは何でも知ってるんだ。

 こんな高さまで浮かぶと、たましいがよく見える。

 器に入ってるのも、器に入らないでくっついてるだけのも、宝石にならないで浮いてるだけのも。

 浮いてるだけのたましいは、向こうに見える青い星からどんどん女神様の傍に集まってくる。 

 せんせー、言ってたっけ、月で過ごしているたましいは、がんばってる誰かを助けたいって思うから、宝石になるんだって。そして宝石になった魂を、記憶を消してから器に入れて、青い星に送るんだって。

 月の裏にあるはずの青い星、左下のあたりに、転んで泣いている子供が見える。がんばれ。右の上の方では、必死に走ってるお姉ちゃんがいる。がんばれ。

 ……月の上では、にーが泣いてる。お姉ちゃんも泣いてる。

 そんなのやだ。お願い、頑張ってほしいの。

 目の前のおっきな敵が、床を壊してる。それ、大変。

 下まで穴が開いたら、くうきがなくなるんでしょ? そしたら、また女神様がみんなの体を作り変えなきゃいけなくなる。

 前にそれをやった時は、間に合わなくて何人も死んじゃって、悲しかったって言ってたんだよ、女神様。

 にーが死んじゃ、やだ。お姉ちゃんが死んじゃ、やだ。


 だから、頑張って。

 今、そっちに行くから。

 頑張って、そいつを倒して――――。




「すげえな、せんせーの言ったとおりだぜ。いや、すげーのはあんた達と、ちびらびか」


 いつの間に傍らへ立っていたのか、髪にバンダナを巻いた小柄な少年がマーキーズへ手を伸ばし、優しく表面を撫でてあげた後、大事そうにポケットへ突っ込んだ。


「まっ……、まってくれ。それは……」

「ああ、ちびらびだ。あんた達を助けたかったらしい、こんなにすぐマーキーズになるなんて、聞いたことないよ」

「その子は、どうなるの……?」


 少年は優しい、そして少しだけ寂しい笑顔を俺達に向けると。


「しばらくすれば女神様が勝手に持っていって、記憶を消してから、何かの器に入れるんだ。地球人か、羅弥兎人か、動物か、植物か。生まれ変わって、そしてまた死んで、魂になってここへ戻ってくる。その繰り返しさ」

「記憶が……」

「ああ、気持ちは分かるけど、たぶん例外はない。そうしないと生まれ変わらせることができないらしい。前の記憶が残ってたら、混乱しちゃうからなんだって」


 少年はそう言うと、泣き出しそうな顔のまま無理に笑顔を作り、手を振りながら踵を返す。


「どこかでまたこいつに会ったら、ありがとうって言ってやってくれ」


 そして羅弥兎人らしい強靭な足で走り出し、ダリアの花が引き裂いた地下階層へとその身を投じた。

 俺は、タッキーは、彼の潜ったところを見つめたままでいた。まるで時が止まってしまったかのように、呼吸を忘れ、見つめ続けていた。


 ……でもそうだよな。このままじゃいけないよな。俺にも、そしてきっとタッキーにも届いたよ、お前の言葉。


 頑張れって。大きな声が。


 俺達の周りに、音が帰ってきた。仲間が必死に戦ってくれている。

 怪物は目の位置にあるマーキーズを手で護り、もう一方の手で執拗に攻撃を繰り返している。


「……皆を、護らなきゃ」


 俺が声に出して言うと、タッキーがゆっくりと立ち上がった。


「そうね、皆の為に、アイツを斬らなきゃ」

「ああ」


 タッキーが左手を伸ばしてくる。俺は、そこに右手を重ね、ぎゅっと握り締めた。


「いつかまた、ちびらびちゃんとすれ違った時に叱られないように」

「笑顔で、胸を張って、また会ったなって、そしてバイバイって言えるように」


 俺は、タッキーに手を引っ張られ、強引に立たされた。

 そして彼女は手を握ったまま、優しい顔を俺に向けて呟く。


「あたしね、気付いてた。いつもあんたの背中に現れてたやつ」

「魂か……。誰かを助けたくなると、マーキーズになるのか」

「そして文字通り命を賭して、あなたの背中を押してくれていたのね」

「そりゃ酷い装置だ。記憶を奪わないとは言え、生まれ変わる折角の機会をパワーに変えるとか」

「……装置じゃ、ないんじゃない?」


 俺は、タッキーと共に正面を向いた。

 半壊したビルの向こう、強大な敵がそこにいるが何も怖くない。


「これで、終わらせるわ」

「ああ、これで、終わりだ」


 俺は足下に転がる黒刀を左手に掴んだ。視界が赤く染まっている俺の体は二・五メートルもの大剣を易々と持ち上げた。

 そして並び立つタッキーへ目線を移すと、彼女もまた、泣きはらした目に鋭い光を湛えて俺を見つめていた。

 ……彼女が繋いだままの手を力強く握り締めた。

 それを合図に再び揃って正面を向き、まったく違わぬ、同じ気持ちを叫んだ。


「あたしは! あの子の為に最強の剣となる!」

「俺は! あの子の為に最速の盾となる!」


 大気が、ギシと音を立てて軋んだ。軋んだ音は質量を生み出し、俺達の目に見える形となって、ルビーのような宝石をいくつも重ねた塊となってその姿を現した。

 タッキーの手に現れたものは、怪物の足下を越えてさらに向こうまで伸びる、三百メートルもの真っ赤なマーキーズでできた刀。

 いくつもの建物を貫いて現れた直刀はその刃を上に向けて横たわり、腰だめに溜めた手で握る柄の部分では未だに軋りを響かせていた。

 そして俺の背中に現れたものは、十メートルもの真っ赤なマーキーズでできた双翼。背中から肩口へ噛み付くように生まれた翼は重く、俺達を応援してくれる沢山の心を背負わされた気がして、胸が熱くなった。


 タッキーはずしりと音を立てて腰を落とすと、その眼前にある柄を両手で握りしめた。この異様に反応した軍と仲間達がミノタウロスから距離を取ると、皆の視線に反応したのか、怪物は俺達の方へ体を向けた。


「がんばれ」

「……あたしにも聞こえたわ。あの子の声」

「ああ」

「がんばれ」

「……がんばれ」


 俺は正眼に構える剣をぎゅっと握りなおし、心の中で、少女と約束した。




 またどこかで、な。ちびらび。




「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 乾坤全て震撼させる咆哮を挙げたタッキーが、三百メートルもの剣の下半分、背の側すべてを吹き飛ばす。すると彼女が握る柄を支点に、真っ赤な剣は地上の建物を吹き飛ばしながら音速で振りあがった。

 半身になったその剣はミノタウロスの右肘に当たると、その刀身を砕きながらも、怪物の腕を跳ね上げる。


「たあああああああああああああああああああああっ!」


 その瞬間、俺は迷わず全ての翼を吹き飛ばし、剥き出しになった怪物の右目を目掛け、飛んだ。


 バキン!


 音速の中でも、俺の目は確実にマーキーズの破壊を捉えていた。そしてゆっくりと回る景色の中で、動きを止め、ゆっくりと倒れ始めたミノタウロスの姿が見え、俺に手を振るタッキーの姿が見え、そして。


「必ず、またどこかで会おうな」


 オレンジ髪の、満面の笑顔が。

 涙に濡れる俺の目にぼんやりと浮かんで、そして消えて行った。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「……待ちなさい」


 背後にコマンドルームで走りまわる者の姿が小さく見える。

 脅威を全て鎮圧したばかりとはいえ、次は消火活動に全身全霊を捧げねばならない。過去はどうあれ、今だけは勤勉になった正規軍のコマンドオペレーター達が必死に戦っている、そんな野戦司令部の外れ、遊歩道が十字になった中心に巨大なMFAが鎮座していた。

 両腕を失い、フローティングポイントを天高く巻き上げる翼のように広げた鳥のオブジェ。いつもは精悍に見えるその姿は、禍々しさの象徴にすら見える薄気味の悪さを放っていた。

 その足下で、自分と同じ薄いブラウンのジャケットにタイトスカートという姿で、いずこかと通信を行っている女性がいた。


「変化が……、ない? …………そう。分かった。……さっきは書類ありがとう。じゃ、友達が来たから」


 通信を終えたその女性は、豪奢なウェーブの掛かった栗毛をかき上げると、あたしに背を向けたまま呟くように言い放つ。


「撤収よ。みんなもそうでしょうけど、なにより私がすぐに帰りたいの。じゃ、先に行くわ」

「待ちなさい」


 あたしは繰り返した。だが、自分はいったいどうしたいのか分からず、分からないまま、コマンドルームから持ち出した四連発の小型拳銃をその女性に向けた。


「……お願い、亮子。そういう冗談に付き合いたい気分じゃないの。あっちへ行ってくれない?」

「泣いていた……。二人が、泣いていた!」


 まるで駄々をこねる子供のような言葉だ。

 多分、あたしがここに来たこと、言いたいこと、そして何も出来ないこと、それらを全て理解しているであろう女は、黙ってあたしの叫びを背中で受け止めていた。

 そして自分の遠大な野望のために、些事とも取れぬことと決め付け、あたしを置いて飛び立ってしまうのだろう。

 だが、あたしの目に予想外なものが映った。

 いつも堂々と胸を張るこの女性は、肩を落とし、小さな、無力な姿であたしへと振り向いたのだ。


「あたしだって……、あたしだって、大好きだった娘を失ったの! 悲しくないわけ無いじゃない!」


 信じられなかった。あの柚歌が、心が砕けたかのような生気のない黒い瞳であたしを見つめ、泣いていた。


「そんなに泣いて……、自分の身と心を削り捨てながら! 愛するものを傷つけながら! 何を目指してるの!」


 あたしは、急に彼女を救ってあげたくなった。

 この親友を救うために、その覇道から引き摺り降ろしてあげようと、涙と共に叫んだ。


 だが、それは届かなかったようだ。


 彼女は寂しそうな笑顔になって足下を見つめると、首を横に振った。

 まるで自分に言い聞かせるように、二度、三度とそれを繰り返した。


「あの子達には?」


 そして怯えるような声音で呟いた。

 あたしはその姿から目を背けて。


「言えるわけ無いじゃない」


 まるで自分も悪事に加担するかのような思いに苛まれながら、返事をした。


「……ありがとう。やっぱりあなただけ。私の気持ちを分かってくれるのは」


 柚歌の言葉に偽りは無い。心からあたしを必要としてくれている。

 でも、それは駄目だ。あなたは、あたしの敵だ。


「もう、絶対に……、何が何でもあなたから皆を護ってみせる! こんなに苦しいのはもういや! お願い、柚歌。お願いだから……」


 そしてあたしも柚歌と同じように俯き。


「もう、やめて……」


 下唇を噛み締め、涙をぽとぽとと落として叶わぬ願いを口にした。

 あたしの言葉に何を感じ取ったのだろう。柚歌は急によそよそしく両手を揃えて。


「あたしからもお願いするわ」


 泣き顔を、無理やり笑顔に変えた悲しい表情で、あたしのことを見つめていた。

 そんな顔、ずるい。


 そして胸が詰まって、何も言えなくなってしまったあたしに、


「お願いだから、あなたがあの子達を護って」


 柚歌は、深く頭を下げた。


「……どうか、お願いします」


 調光パネルを覆い尽くす黒煙が作った暗闇に、木々の葉をざわつかせる乾いた風が吹く。

 そんな中、あたしは頭を垂れ続ける女性を、その弱々しく震える肩を。


 いつまでも見つめ続けていた。




 ~´∀`~´∀`~´∀`~




 まるで寝ずに書き続けた台本は、ようやく前半を終え。

 挑む後半戦も、オチも見えないまま、みんなの希望をパズルのようにはめ込み続ける。


「すでに、何の劇だかわけわからん」


 俺のつぶやきに、こたえる者もいない放課後の教室内。

 みんな好き勝手なものを楽しそうに作ってるけど。


「……そしてお前らは、使うかどうかもわからんものをなぜ作る」


 台本出来てねえのに。

 何のつもりなんだお前ら。


 ちょっと休憩のつもりで顔をあげたら。

 モチベーションは駄々下がり。


 ため息をつく俺に、息継ぎもなくしゃべるからバサロと呼んでいる小野君が声をかけて来た。


「いやあまいったぜ好きなもん書ける事がこんなに幸せなんてな! もう十シーン分の背景書き割り作ったんだけどこれがどれもいい出来でさ、ヤバいくらいなんだけど保坂どれが好き?」

「……昨日、一睡もしてねえんだ。静か目に頼む」


 こいつは日によって有害だ。


 でも、俺の拒絶を意にも介さず。

 バサロは書き割りの写真を押しつけて来た。


「これとこれとこれは使う。後はいらん」

「まじかお目が高いなお前は! そうその三つが我ながら神作品なんだよこれが! 一つ目のコンセプトは調和と破壊! そっちのはピーマンが食べれない女子中学生! 最後の一つが……」

「いいから。台本書かせてくれよ」


 あからさまな拒絶に。

 肩をすくめたバサロだが。


 こいつ、まだ絡んできやがる。


「おいおい、文化祭なんだぜ? 楽しまなきゃ損だろ?」

「俺は前回も今回も苦しいばっかりだ」

「つまんねえ男だな。恋と告白のビッグチャンスだってのに」

「今は恋も告白もいらねえ。睡眠時間と糖分が欲しい」

「見ろよあれ。告白用にプレゼントはいかがですかとか言って、夢ーみんが家の行商みてえなことやってる」


 バサロがあごで示す先。

 夢野さんが、何かのカタログをみんなに見せてるけど。


 ああ、たしか実家は宝石商だったよな。

 高校生に買わせるなそんなもん。


 しかし、プレゼントか。

 そういや、俺は秋乃にちょいちょいなにかあげてるけど。


 あいつから貰ったこと、ほとんどねえ。


 そんな懸案事項を植え付けて。

 バサロが、まだまだ描くぜとか息巻きながら去っていくと。


 代わりに顔を出したのは。


「が、頑張ってる立哉君にプレゼント……」


 タイムリーなことを言うこいつは。

 舞浜まいはま秋乃あきの


 でも、お前のその手が。

 気になってしょうがない。


「なんだその絆創膏まみれの手」

「な、慣れない料理して切りまくった……」

「料理?」

「ケ、ケーキ作って来たんだよ?」


 俺が欲していた糖分。

 いやそれよりも。

 傷だらけになってまで作ってくれたケーキなんて飛び上がるほどうれしちょっと待とうか。


「なんでケーキで指切るんだお前」

「な、生クリームにイチゴを刻んで混ぜてみた……」


 おお、なるほど。

 ピンクのイチゴクリームか。


 ドキドキするが、そんな感情はおくびにも出すまい。


「ごほん。……じゃ、じゃあ、貰おうかな?」

「はいどうぞ」


 そして秋乃がサーブしてくれたショートケーキ。

 俺を応援するために作ったショートケーキ。


 嬉しさを噛み締めながら目にしたそれは。

 想像とはちょっぴり違って、ピンク色していると思っていた生クリームが。



 赤黒い。



「うはははははははははははは!!! マーキーズか!!!」



 食えるわけあるか!

 指から流れた血が混ざっとる!!!


 そう突っ込もうと思ったが。

 どうやら、ネタじゃなかったらしい。


 俺の笑い声を聞いて。

 秋乃は、しゅんと肩を落としちまった。


「ああ、違う違う。変じゃねえよ。それどころか、すごくいい出来だ」

「だったら、なんで笑ったの?」

「ちょうど思ってたからだ、甘いもん欲しいなって。考えた通りのものが出て来て思わず笑っちまったんだ」

「そ、それならいいけど……」


 危ない危ない。

 せいぜい褒めてやらねえと。


 俺がフォークを握ると、秋乃は言い訳と合わせてケーキの説明を始める。


 俺に必要そうなものを込めたとか。

 嬉しいこと言ってくれるじゃないか。


「では早速。……うん! うま…………」


 い。


 その一文字が出てこない。

 それほどまでにポイズンテイスト。

 そして薄れていく意識。


 この秋何度目になるのだろう。

 俺は机に崩れ落ちて。

 ケーキを顔で食べることになった。



 ……ああ、間違いない。

 俺は、糖分の他に。

 睡眠も欲していたんだが。



 お前。



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