くつやの日


 ~ 九月二十八日(火)

     くつやの日 ~

 ※黄絹幼婦こうけんようふ

  ぴったり一致。




 磁力を当てない限り、地球人の知能の範疇では変形するはずがないルナマテリア。タートルタイプの足のように、ルナマテリアがなにかの原理で流動的に変形できることは知っているはずなのに、その知識が追いつかない。

 全長百メーター近い巨体がゆっくりと立ち上がる姿を見つめていた俺は、気付けばMFAを操って近付いていた。


「剣! 近づきすぎよ!」

「でもさ、理屈が分からなくて……。それにあれだけゆっくり立つんだから動きも遅いんじゃね?」

「あんたのあほ加減、計り知れないわね。あれが一歩踏み出してパンチすれば届くような距離じゃない」

「にーは、はかりしれないの?」


 タッキーに抱きかかえられたちびらびが酷いことを言うが、なんか女性に主導権を握られる生活を送ることになりそうだな、俺。……まあ、悪くないけど。

 しかしなるほど、歩幅か。立ち上がれば百メートルにも達するほどの巨体、その股下を四十メートルとするならば、七十メートル以上もたったの一歩で詰め寄ることが出来る。さすがタッキー、こと戦いについては頼りになる。そしてちびらび、お前にはタッキーの言葉を覚えないよう後でお説教だ。


「お前、さすがにあれは操れないよな」

「でかいかんね。でも、できるよ?」

「まじか!?」

「一分くらい操ったら、ちびらび、死んじゃうかもしんないけど」

「すまん絶対やるんじゃねえぞ?」


 そう言えば、ちょうちょちゃんも憔悴してたっけ。頬がこけていたような気がするんだが、度を過ぎて力を使うとあんな感じになっちまうんだ。迂闊なことは言わないようにしよう。

 

「剣、目のところ、気付いてる?」

「もちろん。だから操れるんじゃないかと思ったんだ」

「なんかこれ見よがしだからワナって気もするんだけど……」


 左側面を俺達に向けるミノタウロスの左の目、瞳に当たる部分に赤いものが見える。望遠カメラで確認したが間違いない。

 あれは、マーキーズだ。

 例えワナだと分かっていても、他にどうすることもできない。タッキーと俺は、最大加速でマーキーズに向かう。そして、剣につけては正確無比。加速でも勝るタッキーの機体がマーキーズへその黒刀を振るうと……。


「え? 外した?」


 ミノタウロスの顔面に激しい火花と金属音を残して上空へ抜けていくタッキーの背後、マーキーズは未だ健在だ。何が起こったのか。俺も白銀の剣を構えつつ、軌道を丁寧に調整して剣を振るってみたが。


「掠りもしねえ! というか、これは……」


 俺は体勢を入れ替え、進行方向へ向けてロケットブースターを噴かしてミノタウロスの上空五十メートルあたりで機体を停止させると、傍に慌てて寄ってきたタッキーに声をかけた。


「俺達、このデカさに騙されてたんだ!」


 今も、恐らく離れて見ている人にとってはミノタウロスの腕がゆっくり上がっていくのを感じているだろう。だが、こうして目の前で見ると、俺達を追い払うために持ち上がるこいつの腕は。


「なにあれ、すごい速度で迫ってくるじゃない。さっきも、顔がもの凄い速度で避けたんだけど」


 そう、サイズのせいで俺達は錯覚に陥っていたんだ。


「しょうがないわね。あの顔に張り付いて、確実に壊しましょ」

「お、おう」


 迫り来る左腕を確認した上で、それでもまだ多少の時間的余裕を感じてアタックを敢行するタッキー。そうね、タッキーらしいや。じゃあ俺は俺らしく、その最愛の人の背中を護ろうと、腕の方へ向きを変える。


 だが。


「タ……、タッキーーーーー!」


 俺達は、再びこのサイズによる錯覚に騙された。つまり、巨大すぎる腕がどこまで持ち上がっているのか把握できていなかったのだ。さっきはまだ、肘の高さまでしか来ていなかった手が、既に目の前に迫っていた。

 秒間数十メートルで迫りくる巨大な手は暴風を生み出して俺たちを翻弄する。俺に出来ることと言えば、すべてのフローティングポイントをタッキーとちびらびの正面にまわして二人を護ることだけ。

 そして、金属がルナマテリアと衝突する耳障りな音が聞こえたその直後、うるさいハエを追い払うかのようなミノタウロスの動きが止むと、ずいぶん遠くまで暴風で吹き飛ばされていたタッキーが悲痛な声をあげる。


『ちびらびちゃん!』


 あいつ、ちびらびのこと落としたのか!?

 慌ててセンサーに目を走らせると、意外な所に温度反応。


「お前……、よくそこに張り付けたな」

「これ壊せば止まる!? ねえ、にー! これ壊していい!?」


 俺も遠くまで吹き飛ばされているから、ミノタウロスの左の瞳、巨大なマーキーズに張り付いているちびらびの声は届かない。でも、望遠カメラで見る口の動き。ちびらびは、マーキーズを破壊しようとしているんだ。

 それに気付いたのか、ミノタウロスの手がちびらびに迫る。俺は、散々使わないとごねていた兵器を、迷うことなく発動させた。


「俺は! あいつを護ると誓ったんだ!!!」


 途端にバキリと空間が軋む音が響いて、俺の機体すべてのパーツの後方に赤い宝石が翼のように生まれると、即座に俺はみんなの想いを『速度』に変換する。だが、ラスト・ノーションを使うには距離が近すぎる。俺は三分の一のマーキーズを加速に使って三分の一の力で減速し、まるで瞬間移動のように迫る手の平の前に姿を現すと。


「止めてみせるっ!」


 残りの全てを使って、乳白色の破壊不能へ突撃した。


 耳をつんざく破壊音。十二枚、さっきの攻撃で破壊されていないフローティングポイントをすべて正面に展開した体当たり。

 その効果も代償も分からぬまま落下する俺の耳に、今、確かにマーキーズが破壊された音が聞こえて来た。

 ぐるぐると回る視界の中。ちびらびと二人、黒刀を振り下ろした姿勢のタッキーが慌てて俺に向きを変える。

 ああ、やったんだな。俺たちは、こいつを倒せたんだな。左腕を高く跳ね上げたままのミノタウロスの巨体がぐらりと揺れる。これが倒れたら、地下何階層まで破壊されるんだろう。

 そして、ちびらびを抱いたまま、俺を抱きしめて捕まえてくれたタッキーの泣き声の向こう。倒れながら体の向きを変えたミノタウロスの顔。


 ……その、が。

 俺たちを見つめた。


「タッキー! ちびらび!」


 お前達だけは護ってみせる。

 最期にそう願いながら二人を抱きしめると、途方も無い衝撃を感じた。


 俺の意識は、そこで途絶えたのだった。




 ~´∀`~´∀`~´∀`~




 ひとまず台本は完成した。


 めちゃくちゃなストーリーだけど。

 みんなの希望を余すことなく盛り込んで。


 そこに笑いあり、涙あり。

 我ながら素晴らしい作品になったと自負している。


 でも、そんな自信作は。

 みんなにはまだ内緒だ。


 こういうのは締め切りギリギリで出さないと。

 延々希望を言われて。

 修正作業を繰り返すことになる。



 そう。

 繰り返すことになるんだよ。



「なぜ皆に渡した……」

「こ、これでいいかどうか聞かないと……、ね?」


 みんなの携帯に。

 俺の作品を勝手に送り付けたこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 台本を読んで盛り上がるみんなからの。

 変更希望をメモし続けているこいつだが。


 それをまるっと押し付けて逃げるんだよな、お前。

 ハンカチ落としの鬼か。


 教室の隅の隅にある自分の席から。

 教室の真ん中でみんなに囲まれる秋乃の姿を、呆れのため息とともに見つめていると。


「あっは! こりゃ修正どころか、一から書き直しだね!」


 騒ぎの輪から抜け出してきた王子くんが。

 楽しそうに話しかけて来た。


 でも、俺の表情を見たせいだろう。

 トーンをぐっとやわらげて。


「そんな顔するぐらいだったら、隠しておいたらいいのに」

「俺は、隠しといたんだ」


 そんな言葉ですべてを悟ると。

 ムッとする俺の肩に。

 同情をたっぷり詰め込んだ左手を優しく乗せてくれた。



 ……いまだに続く大騒ぎ。

 いや、その輪は教室すべてに広がって。


 もはや、修正を願っていない人間は。

 教室内で二人だけ。


「あはは……。こりゃ、大変そうだ」

「王子くんは、真っ先に希望をねじ込むもんだと思ってたけど」

「あっは! しないしない! 役者が希望だしてたらきりがないからね!」


 なるほど、そういうものなのか。

 でも、『しない』ってことは……。


「じゃあ、言わないってだけで、希望はあるんだ」

「まあね」

「どんなの?」

「ラブロマンス!」


 そんな甘い言葉とは裏腹に。

 やんちゃに親指を立てた拳を突き出してくる王子くん。


 でも、王子くんはいつもお姫様と恋模様を演じてるじゃないか。

 こんなドタバタ劇でわざわざやらなくてもいいじゃない。


 それに。


「ラブロマンスやるとしてさ。それを演じるの、俺とあいつなんだ。勘弁してくれ」

「なんで嫌がるのさ。秋乃ちゃんが相手だから恥ずかしい?」


 う。

 鋭いな、さすがは女の子。

 でもここはごまかしの一手だ。


「いや、相手が誰でも変わらない」

「ボクでも?」

「その場合は違った意味で勘弁してくれ」

「違った意味って?」

「次の日から、下駄箱がラブレターで一杯になるからな」

「え? どうして急にモテるようになるの?」

「差出人は全部王子くんファン。中身は全部カッターの替え刃」

「あははははは…………」


 ボクの方こそ、保坂ファンからいじめられると。

 あり得なさ過ぎて逆に辛いフォローを入れる王子くん。


 そんな彼女の元に。

 秋乃が、集計結果を握りしめて駆け寄ってきた。


「に、西野さんへの希望が多い……」

「え? どんな希望があがってるの?」

「王子くんを主役にしよう。王子くんの女性役が見たい。王子は王子くん以外ありえない。王子くんにシンデレラになってもらいたい」

「いまさら配役希望かよ」

「あっは! 全部を同時に叶えるのは無理があるね!」


 我がクラスに潜む王子くんファン。

 彼ら、彼女らの希望はまだ続く。


「王子くんに、ヒロインになってもらいたい」

「それはだめだね、僕は男性役しかやらないし。それにヒロインは秋乃ちゃんがやらないと。だってお相手は……」


 そして、まるで王子くんの言葉を遮るように。

 秋乃が最後の要望を読み上げた。


「王道、身分違いのラブロマンス」

「おお、それはいいな。王子くんの希望も叶うし」

「…………西野さん、立哉君とラブロマンスするのが希望なの?」

「希望っ!? ボ、ボク、希望なんて言ってないよ!?」

「照れなくていいじゃねえか」


 どうしたんだろ。

 王子くん、顔真っ赤にしてわたわたしてるけど。


「なに慌ててるんだよ。さっき自分で言ってたろ?」

「あ、ああ! そそそそうだよね! でもボクと保坂ちゃんとか、無理だから!」


 まあな。

 大根役者が相手じゃ、王子くんの素晴らしい演技とバランスが取れない。


 でも、秋乃は強引にヒロイン役を王子くんに押し付けようと。

 衣装係の元へ駆けていく。


「早速、衣装合わせ……。ええと、王子様に見初められるシンデレラ用の衣装は……」

「いやいや、待とうか秋乃ちゃん! 勝手にヒロイン替えたりしたらだめだよ!」

「あった。……はい、座って?」


 そう言いながら。

 秋乃が差し出したガラスの靴。


 水の色と逢いたい想いをたっぷりと湛えた魔法の靴を。

 足元に置かれた、恋に恋する夢見る少女は。


 急に口をつぐむと。

 まるで操られるように。

 導かれるままに、足を靴へと滑り込ませた。


 ……ずっと憧れていた華やかなひと時。

 たった一晩の淡い夢。


 そんな夢が真実になる境界線。

 越える一歩目を踏み出した気持ちで足を下ろす。


 肌に触れた冷たいガラス。

 あなたを待っていたのと。

 語り掛けられたシンデレラ。


 幸せへの切符を手に入れた。

 彼女の名前は。

 



 俺。




「「「わはははははははははははは!!!」」」

「……なぜこんな面白いもん作った」

「だ、台本制作に可能性を持たせるために……」

「まあ、王子くんは王子役に決まってるけどさ」

「当然」


 そう言って頷く秋乃の目。

 本気にしか感じない。


「そしてこちらがシンデレラの衣装」


 よし、決めた。

 当日は、南半球へ高飛びだ。

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