ローズマリーのせい


 ~ 九月二十日(月祝) ~

 ローズマリーの花言葉 思い出




 天宮あまみやさえ子が月の流体層で発見したルナマテリアに秘められた驚異のパワー、すなわち磁力により形状を変える性質と傷一つつかない異常な硬度。

 これを地球へ輸出することで金銭的に国連の庇護から脱するよう努力するという宣言をさえ子は行い、それまでは内政干渉すら行っていた国連は国連軍にのみ影響を持つという健全な形へ移行した。

 すると日本からは月面への移住者が増え、輸出ばかりでなく多くの無重力産業が生まれ、宣言から三年もすると月面都市「九十九つくも」は密閉ドーム三十四機、居住可能面積五千平方キロ、人口二百万人の大都市へと変貌を遂げ、もはや一つの国と呼べるほどに成長したのだ。


 ――さて。結婚し子供を得てもなお、政治でも月面産業でも精力的に動き続けたさえ子。彼女と九十九の歴史を語る際、謎とされる点が三つある。


 一つ目。なぜ日本政府は、月面都市への移民を請け負ったのか。外敵のリスクがある地へ、偽りの宣伝文句を駆使してまでどうして優秀な人材を送り込んだのか。

 二つ目。英雄と謳われ、月面都市各地に銅像まで作られ、地球上でも各地で暴力からの解放運動の旗印とされるようになった女性、天宮さえ子。彼女は、なぜ世界中に演説できるほどの権利を有した時、世界各地へ月面都市への移住を促さなかったのか。世界に知られると終わってしまう、そんな何かを隠しているかのような行動を取ったのはなぜなのか。

 最後のひとつは、天宮さえ子の失踪について。軍と共に開口部近くの激戦区へ視察に出た彼女は、帰還時刻になっても戻らず、三才の娘を残したまま、それきりどこかへ消えてしまった。失踪直前には、二十年ぶりに最前線に出てきた老練な羅弥兎人との接触が確認されており、そのせいで様々な憶測が飛び交った。

 国連月面軍と九十九は総力を挙げてこの事態の調査をした。だが、二人の行方はまったく分からなかった。


 …………三つの謎。それらの答えは、最初の調査隊失踪以降、日本政府がひた隠しにしてきたファイルに挟まれた二枚の顔写真に隠されている。それは天宮さえ子が姿を消した日から二十年以上も前に撮影されたものだ。

 一枚は、消息不明になった一千二十四人の調査隊のメンバー最年少。恋人だろうか、年端の変わらない女性に抱き着かれて照れ笑いを浮かべる十五歳の青年の顔。もう一枚は、国連軍により撮影された、最初に人類と交戦した羅弥兎人の顔。

 間違いなくそれは、同一人物の写真だった。


 この状況を理解するためには、調査隊が洞窟最奥部で発見したものを知らなければならない。それは、日本人にとって「在るべき」「護るべき」存在であり、世界のほとんどにとっては「存在を否定すべき」「秘密裏に葬るべき」ものだった。


 魂を管理し。

 転生をつかさどる者。



 すなわち。

 『神』。



 調査隊からの報告に二の足を踏んだ日本政府とは対照的に、国連が出した答えは素早いものだった。調査隊の護衛目的、開口部外のキャンプで待機していた軍に命じ、調査隊もろとも極秘裏に排除するために突入させたのだ。

 これに対して、自分を護ろうと立ち上がった調査隊の者達へ、神は戦う力を与える。カメのような仲間を与え、重力を『寄せて』洞窟や周辺を無重力にした。……そして、彼らの身体を頑強に作り変え、遥か彼方まで見通すことができる赤い瞳を与えたのだ。

 こうして羅弥兎人と、そのルーツに「気付かないフリ」をする日本政府、その日本政府だけの息がかかった月面都市とが協力し、国連軍を排除しようとする図柄が出来上がり、現在に至るのだが、それと並行して、もう一つの物語がこの地で紡ぎ出されていた。


 調査隊の事故。最高機密とされた羅弥兎人の写真。それを偶然目にした十五才の少女は、すぐに月面へと赴き、最初の九十九の住人となった。

 それから二十年。波乱万丈な人生を経て、結婚し、子供を得てもなお約束を貫き通し、そしてとうとう幸せに幕を下ろしたのである。


 ……壮大な恋物語から数えて二十年。今再びこの月面で、種族を超えた愛が生まれるのか。

 月の民、地球人、そして、そのどちらの性質も持つ青年。


 月の光は、今も闇夜の中を彷徨う三人に、優しく微笑み続けていた。




 ~´∀`~´∀`~´∀`~




「同窓会っしょ!!」

「バッドバッド!」

「あはは……。違うよ?」

「でも~。ここに来ると~。なんかそんな感じがする~?」


 二十歳前後の女性が五人。

 陽だまりに机を寄せて座り込むと。

 途端に声のトーンが一つあがる。


 椎名愛の誘いで集まった同級生たちが。

 それじゃ早速とばかりに近況を報告し合ううち。


 気付けば、二年前と同じような話題ばかりになっていた。


 ちょっと長かった連休明け。

 制服じゃないのが不思議なくらい。


 あの日と同じ今日を楽しむ誰もが。

 そのうち、扉を開けて先生が入ってくるような錯覚を抱いていたら……。


「こらお前ら。勝手に生徒の机を使うな」

「グッドグッド! 来るんじゃないかなーって思ってたところ!」

「おお! 先生老けたっしょ!」

「老けた~」

「そ、そんなことないよ!?」

「…………神尾以外は全員立っとれ」

「バッドバッド! あたしは何にも言ってないよ!?」


 いつもとは違うはずなのに。

 いつも通りに笑う五人の前。


 先生は、分厚いファイルをどさりと下ろす。


「おお! こんだけ連絡すれば、軽く一万人くらい署名集まるっしょ!」

「あはは……。そんなに簡単じゃないよ……」

「じゃあ~。あたしと椎名っちは名簿使う~」

「あたしはもう拡散しまくってるっしょ! いいんちょも!」

「知り合い通した方が確実に集まるからね……」


 文化祭前ということで。

 資材やら衣装やら資料やら。

 雑多なものが散乱する教室内。


 そんな光景も、彼女たちのモチベーションをぐいっと持ち上げる。


「生徒指導室に作業場所を作ってある。何度も言わせるな、それはお前たちの机じゃない」

「いいっしょ! これ、妹の席だし!」

「これ~。弟の~」

「グッドグッド! これ、あたしの落書き書いてあるから間違いなくあたしの!」

「三人はバケツ持って廊下に出ろ」


 相変わらずねと、かつてよりも近い距離でからかわれながら。

 先生はため息と共に頬を掻く。


 だが、その頬はどこか柔らかく。

 あたたかな秋の日差しに、目尻に寄った笑い皺をうまく隠してギリギリ威厳を保つのだった。


「……では、担当は決まったな。時間はないが、なんとか頼む」

「なに言ってるっしょ? ひとり、担当決まってないっしょ」

「ずっと~。お菓子食べてるのが~。変わって無さ過ぎて忘れてた~」

「いやいや! 変わったっしょ! 一番!」

「あはは……。一緒に、知り合いに連絡する?」


 全員が見つめる先。

 麩菓子をもぐもぐ齧り続ける女性が一人。


 軽く染めたゆるふわロング髪を、ちょっと大人びたオルチャンヘアにして。

 そこにローズマリーをずぶずぶと挿して。

 紫の小花をこれでもかと咲かせている彼女は。


 手についたべとべとを舐めながら。


「六本木君と香澄ちゃんにぶん投……、お願い済みなの」


 そう言って。

 麩菓子の大袋から五本目を抜いて齧りだす。


「あはは……。相変わらずだ……」

「だから! 変わったっしょ! 太ったっしょ!」

「……ひどいの。もまれ強くなったって言って欲しいの」

「あはは……。そっちの方がひどくない?」

「でも~。懐かしい感じ~? 仕事してなくても、自然~」

「それじゃ何のために来たのか分かんないっしょ!」


 文句をつけながらも。

 ただそこに、無表情な彼女が座っているだけで、なぜか和む。


 気付けば誰もが笑い出す。

 それでこそ我がクラスのマスコット。


「そんじゃ、保護者に仕事させるっしょ」

「あはは……。やっぱり、そうなるんだ……」

「グッドグッド! でも、渡ちゃんと六本木ちゃんに丸投げしたのよね? 秋山ちゃんには相談しないの?」

「しないの」


 昔馴染みのやり取りだ。

 誰もがみんな分かってる。


 例えば、あいつは使えないとか。

 あいつは役に立たないとか。


 そんな、ひどい落ちに苦笑いすることだろうと。

 誰もが思った次の瞬間。


「道久君、うちのおじいちゃんに岸壁から投げ落とされて入院中」


 斜め上を行く答えを聞いて。

 かつてと同じように。


 校外まで響き渡るほどの悲鳴を上げたのだった。




「…………仕事をしないのだったら、立っとれ」

「分かったの。そう連絡しとくの」


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