イタリア料理の日
~ 九月十七日(金)
イタリア料理の日 ~
※
困難の中に活路を見出す
俺とタッキーは、報告書を提出したところでさっさと寮へ帰るように言い渡された。新兵器開発部の建物と市街とを隔てる大きな公園の中央を走る車道を抜け、プロペラのような音を響かせるルナマテリアエンジンの自動車が行き交う大通りを、いつもと違った重たい空気を感じながら、俺たちは肩を並べて歩いてく。
俺の左を歩くタッキーは、不機嫌で、そしてどこか寂しそうに、両手で下げたショルダーバッグを膝に当てながらとぼとぼと進む。
こういう時の掴みは天気の話。でも悲しいかな、月面都市に天気は無い。
「ルナマテリアの音、今日は寂しく聞こえる」
ぽつりとつぶやいたタッキーが、俺たちをノロノロと追い抜いて行った車を見送りながら、寮の前で足を止めた。
――ルナマテリア。月には存在しない、強力な『磁力』の影響で形状を変化させる不思議な鉱石。個体ごとに決まった法則で変化するこの素材をパズルの得意な学者が組み合わせることによって、磁力のオンオフで永久機関とも呼べるエンジンを作り出すことができる。
かつて、貧困に窮していた月を一大強国にのし上げた輸出品は、しかし地球上では磁力が至る所に存在するせいで事故が絶えないそうだ。その点、月では磁力に対して厳しい規制が敷かれ、こうしてその恩恵を余すことなく得ることができるというわけだ。
「なんでも、部長はルナマテリアに触れただけで、その石がどう形を変えるか分かるらしいぞ?」
「
「…………あ。俺、また騙された?」
「そうよ。アイスの当たりを見分ける方法教わったーとか言って、いくつもアイス買ってきて。食べきれなくて泣いたの忘れたの?」
「あれ、まだ部屋に残ってる」
ようやく、くすくすと笑ってくれたタッキーだが、もひとつびっくりさせる、いつかは言わなきゃと思ってるネタをここでぶち込むべきだろうか。丁度、アイスの話も出たことだし。可愛いあいつらのおしゃれデザートとして役に立ってるってことでナチュラルに説明できるような気が……。
「ちょっと剣! あれ!」
「へ?」
折角覚悟を決めたのに。それをぽっきり折って余りある剣幕でタッキーが指差す先。そこにはビルに設置された巨大な液晶モニターがあったんだが、よく見れば。
「うわなんだあれ!? なんかエロい!」
ごくごく見慣れた、服のコマーシャル映像。でも、女優さんの胸と股間に服の上から肌色のモザイクがかけられている。
「あれ! ミスチスタフの仕業よ!」
「はあ? ……あ、ほんとだ。モザイク模様書いた団扇当ててやがる」
「早くそばにいる羅弥兎人をつかまえないと!」
「MFAも無しで捕まえる気か!?」
「そうよ! 軍の人に掴まったら、また酷いことされる!」
……今までも、何人かの羅弥兎人を捕まえて来た俺たちは、いたずらっ子だが羅弥兎人との共存を日々ほのめかす部長を信じて彼らを引き渡してきた。でも、ひょっとしたら軍と同じようなことしてるんじゃないだろうか。そんな不安が頭をよぎったが、こいつのせいで考える時間は与えてもらえなかった。
「いた! ようし、ふん縛るわよ!」
「ちょっとまて! 武器もなしに捕まえられるわけが……」
「アイスの当たりの見分け方! 教えて欲しい人、このゆびとーまれ!」
「はいはいはいはいはーい!!!」
いや、そんなのに引っかかる奴は月面上で俺一人。そう思っていた俺に同胞が現れた。暗闇の中、一瞬逃げるそぶりを見せたオレンジ髪をぱっつんに切り揃えた女の子が、タッキーに向かって全力ダッシュ。指と言わず、その控えめな胸に飛び込んで来た。
「ぐほっ!?」
「タッキー!」
激しい戦闘にも生身で耐えうる強靭な羅弥兎人の突撃を食らってごろごろと地面を転がるタッキーは、それでも羅弥兎人を両手でかばっているあたりほんと尊敬できる奴だ。
……それよりも。
「お前……、ちびらびじゃないか」
「あ! おじちゃんだ! そして綺麗なお姉ちゃん!」
「差別だ!」
「いてててて……。そうよ? おにいって呼んであげないと、剣は、すぐ泣くわよ?」
「今こそ泣きそうです桜子様」
「あはははははは!!! にー? にーって、変な名前!」
明らかに悪気ゼロ。昼間の惨事や、実際の戦場を見たことがある俺たちに、やはりこいつが悪さをするような子には思えない。
「……なあ、ちびらび。晩御飯食べに来るか?」
「なにそれ食べたい! にー、なんでそんなにいい人!?」
「誘っといてなんだが、お前、やっすいな」
「ちょっと剣! 六才の子に何する気!?」
「話を聞きたくてな。……タッキーも来てよ」
「…………ちょっと剣。十八歳のあたしに何する気?」
あわあわ言い訳する俺は、大笑いする二人を伴って寮へ入る。まあ、寮と言ってもごく普通のマンションな訳なんだが……。
いや。一点だけ、普通じゃないところがあった。
「タッキー。いつもの座右の銘」
「悪・即・殺す?」
「それをちょっと抑えめにしながら入って下さい」
「……エロいものが転がってるって言いたいの?」
「エロくは無いんだけどね」
俺の大切な友達が殺されるかもしれん。大好きな女の子を部屋に招き入れる男子とはちょっと違う感情を抱きつつ、俺は明かりがつきっぱなしの部屋へ進むと。
「うーー! うーー!」
「んぱ……。んぱ?」
「きゅ! きゅきゅきゅーーーー!」
ダイニングテーブルの上に置いたお菓子籠。それを目指して三神合体でテーブルによちよちと近付こうとしていたこいつら。
「…………通報しないで下さい」
法律で禁じられている、ミスチスタフの飼育。範を示すべき立場の軍人のくせに、こいつらに名前まで付けてる俺だった。
「頭痛い……。なんで捕まえてんのよ三匹も」
「捕まえたんじゃない、勝手についてきたんだ。言うこともちゃんと聞くし、可愛い連中なんだぞ?」
「ついてきたって、言うこと聞くって。あんた羅弥兎人なの?」
しょうがないだろ、ほんとなんだから。でも、さすがは本物の羅弥兎人。ちびらびが命じると、三匹のミスチスタフは組体操の扇のポーズを披露してくれた。
「で? 何を聞かせてくれるって?」
「ウサギの耳の先に宝石をぶら下げているちょうちんアンコウみたいなのが『あんちゃん』、横長のリュックみたいに宝石を背負ってんぱんぱ鳴くのが『んぱ子』、宝石を胸に抱いているせいでリスがエサをかじっているように見えるのが『りすぼん』」
「聞いてねえ」
「どうしてちびらびが悪いことばっかりするのか聞こうと思って」
ああなるほどねと頷いたタッキーが、ちびらびを手招きすると。嬉しそうに抱き着いたちびらびを真似して、三匹がタッキーの足にぎゅっとしがみつく。
「…………お嬢様。鼻の下が」
「ううううるさいわね! いいからあんたはご飯でも作ってきなさいよ!」
「へいへい」
「何食べさせてくれるのよ」
「高級イタリアン。誰もがこれを食ったらほっぺを指差して叫ぶのさ」
「ボーノ?」
「ちょっと違う。……マーボ!」
「とっとと行け!」
「あはははは! とっとと行け! にー!」
俺は早速豆腐を軽く茹でてしっかり水切りしてから中華鍋を火にかける。飯なんか食えないくせに、どうもこいつかお気に入りの三匹と約束した麻婆豆腐をいつものようにドール用のお皿にちんまりよそって、テーブルに並べて行った。
その間にも、四人の敵対勢力にメロメロにされた情報部屈指のエースオペレーターが鼻の下を伸ばしきっていたんだが。
「いつまでそうしてる気? 冷めちゃうよ」
「ああ、はいはい。……って! この子達も食べるの!?」
「俺が食べるの真似するのが好きなんだよ。もっとも、マーボの時は掃除が大変なんだが」
俺の説明に首をかしげていたタッキーが、悲鳴を上げたのは頂きますの直後。こいつら、マーボを箸でぺんぺん叩くもんだから。あっという間に大惨事。
「きゃはははは! にー! これ、楽しい!」
「そういうものじゃないんだがな。お前はちゃんと食え」
「きゃはははは! 叱られるの嬉しい! ちびらび、パパとママいないから!」
「いないって……、お前、まさか戦災孤児なのか?」
「うん! こじーんってとこに住んでるの!」
慌ててみんなにティッシュでエプロンを作ってあげていたタッキー。それが、ちびらびの服にナフキンを当ててあげていた時にそんな言葉を聞いて急に涙ぐむ。
……さっきのことを思い出したんだろう。ちびらびに、サキのことを話すつもりだろうか。俺が固唾を飲んで見守っていると、驚くようなことをこいつは言い出した。
「…………ちびらびちゃん。ここで、お姉ちゃんたちと暮らす?」
「なに言ってんだよタッキー!?」
ミスチスタフでさえ重罪だ。それを、羅弥兎人と一緒に暮らすだと?
でも、タッキーの気持ちも分かる。俺も、ちびらびをこのまま帰す訳にはいかないと感じている。
「え? ……せんせーに聞いてみないと、分かんない」
「先生?」
「うん! せんせーはね、人気者なの! だからちびらび、せんせーの真似してイタズラするんだ!」
先生。孤児院の先生なのか、はたまた羅弥兎人の指揮官みたいなものか?
とは言えなぜだろう。イタズラって単語を聞いたせいで一人の顔しか思い浮かばないんだが。あの人なら、羅弥兎人の孤児院作っててもおかしくないような気がする。
「……イタズラはだめよ、ちびらびちゃん。他の方法で、必ず人気者になれるから」
「ほんと? ……あのね? ちびらび、パパとママ、欲しい!」
「お姉ちゃんだけどね」
「にーだけどな」
タッキーと目配せして、思わず照れ笑い。もちろん俺たちが結婚するわけじゃねえんだが、それでも、この子の親になるって宣言したんだ。
不思議と後悔はない。それどころか、早く戦争を終わらせてこいつと胸を張って外を歩きたいって思える。
……マーボを、ぺちぺちと楽しそうに叩くちびらび。タッキーはそんな子供のオレンジ色の紙を優しくなでながら、俺に振り向いた。
「ミスチスタフに羅弥兎人に。あんたの下にはとんでもないもばっかり集まってくるのね?」
「羅弥兎人をここに住ませるって決めちゃったのはタッキーじゃない」
くすくすと笑う俺を、ちびらびも楽しそうに見つめる。そして、元気な声でこう言うのだった。
「そりゃそうだよ! だって、にー、半分羅弥兎人だもん!」
…………その瞬間。冷たいものが、俺の背筋をゆっくりと降りていった。
~´∀`~´∀`~´∀`~
いつもより早い時刻。
昼飯時に入ってきた愛さんは。
俺の机を見るなり大声を上げた。
「なつかしい!」
懐かしいってなんだ?
このボンベ式のコンロか?
それともこっちのフライパン?
よく分からんが、そこまでかぶりつきで眺められては。
俺としては、返す言葉なんて一つだけ。
「……余った材料だとペペロンチーノぐらいしか作れんが」
「いただきます!」
秋乃と約束していた麻婆豆腐を作る傍ら。
先に出来たペペロンチーノを頬張って、ほっぺを指でぐりぐりとする愛さん。
そんな姿を眺めながら、後から出した麻婆豆腐を一口食べて。
「お、おいし……」
いつものように、ほんとに美味しそうにぽこぽこ口に放り込むのは。
「うはははははははははははは!!! 『ぼ』しかあってねえ!」
ほっぺを指でぐりぐりすんな!
そして今、ちょっとにやっとしたろ。
やっぱ分かっててやってるんだな?
「まったく、緊張感のねえやつだな……」
「ち、ちゃんと考えてる……、よ?」
まあ、二つの問題の内一つの方は。
俺が悪魔召喚したおかげで解決できたんだが。
「バッドバッド! ご飯の時は楽しい話題しなきゃ!」
「まあ、そうだけど」
「で? 何を考えてるって?」
「おい貴様」
きゃははじゃねえよ。
暗い話題なんだって。
「ああ、まさかあれ? 困ってるって話?」
「なぜ愛さんが知ってる。誰から聞いた」
「言うなって言われてるから言わない」
「いうてみいうてみ」
「いやよ。立たされるから」
誰かさんじゃあるまいし。
今時立たせるやつが他にもいるってのか。
「じゃあ、もう聞いてるかもしれねえけど」
「うんうん」
「実は資金の問題と、文化祭が中止になるかもしれねえって問題抱えてる」
口に指を立てながら小声で説明すると。
愛さんは片目だけ閉じて了解の意図を伝えながら。
「前者はどうとでもなるから気にしないでいいわ」
「どうとでも?」
「メカについてはうちが宣伝用に作って。それを学際の間に貸しただけってことにするから」
「まじで?」
「レンタル料は、文化祭までの秋乃ちゃんの技術」
おお。
それはなんと願ったり叶ったり。
「で、後者は。……ガラじゃないけど、一肌脱ぐか」
そう言うと、携帯を取り出した愛さんが。
ぶかぶか眼鏡で俺を見上げた。
「演目があった方が説得材料になるかもね。あたしの台本、どんな感じになった?」
「月面を舞台にした義理と人情のカーチェイスは女子バレー部の愛憎の末に今宵のコテツは血に塗れて」
「…………三行までにとどめておいてね?」
「何の話だ?」
そしてやれやれとつぶやきながら。
どこかへメッセージを送る。
「これで、多分大丈夫じゃないかな」
「えっと……、なんでそこまでしてくれる」
もはや自分のシナリオじゃない。
しかも、メカすら出てこなくなりそうなのに。
愛さんは、にっこり微笑むと。
またあとで来るねと、教室を出て行った。
「まだ安心はできないけど……」
「う、うん。助かった……」
秋乃と目配せをして。
ほっと溜息。
でも、そうすると。
「忘れないうちに、悪魔との契約は破棄しておこう」
萌歌さんに連絡しとかないと。
お金はいらなくなったって。
「まさか、また……」
「うぐ」
「萌歌さん……」
「ああ。危うく王子くんと萌歌さん、二人と付き合わされることになるとこだった」
「ふ、二人とお付き合い!? なにその条件!」
「いや、いつもの冗談で……? 秋乃?」
「ふ、ふけつ……!」
そして、珍しく真っ赤な顔して怒った秋乃に。
フライパンでひっぱたかれて。
おれは久しぶりに。
「…………夜」
気を失っていたらしい……。
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