老人の日


 ~ 九月十五日(水) 老人の日 ~

 ※安車蒲輪あんしゃほりん

  老人をいたわり、手厚くもてなす




 夕焼け空が目に染みる。でも、地球のそれと月の物とでは圧倒的な違いがある。

 まず、あれは空ではない。ドームを覆う調光パネルがオレンジ色に輝いているだけ。そして、地球では太陽が沈む西側の空が赤く染まると聞くが、ここでは全天、同じ茜色で統一されるのだ。

 とは言え、同じ人間だ。この色を浴びた時に思うことは同じ。遊ぶ時間はもうおしまい、お腹が空いた、お家へ帰らなきゃ。


「俺、もう帰りたい」


 さすがに今日はいろいろあって疲れた。しかも朝出る時、あんちゃん、んぱ子、りすぼんと約束したんだ、とっとと帰って麻婆豆腐作ってやらないと。というわけで。


「俺、もう帰りたい」


 もう何度目かの嘆願。その都度タブレットでひっぱたくタッキーが黙って見つめているその先には、俺たちが捕らえた羅弥兎人が、両手両足をがんじがらめに拘束されたまま地面に転がされていた。


 ゲートの傍、空港のような姿をしたドッキングベイを所狭しと行き交う国連月面軍。俺たち開発部と違って誰もが堅っ苦しく仕事をしているんだが、まあ、今はその誠実さが頼もしい。


「けが人とか、出ていないと良いけど」


 そう。タッキーの言う通りだ。被害のあったあたりからは、全ての人が退去していたとは聞いているが、万が一ということもある。しかも、俺たちとあの羅弥兎人で、破壊の限りを尽くしたんだ。戻ってこない品々、思い出の場所、そんなものがどれだけあるんだろう。


「おい! 我らに退去の指示が出た、百五十秒後に出発だ!」


 今の今まで、軍部のお偉いさんと話していた亮ちゃんが戻って来る。いつも悪ふざけばっかしてるからつい忘れてしまいがちだが、亮ちゃんを遠巻きに眺める皆さんがびくびくしてる姿を見ると、その中佐という階級章に畏敬の念を抱かされる。


「ねえ、亮子ちゃん。一つ聞いて良い?」

「手短にしろ」

「あの子は……、どうなるの?」


 タッキーが見つめる先で転がる羅弥兎人は、小学校中学年くらいの少年だ。

 あれだけ破壊の限りを尽くしたというのに、タッキーはこの子すらも護りたいというのか。


「桜子よ。ここは軍隊だ。我は歯に衣着せる気はないが、それでもかまわんか?」

「うん」

「軍部に捕まった羅弥兎人は、攻略の糸口をつかむために実験あるいは解剖される」

「だよね……。ちょっと見てきていい?」

「やれやれ……。別れがつらくなるだけだぞ?」


 階級とか軍規とか、基本無縁な俺たちだ。そんな部隊で過ごしてきたタッキーの発言に亮ちゃんは苦笑いを浮かべると、彼女を伴って羅弥兎人へと近づいていく。


「……そうだ、亮ちゃん」

「なんだ? 桜子を助けたご褒美の飴ならもうないぞ?」

「あれやばいうまかった、また今度頂戴。……ではなく。ちびらびはどうした?」

「みんなの無事を確認したらどこかに消えた。そう言えば、サキをよろしくと言われた気がするが」

「そう、それ! この羅弥兎人、ちびらびの知り合いみたいなこと言ってたろ?」

「それと知ってどうこうできまい。見ろ、これをあの無邪気な子供と同じに扱えると思うか?」


 キープアウトのテープ越し。横たわる羅弥兎人は、虚ろな目でどこか遠くを見つめている。そして惚けていたかと思うと、突然獣のように呻いてもがき出す。

 タッキーは、そんな羅弥兎人の姿を見て下唇を噛み締めながら涙を流している。自分の無力を嘆いているのだろうか。彼の行く末を悲しんでいるのだろうか。


「……洞窟内の羅弥兎人って、みんなあんな感じ?」

「いや? 皆、残忍ではあるが理性的だ」

「じゃあ、こいつだけどうして?」

「そんなことは我には分からん」

「ちびらび連れて来れば落ち着くかな?」

「そんな間にも連れ去られるわ」

「チ…………? ち、ビら……?」

「え? あの子、こっち向いてしゃべってる!?」


 タッキーの声に亮ちゃんと同時に振り向くと、羅弥兎人は、震える瞳を見開いて俺達のことを凝視していた。

 

「おい! ちびらびのこと知ってるのか!?」

「ちび、ちびら……、び……。ごはん、こぼしたとき、はん、ぶんも、わけてくれた……」

「おい! 亮ちゃん! これって……!」


 今までなんで気付かなかったんだろう。相手が羅弥兎人だから、そこが隠れ蓑になっていたのか。

 彼は正常だ。狂気に走ったその理由は……。


「うむ。薬物か」


 震える声で、ちびらびの名を呼び続けるサキくん。たまらずタッキーがテープを乗り越えると、警備に当たっていた軍の人に組み伏せられた。


「サキくん! 誰にやられたの!? サキくん!!」

「サキ……。サキは、漆間サキ……。僕に注射したのはっ!?」


 誰かの陰謀。その決定的証拠が、熱を帯びた爆風と耳をつんざくほどの轟音で掻き消される。漆黒の鉄杭が小さな命を散らせた衝撃的な映像をこれ以上見せるわけにはいかない。俺は狂ったような悲鳴を上げるタッキーの目を手で覆い隠して、凶行に及んだ巨体をにらみつけた。

 軍の制式MFA。射出式のパイルバンカーを撃ったばかりの機体。その影から、射撃の命令を出したであろう男の姿が現れる。


「ったく、余計なこと喋ってんじゃねえよ! ああ、羅弥兎人共は頑丈で面倒だなあおい! こんなの一発撃ったらいくらすると思ってんだ!」


 恰幅という字の上にいやらしい顔を乗せたヨーロッパ系の軍人。俺達にとって、

明らかな『悪』そのものが、大佐の階級章をちらつかせながら俺たちに命じる。


「女狐の私兵どもか……。ブツは受け取った! とっとと失せろ!」


 誰一人、冷たくなった頭で冷静に対応できる者はいなかった。その軍人とMFAが視界からいなくなるまで、俺たちはタッキーの泣き叫ぶ声を耳に、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


 ……そんな俺たちの前には。赤い血だまりしか残されていなかった。




 ~´∀`~´∀`~´∀`~




 朝から始まった職員会議が。

 答えを出せずに右往左往。


 そんな様子が手に取るように伝わって来る、自習を告げられた二時間目。


「なんか、三時間目も自習っぽい~?」

「先生たちだって頑張ってるのよん! 文句言うな!」


 ポンポン振る両手で。

 権力者に逆らおうとする先生たちを応援するきけ子は。


 その足で、パラガスのことを非・応援する。


「いたい~!」


 俺が、もっと冷静だったなら。

 予算が貰えないあたりで済んでいたはずなのに。


 まさか、文化祭まで潰しにかかるとは……。


「ご、ごめんなさい……」

「舞浜ちゃんのせいじゃないだろ~?。何度も謝るな~」

「そうなのよん! それより善後策考えないとね! 保坂ちゃんが!」

「俺かい。……まあ、この際当然ではあるが」


 秋乃とのひそひそ話を。

 その地獄耳で聞きつけたパラガスときけ子。


 二人には、絶対内緒とくぎを刺したおかげで。

 未だ、クラスのみんなに事情は伝わっていない。


「ようし! じゃあ引き続き台本直すぞ!」

「どうやって執事喫茶入れるかって話だったわよね?」

「はいはい! その件に関しちゃ全面的に協力しちゃうわ!」


 シナリオの直し作業で大パニックのこいつら。

 みんなバカだが、優しい連中だからな。

 事情を知ったら、こっちの心配するだろう。


「……相談できねえよな」

「うん……。で、でも、なんとかしないと……」


 自分のせいで大変なことになったと。

 今にも泣き出しそうなこいつは舞浜まいはま秋乃あきの


 でも、こいつも基本は誰かに迷惑をかける事が嫌なわけで。


「で、でも、相談したら、それこそ迷惑……」

「堂々巡りだな。優しいみんなに迷惑かけられねえ」


 だからと言って建設的なアイデアなんてねえ。

 せめて、優しくない上に相談できる相手がいてくれれば。


 そう思っていた俺の前に。

 適任者が顔を出した。


「三時間目も自習だが、どうやら余計なことをしているようだな。……安西、立たせていい権利を渡しておこう。しっかり取り締まれ」

「じゃあ、保坂」


 これにはクラスの連中が一斉に大笑いしたんだが。

 まあ、丁度いい。


 俺は急いで廊下へ出て。

 職員会議に戻ろうとする先生に声をかける。


「……わるい。事情は知ってるし、全部俺のせいだってことも分かってる」

「ん? 何の話か分からんが、我が校の生徒が本件と関わっている事実などどこにもない。お前は何も気にせず自習しておれ」


 言い方ひとつ。

 先生は、俺と秋乃が元凶だってこと分かってやがる。


「そうは言ってもな。なんとか手を貸してえんだが……」

「お前がそう思うなら、勝手に動けばよかろう」

「いや、こうしろとか具体的な指示ねえのかよ?」

「バカもん。学校教育としての文化祭は、生徒の自主性にゆだねられている。大人が手を貸すとすれば、お前達がルールを逸脱せず、必死に行っているのに成果が出ない時だけだ。まずはあがけ」


 えらそうなこと言ってるけどさ。

 現に三時間も雁首並べてどうしたものか、大人たちだけで考えてるんだろ?


 でも。

 たまにだが、そのじじ臭い石頭なとこがかっこいいと思っちまう。


「……じゃあ、乗っかってやるぜ。俺は俺であがく」

「好きにしろ。だが、場合によっては事件に発展しかねん。逐一報告をよこせ」

「ああ、そうする。遠慮なく正しいと思うことをやらせてもらう」

「……いや、待て。やっぱり、何かをする前に報告しろ」


 そう、先生が言い直すことになったきっかけが。

 後ろから駆けてくる。


「…………なんのまねだ」

「お、おもてなし……」


 バニーガールの格好をして。

 子供向けのキャラ絵が入ったノンアルコールシャンパンをぶら下げてきたおバカさん。


 そんなの持って走って来たもんだから。

 栓がぽんと抜けて、廊下がびっしゃびしゃ。


「……そんな事をされて喜ぶ俺だと思うのか?」

「しかもお前、その方法にしたって……」

「バカもん」

「ばかだな」


 バカだバカだと繰り返されたが。

 そんなバカな行動も、こいつなりの精一杯だったらしい。


 急にボロボロ泣き出すと。

 先生に、涙声で謝った。


「あたしのせいです……。ごめんなさい……」

「お前も勘違いしておるのか? 文化祭の方針でもめているのに、それがなぜ貴様のせいになる」

「………………ごめんなさい」


 いくらすっとぼけてみたところで。

 秋乃が泣き止むのも謝るのも止まらない。


 たまらず先生は、俺に向けて顎で示す。


 そして言われるがまま、泣いたバニーガールを教室に連れてくると。


「…………プールの上に立ってろ」


 事情も知らぬ委員長からの指示により。

 プールの上にビート板二枚で必死にバランスをとっていることになった。



 ……こんなことしてる場合じゃねえってのに。

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