メンズバレンタインデー


 ~ 九月十四日(火)

 メンズバレンタインデー ~

 ※轍鮒之急てっぷのきゅう

  差し迫った困難




 欄間にふすま。火鉢に行灯。畳に足を崩して針と糸を繰る和装の女。日本人には、それなり見慣れた光景。だが、この部屋を羅弥兎人ラビットが過ごす場所だという前提を思い出すことによってその意味は難解を極めるものとなる。

 豪奢な和服を着崩す女が、紅をした口で糸を切る。そして出来上がったばかりのぬいぐるみの頭を撫でていると、しめ縄されたふすまの向こうから、無邪気な女性の声がからからと響いてきた。


「あらあら、なあに? あなた、ここにきて一日で結晶化したの? それは素敵な事なのね? それほど彼のことを応援したいのね?」


 すべて疑問符で終わる口調にも慣れたもの。漆間キャンディーは居住まいを正すと、ふすまの向こうへ平伏した。


「おしゃべりが過ぎましょう。今宵は平素の半分もまかなえておらぬご様子」

「でもね? 珍しいことなのね?」

「げに。……さればこそ、はように願いを叶えるのが良きことかと」

「そうね? そうするわ? いい? あなたの想い人の所へ行ける可能性は砂漠にサクラ貝を求めると同じね? 人間に生まれるのは一握、虫や草花、プランクトンの中に入るかもね? 記憶もなくなるけど、それでもいい?」


 彼女が話しかける相手からの返事はない。少なくとも、平伏したままの漆間キャンディーにとっては。だが、ふすまの向こうにいる彼女には、はっきりと返事が聞こえたようだった。

 ほどなくして、ふすまを赤く満たすほどの光が室内で発せられる。かと思うと、次の仕事へ取り掛かったのか、カチリと石同士が触れ合う音が響いたのであった。


「でもね? 聞いて欲しいのね? 珍しいことなのよ?」

「……はい」

「ここから青星を眺める子も、ほとんどいないのね? 誰かを見て、頑張れって応援すればすぐに結晶化できるのにね?」

「それを理解して浮かぶ魂がどれほどおりましょう」


 漆間キャンディーは元あった姿勢へ衣擦れと共に戻ると、傍らに積まれたマーキーズを一つ手に取り、ぬいぐるみのお腹に張り付ける。するとぬいぐるみは身震いを一つ入れた後、とことこと歩き出し、一度振り返るも手で追い払われ、ふすまを開けて暗闇の中へ出て行った。


「ねえ? もう百は訊ねたのだけどね? あなたは結晶化した『魂』を『器』にも入れずにぬいぐるみやら石ころやらに付けて、どこへやっているの?」

「……あなたが半分も仕事をなさらなくなったから、でございましょうか」

「それは仕方がないのね? 始めてできたお話相手とは、もっとお話したいのね?}

「では、どうぞ些事に御心を砕かれることなど無きよう、お続け下されませ」

「でも知りたいのね? 八年の前には、ひとつの魂を十に分けさせてみたりね? あの子たちはご健勝?」

「はい。我が子らは、みな優秀に育ち元気にしております」


 そうウソをついた漆間キャンディーは、それでも長きにわたって育てた子らの顔を一つ一つ思い出すことができる。旧式のタブレットの電源を入れて、今日も国連軍内部に作った内通者からの横流し品が届いてないことを確認しつつ、子供たちのことを同時に考えた。

 さすがに、元の魂が優秀だっただけのことはある。五人はよくやってくれている。だが二人は国連軍によって既に殺された。残る三人は、自らの手でここから追い出して捨ててしまった。

 ……赤い瞳が、先ほど出て行ったミスチスタフが開いたままのふすまの先、漆黒の闇をじっと見つめる。羅弥兎人ラビットの女王として君臨する自分の思惑は、きっと世人のそれと大きなズレがあるのだろう。

 だが、民の全てを守らねばならない。そして何より、このふすまの先へ地球人を入れるわけにはいかない。彼女は、親としての感情をかぶり一つで振り払うと、いつもの超然とした顔立ちと共に立ち上がり、軍部の会議へ赴くべく腰を上げた。

 彼女が廊下へ出ると、道しるべとなるように点々とろうそくに火が灯される。そんな中を、タブレットを胸に進む彼女は、ふと一人の子の顔を思い出していた。


 天宮から作ったものではない。自らの腹を痛めて生んだ我が娘。そう言えば、あの子も不出来の三人と共にここから追い出したっけ。

 ……みんなより二つ年下。不出来と決めつけるには早計だったのか。紅を少しだけ内に噛んだ彼女は、だが次の一歩できしりと廊下を鳴らした時にはすべてを忘れ、臣民たちが揃って平伏する大広間へと足を踏み入れるのであった。




 ~´∀`~´∀`~´∀`~




 金が欲しければ市役所へ行ってみろ。

 カンナさんの言葉の意味が分からず、事情を知ってそうな何人かに確認してようやく納得。


「……これか」


 かつて、わが校でロボットを作って。

 それを市に買い取って貰ったことがあったらしく。


 現在は、ここ。

 市役所の向かいにある広場に鎮座しているのであった。


 片膝をついた姿勢で俺たちを迎えてくれたロボ二体は、今にも動き出しそうなクオリティー。

 確かにこれなら買い取りたくなる気持ちもわかる。


 そう。

 これくらいの物なら、な。


「牛乳パックとは雲泥の差だぞ? こんなのつくれるのか?」

「サ、サイズは三分の一だし、これより簡単……」


 そう口にしながらも。

 自分のライバルがあまりに強大だということを悟ったのか。


 ちょっと悔しそうな表情でロボを見上げるこいつは舞浜まいはま秋乃あきの


「これより小さいんじゃ、要らないって言われるんじゃ?」

「逆……。市の集客イベントがあるたびに会場に出せば話題作りになるだろうって買ったらしいんだけど、大きすぎてどこにもはいらないって」

「なるほど、さもありなん」


 さもありなんとは言ったものの。

 考えなしに買ったもんだな、市。


 貴重な税金をなんだと思ってるんだ。


「だから、小型のメカを買い取ってくれる公算は大……、よ?」

「そんな情報よく仕入れたな。誰に頼んだんだ?」

「頼んだお相手?」

「うん」

「八百政のご主人」

「うん?」

「小玉スイカがいかほどまで値切れるかって……」

「うはははははははははははは!!!」


 ああ、なるほど。

 凜々花が、カンナさんから一切れご馳走になってたあれか。


 でも、身銭を切ってカンナさんから聞いた価値はある。

 俺はよくやったと褒めてやりながら、市役所の扉を潜り抜けた。


 ……まあ、よくやったとは言っても。

 ここからが大変だ。


 迷惑な上に複雑、かつ厚かましい話だからな。

 役所の受け付けでの説明ひとつで四苦八苦。


 その結果、話はよく分からないが、ロボットの担当者は市長自身だからと。

 直接話せと、執務室へ連れてこられた。


 面倒な中間手続きが吹っ飛ばされて助かる反面、ボスといきなりの対峙だ。

 それなり緊張感を持って、開け放たれた扉の先に視線を向けてみれば……。


「パパ?」

「え!? ……あ! ほんとだ!」


 市長らしき人物がへこへこと頭を下げていた相手。

 それはまさしく舞浜父。


 俺の敵だ。


「……何をしに来た」


 いつもの、下等生物へ向ける視線を浴びながらも。

 俺は冷静に考えた。


 ここは正直に言わない方がよさそうだな。

 また機会を改めよう。


 俺はそんな結論を肘に込めて。

 秋乃をちょんちょん突くと。


 こいつは、了解とばかりに。


「文化祭で作るロボットを買い取ってもらおうと思って来ました……」

「言っちまいやがったっ!!!」


 なんで? って顔やめい。

 こいつ、お前のライブ止めようとしたり。

 お前の趣味をバカにしたり。


 さんざんなことして来たじゃねえか。


「……見せてみろ」

「せ、設計図でいい……?」


 そして秋乃の携帯で。

 ロボの3Dモデルを見ていた親父は。


「で? どうしてこれを市が買い取るんだ?」

「三年前にも……、観光名物にって、買い取った実績があって……」

「ええ! ええ! そうなのですよ舞浜会長! 実際、投資以上の経済効果はあったのです!」

「…………低俗な」


 頭頂部まで届くおでこの汗をハンカチで拭いながら話す市長さんのフォローもむなしく。

 趣味に合わないからとばっさり切り捨てたクソ親父。


 秋乃は、どちらに話したものか首を二往復させた後。

 市長さんへ、改めて切り出した。


「そ、それで……。できれば、先にお金が欲しいのですが……」

「ああ、はい! でも、こんな画像ではなくなにかサンプルをだね!」

「待て。……こんな低俗なことに散財する市と契約をすることなどできんな」

「ええっ!? そ、そんな! 今しがた契約書にサインしたばっかりじゃないですか!!」


 うわ、なんだこいつ!

 ひでえこと言い出しやがった!


「きたねえぞお前! なんてマネしやがる!」

「……その言葉、丸々返してやろう。私の胸倉をつかんで何の真似だ?」

「権力をかさに勝手な事すんじゃねえよ! 俺たちと市長さんの話だろうが!」

「娘の学校が建つ市に高尚であれと願う。……子を持つ親なら当然の感情だ」


 おろおろする市長さんはともかく。

 秋乃が、俺の服をぎゅっと掴んで、それきりどうしたらいいのか悩んでる。


 しょうがない、ここはいったん矛を収めよう。

 俺は、クソ親父から手を離すと。

 こいつは、涼しい顔で俺に向けて語り出した。


「…………そうか。そもそも、こんな低俗を容認したのは学校か」

「え? ……お前! まさか!」

「高尚な文化を表現する場。その名に反するような催しならば……」


 そして、唖然とする俺たちを尻目に。

 執務室の扉を開け放ちながら。


「その開催を、止めてやろう」


 一言だけ言い残して。

 扉の向こうへ消えて行ってしまった。



 もちろん俺は。

 自然と湧きあがった感情を、口から大爆発させた。




「うはははははははははははは!!!」




 くそう、バカ親父め……。

 高級そうな背広にでかでかと。


 I❤娘ちゃんたち


 とか刺繍入れてんじゃねえ!



 まったく。

 好きならこんな顔させんじゃねえよ。

 

 俺は、今にも泣きそうな顔で俺のシャツを握りしめる女を。

 なんとしても助けてやろうと心に誓いつつ。


「ぶはははははは!!!」


 ついつい。

 思い出し笑いして。


 ぽこぽこと殴られることになっちまった。

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